日々の生活の枝葉を取っていくテクニック |
シンプルライフというと、節約、倹約術の実践のように捕らえている、またそのように紹介している本やサイトがあります。しかし、本質はちがいます。節約、倹約はシンプルライフの一つの方法論であり、一部でしかないと思います。もっとちがうところに「シンプルライフ」の本質はあります。日本語で言うと「素朴」「朴訥」・・・。
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自分の生活感の軸をしっかりとしておく |
人間は環境により、感受性が大きく変わってきます。日常的に経験している事に対しては、鈍になり、経験のない事に対しては鋭敏になります。これは人間の防衛反応によるものです。
これと相反するものとして、人間は考える事によりその状況に対応できる能力も持っています。複雑な現代社会に生活している私たちは、日常的に多くの刺激を受け続けています。
時にはそれに拒絶反応を示し、時には感じる事さえなくなっています。自分自身をしっかり持って、物事の本質をしっかり考察して、自分なりに整理していく事。周りに流されることなく「じぶんなり」を貫いていく事だが「シンプルライフ」を実践していく際に大切なテクニックです。
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情報もシンプルに |
私たちの生活の中には、多くの情報が存在しています。家族から、知人・友人から、会社から、そして新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・そしてインターネット様尼名情報があふれんばかりに入ってきます。これらの情報も、本当に必要な情報は本当に一部だけしか在りません。情報をシンプルに、必要ない情報以外をいかに切り捨てられるかが「シンプルライフ」の重要なテクニックです。
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断る事も大切 |
人間社会には、いろいろなイベントがあふれ、興味をそそられます。またいろいろなお付合いが必要で、お誘いもかかる事でしょう。何となく興味があるから、イベントに行ってみる。誘われたから旅行につきあう。飲みに行く。でも、本当にしたいのですか、行きたいのですか。まあつきあいだからしかたない、暇だからいってみよう。こういった中途半端な気分の時は「お誘いを断る事」もシンプルライフの窓口です。
本当に、やりたい事、行きたい事にシンプルに集約していく事が必要なのではないでしょうか。
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文明の利器を極力排除し、そしてうまく活用する |
今は文明の利器があふれ、それにより生活が大変便利になって来ています。「シンプルライフ」はこれらの機器を極力使わないというのが本質です。しかし昔の暮らしは確かにシンプルですが、炊事・洗濯に生活の時間の大半が使われ、また肉体的にも大変です。
ここで推奨したいのが、文明の利器をうまく活用する事、たとえば、テレビ、ステレオ、ビデオと機器があふれていませんか、最新のパソコンはこれらがすべて利用できます。これら機器がすべて無くなりコンパクトなパソコンに集約されれば、多くのスペースが生まれます。当然ビデオの山やCDの山も無くなります。そして、パソコンの検索機能で必要なものが簡単に選び出せるようになるのです。
これは一例ですが、こんな事が実践可能な世の中になって来ているのです。要は無駄な機器を排除し、そのために必要な機器をうまく活用していくこれも「シンプルライフ」のテクニックです。
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必ず体を使う時間を |
シンプルライフのもっとも重要な事は体・心が健康である事。当然、どこかに故障があったり、不安・不満があったりいろいろあるでしょうが、より健康により安らかな暮らしを求めていくのが「シンプルライフ」なのです。そのためには体を動かす時間を作りましょう。
健康な身体に健康な心が宿ります、散歩、体操、スポーツ何でも良いでしょう。リフレッシュできると思う事を実践しましょう。
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工夫をする |
シンプルライフは、多くの工夫が必要です。身の回りをシンプルにしていくとどうしても工夫が必要になってきます。道具や機器の使い方をいろいろと使い回していく必要があります。うまくいかないからといってもう新しい機器をおいそれと買う事はできません。工夫をするしかないのです。でも知恵というのはすばらしいもので何とかなるものです。そして、工夫がうまくいった時の喜びと驚き、これが生活の中に常に必要となるわけですから、知恵のあふれた新しい生活がそこには生まれてくるのです。
また、社会への接し方や人間関係も工夫が必要です。よりよき人間関係を築く事もシンプルライフの必要な事、でもその関係を維持しながら断る事もしていかなければなりません。
そのためには普段からの工夫が必要です。それは信頼の絆をしっかりと作る工夫が必要なのです。
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究極のシンプルライフ |
何が究極のシンプルライフ、修行僧、原始人の生活、それぞれは確かに非常にシンプルです。何が究極なシンプルライフなのかを考えてみましょう。
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修行僧 |
修行僧は、お寺や山にこもり、社会から隔離され、規則正しい生活と、節制された食事、朝昼晩の読経、座禅を組みます。雑念を払い捨て、心と体を清めていく、これぞ究極の「シンプルライフ」です。
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アスリート |
オリンピックを目指すアスリート、これも究極の「「シンプルライフ」トレーニングに明け暮れ、体をつくりのための食事にも気を遣い、ただ一つの目的のためにすべての生活を打ち込んでいく、その日々の繰り返しが、超人的な運動能力を生み出し、目的を達成した(優勝ばかりが結果では無い)時の達成感はいい知れないものがあるはずです。
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アーティスト |
音楽家・絵描き・彫刻家・小説家など、多くの芸術家もシンプルライフの中で創作活動を行っています。社会生活とかけ離れたところで、自分の世界を抗し馳駆していく時間そのものが「シンプルライフ」そのものなのです。
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匠たち |
日本の伝統工芸を支える職人(匠)たち、彼らは5年、10年と見よう見まねで技を体に叩き込み、40年、50年とよりよきものを目指して作り続けて行きます。そこには、最先端の機械や科学技術でも実現できない「カタチ」が生み出されているのです。
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田舎暮らし |
田舎暮らしも「シンプルライフ」のカタチ、古民家に住み、昔ながらの道具を使い、自給自足の生活をする。無農薬の有機野菜を作り、山菜や果物などの季節の恵み、炭焼きや、陶芸を趣味に・・・。これも究極(理想)の「シンプルライフ」です・
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原始人は「シンプルライフ」? |
原始人の生活は、シンプルライフなのでしょうか。そこには選択肢は在りません。すべてが必要最小限なものしかない、生きる事が最大目的なのです。これは究極というより、極限のシンプルライフ、すべての情報を知り得ずに純粋培養するしか実現化しない生活です。よって非現実的な生活なのです。しかし、アジアやアフリカ、アマゾンでは数十年前までは、多くの人々がまだ原始生活を営んでいました。数千年の長きにわたり変わらずにその生活を送ってこられた事自体はけんしょうに値すると思います。
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経済特区ではありませんが、シンプルライフ特区(時間)を作る |
私たちの生活は、究極のシンプルライフをするにはいささか無理が多すぎます。最近新聞をにぎわす経済特区構想ではありませんが、生活の一部に「シンプルライフ」を取り入れていくのが現実的ではないでしょうか。まずは不要品を極力無くし、無駄なものを買わない。生まれた、時間、費用で何かの目的を見つけて現実化していく。
また、キャンプ場に行き、その時間だけでもシンプルライフを体験してみるとか。
少しずつでも「シンプルライフ」を生活の中に取り入れ、物を得る事ではない、新しい満足感を体験してみてください。
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