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今月のワンポイントアドバイス

 昨今、社会問題にまでなってきている早期教育。この早期教育が日本に生まれて既に約半世紀になりますが、早期教育は今なお賛否両論で様々な意見があります。一体どちらの意見が正しいのでしょうか? 
 人間の基本的人格が作られる乳幼児期に行なわれる教育は人生最初で最高に重要な教育です。育児不安に悩む母親に対して、早期教育機関は子育てのマニュアルを教材という形で提供しています。でも、そのような早期教育の在り方に対して危惧の念を抱く人もいます。今月は早期教育に対する賛成者と反対者の代表的な意見を紹介し、幼児教育や早期教育のあるべき姿を考えるよすがとなるよう特集を組みました。
早期教育の教材例


早期教育とその功罪
【1】早期教育とは?〜早期教育の定義とその内容〜
【2】早期教育のメリット〜早期教育論者側の主張〜
【3】早期教育のデメリット〜早期教育反対論者の主張〜
【4】早期教育流行の背景とそのあるべき姿


【1】早期教育とは?〜早期教育の定義とその内容〜

 一般に早期教育と言っても、その内容や種類は様々です。本項では、まずは早期教育の定義や幼児教育その他との違い、そして、早期教育で行なわれる教育内容について取り上げ解説しました。
早期教育の定義

 幼児期の教育と言うと、「幼児教育」や「英才(児)教育」、「早期教育」などが挙げられます。でも、早期教育と言った場合、幼児教育や英才(児)教育との違いも含め、必ずしもきちんと定義されているわけではありません。早期教育と言うと、確かに何らかの漠然としたイメージはあるのですが、それが具体的になればなるほど論者によって微妙なさが出て来るのです。

 そこで本項では、多少難しい表現になりますが、早期教育とは、

 胎児から小学校以前に行なわれる胎教を含む教育で、“出来るだけ早い時期から開始する”という志向性を持ち、知的な教育、主にIQ(知能指数)を高めることを目的とし、働きかけに対する子どもの期待される反応を強く期待してな行われる教育(ただし、幼稚園や保育園、またいわゆるお稽古事やスポーツ教室を除く)

 であると、早期教育を取りあえずこのように定義づけることにします。

早期教育の種類

 早期教育には広義には様々な種類がありますが、日本では早期教育と言うと、主に「超早期教育」「幼児=就学前教育」を指すことが多いようです。本節ではその意味の早期教育の種類について以下で簡単に紹介・解説します。


■早期教育の種類
超早期教育:
 脳に刺激を与えるような活動を通じてな行なう胎児や乳児の教育。胎教や0歳児教育を含む。
(※なお、こういった時期の、特に胎児に働きかける教育は本来は「胎教」と呼ばれていましたが、超早期教育がどちらかと言うと知的側面に重きを置く傾向があるなど両者には多少の違いが認められます。) 
幼児教育=就学前教育:
 小学校に就学する前に文字の読み書きや計算、外国語などの教育を施すこと。
 子どもにとっては親の読み聞かせや遊びも教育ですが、ここでは、そのような日常生活の体験を通して自然に覚える文字や数の概念(=体験認知型)ではなくて、市販の教材や幼児教室等で暗記して得た知識(=パターン認知型)を指しています。なお、特に乳児の時から英語環境に浸らせたり、小学校の教科に英語を加えるなど英語についての早期教育はこれを特に「早期英語教育」と言う場合もあります。
早期就学:
 諸外国では小学校の就学年齢を標準よりも1年程度早くしたり遅くしたりする制度を持つ学校(いわゆる飛び級)もありますが、早めるだけでなく、入学を遅らせたり、早期就学しても原級留置するなど必ずしも進級という一方向を向いているわけではありません。
飛び級:
 学年制の学校で正規の進級よりも早期に上級学年に移行すること。
 単純に生徒を上の学年に移すだけであるため、学校や教師側の負担は少ない方法だと言われます。
早修:
 学年は同じままでより高度な内容を学習すること。
 飛び級と違って得意分野も苦手分野も上のレベルで学ぶというわけではないため、学校や教師側にとってはカリキュラムを立てる作業が増える反面、生徒にとっては負担が少なく、また、学習面では進んでいても身体=精神面は同年齢と似たレベルにある子どもにも適していると言われます。具体的には、(1)ワークショップ方式では、子ども一人ひとりが自分の能力レベルに合った読書や読解問題、或は計算問題を解かせ、(2)エンリッチメント方式では、先に進む学力のある教科について他の教室で指導を受けたり別の課題を与えたり、或は宿題の量や質を変えるなどして対応する、という形が考えられます。

幼児教育とは?〜幼児教育と早期教育の違い〜

 辞書的に説明すれば、幼児教育とは幼児を対象とする教育一般のことで、「満1歳から学齢に達し、小学校に就学するまでの幼児に対して行なわれる教育」のことを言います。広義には幼児に対する家庭教育や児童館などで行なわれる幼児を対象とする社会教育も含まれますが、狭義には、保育園や幼稚園など幼児を教育することを目的として設立されている教育機関で行なわれる教育を指します。
 ただ普通に幼児教育と言った場合は、狭義の「幼稚園で行なわれる教育」というイメージが強く、実際に教育界では幼児段階における制度的教育の典型である幼稚園教育だけが幼児教育であるかのように思われています。けれども、定義としてはそれでは充分ではなく、人間発達の本性に根ざす広く深い基盤を持つもの全てを幼児教育と言うべきでしょう。具体的に言えば、たとえば何気ない日常の育児の営みが実は躾に通じ、人間形成のための精神的影響として広い意味での教育に繋がってゆくので、そうした意味の教育が乳幼児期には重要であり、そういった広く深い意味を持つものを幼児教育を言うべきだと考えられます。

 なおその意味では、ここで言う本来の意味での幼児教育は、上記「早期教育の種類」で挙げた「幼児教育=就学前教育」とは厳密には一線を引くべきもので、従って本項における幼児教育とは、「幼児に行なわれる教育の全てを含む」ことになります。そして、その意味での幼児教育の中に早期教育も英才(児)教育も含まれることになるわけです。
「英才(児)教育」と「早期教育」の違い

 英才(児)教育は、一般に特別に優秀な才能をもった子どもを早期に発見し、一般に考えられる年齢よりも早く教育を行なうことで、その子どもの才能を望ましい方向に伸ばす教育であると定義されており、通常は早期教育とは言われません。
 ただ、両者は似ている面が非常に多いため、よく英才(児)教育と早期教育とは同義であるとされますが、早期教育が必ずしも英才(児)教育になるわけではありません。ここで厳密な意味での英才(児)教育というのは、周囲の物事に自ら疑問を持ち、自分で解決する能力を身につけさせる教育で、一般の早期教育によく見られるような大人から一方的に支持伝達をするような教育ではなく、双方向からの相互作用が行なわれる教育のことを言います。すなわち本来の英才(児)教育は、幼児に知識を与えるだけでなく、幼児の考えていることを引き出す努力をすることだとも考えられます。その一方で、早期教育では子どもの考える能力を育てる教育が必ずしも為されていないのではないかと言われています。その意味で、この「考える力」を教育するかしないかが英才(児)教育と早期教育との大きな違いであると言ってよいでしょう。


■参考1:英才(児)教育の種類
 考え方にもよりますが、広義の「英才(児)教育」には当然ながら狭義の「早期教育」も含まれるわけで、その場合には「英才(児)教育」は以下のように分類されます。
早期教育:
 年齢に執われず、就学前教育や早期就学、飛び級、早修などの先取り学習で学力を身につけさせるること。
エリート教育:
 一流と言われる大学・大学院卒業をゴールとした教育指針。また、目標達成(特定の大会で優勝するとか特定の職業に就く、特定のライフスタイルを獲得するなど)のためにその道の専門家について集中的に教育・訓練を受けること。なお、何れも幼小の頃から訓練を受けることが多いため、「早期英才(児)教育」と呼ばれることもあります。
ギフテッド教育:
 ギフテッドないしはタランテッドと診断された子どもの教育に用いられる教育手法及び理論、特別手段で、欧米では、障害などのために生活&学習上の特別な支援を必要とする者に対する教育である特別支援教育と同じ特殊教育の範疇に置かれることが多くあります。

◆ワンポイント1: ギフテッド教育
 ギフテッド(Gifted)とは先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っていることを言い、その傾向は誕生時から生涯にかけて見られ、また、世間的な成功を収めることではなく、学び方の素質や生まれつきの学習能力を持つことを指しています。また、ギフテッドが全般的・学術的な才能を指すのに対し、タレンテッド(Talented)とは芸術的な才能を持つ者を意味しています。ギフテッド教育とは、このようなギフテッドないしはタレンテッドと判明した子どもの教育に用いられる教育手法及び理論、特別手段を指しています。なお、ギフテッドもタレンテッドもほぼ同義なのでギフテッド・タレンテッド教育 (GATE, Gifted and Talented Education) などと表現されることもあります。
 ちなみに、ギフテッドを英才児とか優秀児、天才児などと訳すことがありますが、日本では「飛び級できるような賢い子」という一面でしか捉えられていないという問題点があります。

早期教育の内容

 早期教育で行なわれる教育内容で特に代表的なものについて、以下で紹介解説しました。
右脳教育
右脳と左脳
 一般に人間の脳には右脳と左脳があり、また、人間には右脳タイプと左脳タイプの2通りがあると言われます。そして、左脳が言語や計算、分析、整理など知的・論理的な思考をする脳で、理論で働く脳であるのに対して、一方の右脳は直感に関係している脳で、音楽や感情、信仰、物事の全体像など言葉では言い表わせないものを受け止める脳だと考えられています。さらに、右脳が発達し、直感力が高まると、左脳も効力を発揮できるようになると考えられています。そして、早期教育論者は、真の幼児教育とは豊かなインプットで大脳の働きを良くし、大容量のデータベースを作るものでなければならなず、それは、脳の成長が著しい時期に行なう右脳開発の早期教育であると、このように言うのです。右脳教育とは、このように早期教育にとって代表的な要素のひとつになっています。
パターン教育

早期教育の教材2 上記と深く関連して、早期教育論者は大脳生理学を理論的根拠とし、「新生児の知的能力は最高で、開発されないと早期に退化してしまう」とか「知的教育を怠れば、知的能力に乏しいぼんやり型の子どもになってしまう」、或は「詰め込み型のガリ勉教育をすると、定年後に早期に惚ける」などと主張します。そのため早期教育機関では、乳幼児の知的教育を遊び中心の右脳を使った教材で行なっているのです。
 右脳教材の特長は、繰り返しの好きな幼児に適し、また覚えようと考えずに同じパターンを繰り返すことにより自然に覚えられるものです。それを「パターン認識」と言うのですが、パターン認識というのはカメラで写す映像のようなもので、そのパターン認識を利用したのものが「パターン教育」です。このパターン教育の特徴は、(1)理屈抜きに見せる、(2)繰り返す、(3)結果は忍耐強く待つの3つにあります。そして早期教育論者は、右脳は容量が大きいので幾らでも覚えられ、また、長くかけて覚えるので記憶が長持ちすると言うのです。また、遊びの形態にしやすく、理屈で理解して覚える左脳教育の教材と比べて覚えるという努力が要らないため脳の負担が少ないとも言います。
カードでの早期教育
ドッツ・カード
 上記の「パターン教育」に適切なのがいわゆるカードで、様々な早期教育機関でカードを使った早期教育が行なわれています。特にその中でも有名なのが、ドーマン法で有名なドーマン博士が開発した「ドッツ・カード」で、これは、ドッツ(点)が描かれたカードが1〜100まであり、それを1枚1秒程度のスピードで見せてゆくというものです。これを「フラッシュする」と言い、当然この速さに左脳はついてゆけないので、自然と右脳に働きを任せることになり、そのため右脳の働きが優位に働いて一目で記憶する能力が育つのだそうです。
参考:代表的な早期教育機関


■早期教育を行なっている代表的な団体
公文式教育法
■日本公文教育研究会:
  http://www.kumon.ne.jp/
七田式早期教育法
■七田チャイルドアカデミー:
  http://www.shichida.ne.jp/index.html
家庭保育園
■家庭保育園本社公式HP:
  http://www.katei-hoikuen.co.jp/
こどもちゃれんじ(※ベネッセコーポレーション運営)
■こどもちゃれんじ しまじろうと一緒に豊かな体験を:
  http://www.shimajiro.co.jp/
ドーマン式幼児開発法
スセディック式胎内教育法
その他


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【2】早期教育のメリット〜早期教育論者側の主張〜

 世間には様々な幼児教室が林立し、早期教育は現在一種のブームになっていると言ってよいでしょう。それでは、そのような一部の母親たちを魅了して已まない早期教育に人が求める効能には一体どのようなものがあるのでしょうか? 
 本項では、早期教育論者が挙げる早期教育の根拠とメリットについて取り上げ解説いたしました。
なぜ早期教育が必要なのか?〜大脳生理学に基づく早期教育の効力〜

 一般に早期教育論者は、早期教育の有効性の根拠を大脳生理学に求めることが多くあります。本節では、早期教育論者が挙げる早期教育の大脳生理学的な根拠について以下で詳しく紹介・解説しました。
出生直後の大脳〜乳幼児期における脳への刺激が脳の働きに大きく影響する〜

 大脳生理学の観点によって分かってきた脳の発達の仕組みやその働きの特徴から、まずは幼児教育の必要性が説かれます。

 脳の中でも運動や知覚などの中枢がある大脳皮質の神経細胞の数は約140億と言われ、これは生まれた時から誰もが同じ数で、その後、減ることはあっても増えることはありません。また、生まれた時の脳の重さは約400g、それが6ヶ月後には約800g、そして、6歳では大人とほぼ同じ大きさの1,200gにまで成長します。このように年齢と共に脳が重くなるのは個々の神経細胞の樹状突起が伸びて盛んに枝分かれを繰り返すためで、このとき学習や経験によって大脳に刺激を与えると、この神経ネットワークが一層複雑になるのですが、その変化が最も起こりやすいのが誕生からの数年間すなわち乳幼児期なのです。そして、この脳の神経回路の変化には臨界期があって、その時期までに刺激を受けないと学習能力などが著しく劣ってしまい、特に3歳頃までに脳に与えられる刺激が脳の働きに大きく影響すると言われています。さらに、「2歳よりも1歳、1歳より0歳、0歳よりも胎児……」というように、教育を始める時期が早ければ早いほど天才児になる確率は高くなると考えられています。
適切な時期に適切な右脳教育を

 上でも触れたように、人間の脳には右脳と左脳とがあって、左脳は言語や計算、分析などの論理的な思考をする脳であり、一方の右脳は瞬間暗記や芸術、空間認識、直観的な思考をする脳だと言われていますが、早期教育では、0歳から3歳までは右脳が優位に働き、3歳以降は左脳が優位になって右脳が劣位脳に転じるので、乳幼児期の右脳が発達している時期に適切な右脳教育が必要だとされます。そして、右脳は0歳に近ければ近いほど高い能力があり、6歳を過ぎるとその能力は失われてしまうとも言われています。そこで、これも上で触れたように、カードなどを利用した右脳教材の特長は、繰り返し遊びが好きな幼児に適し、同じパターンを繰り返すことにより幼児にも自然に覚えられますが、このように瞬時に全体を把握することを「パターン認識」と言い、そのパターン認識を利用したものを「パターン教育」と言っています。
才能逓減の法則〜幼稚園では遅すぎる!〜

 大脳の発達を年齢で見ると、第1の段階が1歳頃まで、第2の段階が3歳頃まで、第3の段階が6歳から7歳まで、そして第4の段階がそれ以降となっています。そして先にも説明したように、脳が急速に発達を遂げているのは第2の段階までで、3歳頃までが環境から与えられる刺激により脳の働きの可能性を大きく左右してしまうと言われています。これに早期教育論者が着目し、この才能逓減の法則が早期教育の重要性を説く根拠のひとつとなっています。従って早期教育論者は、1歳で全てが終わるわけではないにしても、第2の段階まで、その中でも特に2歳までが重要な時期なのだから、従来のような「放っておいても子どもは育つ」という考え方ではいけないのだと言うのです。そして、このように乳幼児時代からの才能教育の重要さは大脳生理学に基づいた事実なのだと主張します。
幼稚園では遅すぎる
 ここで早期教育論者の具体的な主張見ると、たとえばソニーの創業者・井深大氏のロングセラー『幼稚園では遅すぎる――人生は三歳までにつくられる!』(1971年初版)などにも見られるように、外からの刺激を受け止め、パターン化し、記憶するといった最も基本的で重要な情報処理の仕組みが3歳までに出来上がるのですが、この3歳までに出来たものを如何に使うかという働きが3歳以後に出来るのだと考えます。要するに、3歳までをコンピューターで言うハードウェア、3歳以後をソフトウェアと考えるわけで、従って3歳までにつくられるハードウェア自体の精度がよくなければ、脳を如何に使うかというソフトウェア面を後から幾ら訓練したところで決して良い結果が得られないのだと言うわけです。なお、頭脳の成長をよくすると身体の成長が良くなる事実があるそうですが、中にはこの時期を活用することで脳障害児であっても優れた脳細胞を持つようにすることができると言う早期教育論者もいます。そして、このような才能逓減の法則は胎児にも当て嵌まり、教育を始める時期が最も重要なポイントになります。先にも書いたように「2歳よりも1歳、1歳より0歳、0歳より胎児」というように天才児を育てられる確率は教育を始める時期が早ければ早いほど高くなってゆくと考えられているのすが(たとえば特に生まれて1年になるまでの時期を「脳成長特別期」と言い、この時期の脳はどの時期よりも吸収力があって環境から影響されるのだそうです)、その意味で早期教育論者によっては胎児も教育が必要だとされるるのです。
 このように早期教育論者は、才能逓減の法則によって、「年齢が低ければ低いほど才能開発の可能性が高くなる」と考えているのです。
IQ140以上の子どもが育つ

 知能とは一般に、「目的的に行動し、合理的に思考し、環境を効率的に処理する総合的または全体的な能力である」と定義されますが、ここで言う全体的な能力は通常、知能検査によって測定される知能指数(=IQ)という数字で表わされるものを指しています。当然ながらIQが高ければ頭が良いということになり、学業成績も優秀であるということになります。もちろん知能指数(IQ)と学力との相関関係が高いことは明らかで、将来の知的達成レベルの予測には役立つことになるわけです。

 ちなみに、子どもの平均的なIQは100〜120程度で、IQ140以上の子どもは全体の0.6%ほどだと言われていますが、早期教育論者によっては、独自の教材や育て方によりIQ140以上の天才児が7割以上の確率で育つと主張します。そして、右脳の働く期間を重視し、この活性化に努めた結果、IQが150から200という子どもが続出したと言い、だからこそ小学校入学までに子どもたちがどのような教育を受けるかが大事なのだと彼らは主張するのです。そして、IQが高ければ学業成績が優秀になるのはもちろん、経済的にも安定し、家庭にも恵まれた生活を送り、幸せになることが出来ると言うわけです。
親子関係の深まりが得られる
母子関係
 早期教育をする前と後とでは、当然のことながら子どもにかける時間がずいぶん違ってきます。従って、早期教育をすることは、子どもへの働きかけの時間が多くなるので、以前よりも子どもとの触れ合いやスキンシップが増えて親子関係が深まるとも言われています。乳幼児にとっては、どんな形にせよ母親が愛情をこめて遊んでくれる時間が増えるということはとても嬉しいことなのです。

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【3】早期教育のデメリット〜早期教育反対論者の主張〜

 早期教育が流行っている反面、早期教育に対して危惧の念を表明する人も多く見られます。それでは、早期教育に対して人は一般にどのような危惧を抱く懐いているのでしょうか? 
 本項では、早期教育反対論者が挙げる早期教育の問題点と彼らが懐く危惧について取り上げ、以下で詳しく解説しました。
早期教育に対する批判的立場


■早期教育に対する批判的立場
■1: 有効性に対する科学的な観点からの批判
■2: 子どもへの悪影響を危惧する立場からの批判
■3: 親子関係への悪影響を危惧する立場からの批判
■4: 社会への悪影響を危惧する立場からの批判

 早期教育に対する批判は、その立場などによって主に上記の4種の主張に分けることが出来ます。ただし本項では、説明の便宜その他からその批判的主張を特に分類せず、列記する形で以下の各節でその主張を詳しく取り上げ、解説した。
大脳生理学に基づく早期教育の問題点

 早期教育論者と同様、早期教育反対論者も大脳生理学を根拠に反対論を展開することが多くあります。
 そこで、上では早期教育論者が挙げる大脳生理学的な根拠を取り上げましたが、本節では逆に早期教育反対論者が挙げる大脳生理学的な問題点について取り上げ、以下で詳しく解説しました。
科学的根拠の少ない大脳生理学理論

 才能逓減の法則や右脳・左脳論など早期教育論者が捉えている大脳生理学的な見解について上で紹介しましたが、しかし、その大脳生理学は、早期教育論者にとって都合のよいように解釈されているもので、必ずしも科学的な根拠のあるものではありません。とにかく、「早期からの教育は知識の吸収や能力の発達の面ではそれなりの効果がある」とする考えは科学的には必ずしも根拠がないのです。
3歳児神話〜「3歳までにシナプスを増やした方がよい」ってホントなの?〜

 確かに3歳までの脳の重さが急激に重くなることは事実ですが、しかし、それは脳の<構造>が出来上がるだけで、必ずしもその<機能>が発達するわけではないのです。従って、3歳までに脳を使うことで複雑な脳内ネットワークが出来るという証拠はどこにもありません。「3歳までに教育を開始しないと手遅れになる」という考えは、要するに「3歳までの家庭環境が人格を左右する」といういわゆる「3歳児神話」の1種でしかないのです。

 大体、乳幼児期には子ども自身が興味を持って広義の学習活動を行なうことでその後の脳の発達に影響するのであって、早期教育機関の教材の遊びのように、何のために覚えなければならないのか本人の自覚がないものでは学習の効果は一時的なものにしかならないのではないでしょうか。とにかく、感動したり体験したりする広義の学習活動が乳幼児のその後の脳の発達に影響するのです。
赤ちゃんは忙しい〜早期教育なんかやってるヒマはない!〜

赤ちゃん 色々な経験が必要な大切な赤ちゃんの時期に、早期教育機関の与える教材ばかりやっていてよいのかどうかを疑問視する人は多くいるでしょう。専門家によると、赤ちゃんの時というのは実はものすごく課題が多いのです。たとえば赤ちゃんは毎日のように言葉を覚えたり人間関係を学んだり、或は世の中のことを知ったりしなければなりません。その上、手の使い方や歩き方など身体の使い方まで覚えてゆかなくてはならないのです。そういった大事な時期に、現実には日常生活の中にない特殊な教材を使って特定の能力を伸ばすことは、貴重な経験のための時間をそれらの学習教材に取られてしまっていると考えることも出来ます。
 何れにせよ脳が未成熟なうちに特定の情報を送り込みすぎると、後の学習のために残しておかなければならない脳の貴重な領域まで使ってしまうのではないかとの懸念もここに当然ながら生まれて来ます。とにかく、幼児期にこのうような早期教育に時間をかけてしまった結果、生きてゆくために大切な人間関係や運動能力の発達が手抜きになってしまうことは非常に危険なので、そのため、早期教育論者の言う大脳生理学的な主張は早期教育反対論者から否定されるのです。
遊びが無くなることの弊害


 早期教育が流行ることによって、子どもにとって本来の遊びが無くなることが懸念されています。
 本節では、子どもにとって遊びの持つ意味を解説することで、早期教育における遊びの要素と本来の遊びの違い、そして子どもの世界から遊びが無くなることの危険性について、以下で詳しく取り上げ解説します。
子どもと遊び
遊びの効用


■1: 運動能力の発達
 まず外遊びをすることで運動神経が発達します。
 体力がつけば将来受験勉強をする時に役立つでしょうし、後に社会に出てから何かをしようとした場合にも、体力があれば精神力も強くなり、当然ながら目的を遂げることが出来るようにもなります。また、運動神経が発達すると、走る力や跳ぶ力、投げる力がついてスポーツが上手に出来るようになり、こうして人生の楽しみが増えることになります。さらに運動神経の発達は知能の発達を促すことを忘れてはいけません。

■2: 知能の発達
 次に外遊びと室内遊びを通して知能の発達が促されます。
 これは、単にIQの発達だけでなく、考える力や創造力、想像力を豊かにします。室内遊びでも、たとえばテレビをただ見ているだけでは頭の働きが鈍くなりますが、ゲーム的要素の強い遊びをすることで頭を色々と使うことになります。そして、このような技能的な遊びや運動を伴った遊びは頭脳を活発にするため、その結果として思考力も発達するのです。

■3: 社会性の発達
 最後に社会性の発達を挙げることが出来ます。
 幼児は集団で遊ぶことによって規則という概念を持つようになります。たとえば公園のブランコで遊んでいたら、順番に遊ばなければいけないということを自然と学ぶでしょう。もしも規則を勝手に破れば当然他の幼児から非難されるし、次から仲間に入れてもらえなくなるかも知れません。それでもワガママを通そうとすれば喧嘩も起きるでしょう。こうして仲間外れや喧嘩を咲けるためにはどういう行動を取ったらよいのかを、幼児はこのように遊びの中から、特に規則のある集団遊びの中から学んでゆくのです。

本来の遊びと早期教育による遊びとの違い

 幼児教育には「子どもは遊びの中で育つ」という大命題があります。すなわち、子どもは遊びの中で創造力や想像力を豊かにし、頭脳を活発にするため、その結果として思考力が発達してゆくのです。また、集団で遊ぶことによって規則という概念を持ち、社会性を学ぶことが出来ます。そして、子ども同士の接触と衝突により仲間の気持ちが分かるようになるなど多くのことを学びんでゆくわけです。
 幼児の遊びの世界は意味や価値の世界と無関係なところで展開される世界ですが、それに対して早期教育の世界は、この社会が持っている価値や意味の世界を体系化・記号化して子どもの中に入れてゆくことで成立する世界です。大体、遊びの体験とは自分の感情や要求に従いながら子ども自身が「内的ルール」を作り上げることで成立する世界であるのに対して、早期教育の場合は外部で準備された活動を受動的に受け入れることで成立する世界であるということが問題だと言ってよいでしょう。

早期教育の教材3 確かに早期教育も充分に遊びを取り入れた教材を開発しているのですが、ところが、本来の遊びと早期教育の与える遊びとではその本質が違っているのです。繰り返しになりますが、遊びは本来自発的に作り上げてゆく世界であるのに対し、早期教育の場合は準備された活動を受動的に受け入れることで成立する世界です。また、そのような環境の中で集団遊びが減ることで協同作業が苦手になる危険性もあり、協調性のない子どもに育ってゆく危険性もあるとも考えられます。
 何れにせよ、早期教育の殆どは「パターン化し、それに正確に反応する」という受け身の学習・訓練でしかありません。そして、ドキドキするような驚きや喜びといった感覚はそこにはありません。要するに早期教育にあるのは、そのパターン化した問題に数を当て嵌め、「当たっているか」「点数が上がったか」というような程度の満足感しかないのです。また早期教育論者には、子どもたちの中に育つ「能力」を「出来る力」と「分かる力」とに分解し、一方の「出来る力」にのみ働きかけようとする傾向が一般的にあるのですが、しかもその場合、「パターン・エイジ」とも言うべき乳幼児期には、大人たちが準備した様々な学習パターンを「丸暗記で理屈無しに覚えることが大事だ」との主張の下、子どもたちに受動的学習を強いているところが特徴であると言ってよいでしょう。
集団遊びの欠如

 子どもが育つためには「集団」は欠くことが出来ない存在です。上の「遊びの効用」でも挙げましたが、子ども同士の集団の遊びの中では当然ながら子ども同士の接触と衝突が起こります。でも、それによって仲間の気持ちが分かるようになったり、或は自分の視点でばかり物事を見るだけのではなく、相手の立場に立った見方をすることも出来るようになるのです。しかし、現代の子育ての現場では、遊びの場面に子どもの数と同数に近い大人の目があるため、親同士の気兼ねと思惑もあって、折角の子ども同士の接触と衝突の機会が昔のように自然のまま見守られることが少なく、大人の仲裁と管理の許に置かれることが自然と多くなります。

 集団遊びが減ったことで、子ども同士での喧嘩や話し合い、また生活の知恵を学び合うというグループ・ダイナミクスが著しく欠けてきています。とにかく、みんなで遊びに出て道に迷い、みんなで相談しながらやっと夜になって帰宅するというような経験や冒険が残念ながら今の子どもたちには多いに不足しているのです。要するに、そのような生活力や或は動物的な勘や危機管理能力といった能力が育つ場が現代の子どもたちからは著しく奪われているのです。そして、幼児同士の接触が少なくなることで、幼児は相手と一緒に協同する作業が苦手になる傾向が認められ、かくして協調性のない子どもに育ってゆく危険性が大いに考えられます。なお、早期教育を色々とやっている幼児は、大人の顔色を見るのが上手になるため、確かに外見上はすくすくと育ち、協調性があるかのように見えるかも分かりませんが、残念ながらこれは大人の錯覚でしかありません。よく言って、これは大人と幼児の間でうまくいっているに過ぎません。そのため、このような幼児が同年齢の幼児の集団に入っても、何か気に入らないことがあっても我慢することが出来ず、従ってみんなと一緒に遊べないし、また、たとえ遊んだとしても楽しくない、ということにもなりかねません。そんな訳で、早期教育ばかりやってきた子どもは、確かに特定の大人から見ると協調性があり、いわゆる良い子であったとしても、子ども集団の中では協調性のない嫌われ者になる危険性が充分にありうるわけです。
 大体、子育てをする父母や早期教育などを行なう講師や父母は、いつも幼児の気持ちに応えて上げようとしているため、幼児にとっては相手(=大人)の気持ちを予測しやすいわけですが、しかし、幼児がそのような大人だけの世界だけで育てられたとしたら、常に自分の都合のよいように相手の気持ちを推測するようになってしまうかも知れず、そして、そのような教育を受けた幼児は、確かに知能は高くなったとしても、他人の気持ちを理解出来ない人間になってしまうかも知れないのです。何れにせよ幼児の社会性は、上で書いたように幼児同士の関わり合いによって身につくので、現代ではそれが充分に満たされないからと言って、その穴を埋めるために早期教育を子どもに受けさせようと考える親も中にはいるかも分かりません。でも、それでは親の目の余り届かぬところで子ども同士が切磋琢磨して関係を築いてゆくグループ・ダイナミクスは残念ながら得られないと言ってよいのです。
集中力が無くなる

 遊びが大事であるもう理由のひとつとして、遊びに夢中になることで集中力が養われるということがあります。遊びに夢中になれるということは、何か好きなことが見つかったら全精力を使ってそれを行ない、エネルギーを集中させて物事にぶつかってゆくことを意味します。遊びに夢中になれない子どもは、何をやっても中途半端になってしまい、諦めやすい性格になることも考えられます。
 その上、早期教育は幼児の行動を時間単位で区切ってしまいます。たとえば「幼稚園が終わったら早期教育の教室へ通う」というようなスケジュールがあった場合、そのスケジュールの合間を縫って遊ぶ時間を見つけるというのは、幼児にとっては決して容易なことではありません。たとえ遊ぶ時間があったとしても、幼児の遊びはスケジュールによって度々中断されてしまい、当然その幼児は思い切り夢中になって遊びに集中することが出来なくなります。そして、このように途中で遊びを中断されることが度重なれば、その幼児は何事も飽きっぽい性格になってしまうかも知れないのです。
自主性の抑圧

 何度も書いているように、早期教育には、パターン化され、それに反応するという受け身の学習・訓練が多いのですが、そのために子どもは自発性や創造性の領域の発達が抑圧され、受け身的になってしまう危険があると考えられます。すなわち、早期教育で受動的な学習をしている幼児は、自発性や自主性、創造性の領域の発達が抑圧されるのではないかとの懸念があるわけです。また、幼児が親からの評価を気にして、親の期待に沿おうと努力し続けてしまうという依存的なパーソナリティーが育ってしまう恐れもあります。そして、このような自主性が無く依存的な性格では、その子どもが将来自分で自分の道を切り開いてゆくことは残念ながら難しくなるでしょう。

 先にも述べた通り、早期教育は幼児にとって言わば大人によって受動的に行なわれされる教育です。子どもたちが色々なことを分かるという時は、自分が実際に体験した事実と記号・論理の世界とが結び付くということが重要です。それに対して早期教育論者は「分からないからこそ、この時期の早期教育が成立するのだ」と言っていますが、しかしそれでは、乳幼児が本来持っている主体的で能動的な姿勢をあえて議論の外に置き、この時期の子どもたちをあくまでも受け身的な存在として描こうとしていると言わざるを得ません。すなわち、子どもは自主的に見えて実は叱咤激励されてやっているだけなので、それは必ずしも自分から好きでやっているのではないのです。そして、そういった早期教育を与えられることで、自分から何かを積極的に為そうとせず、人に頼ろうとする受け身的な子どもに育ってしまう恐れがあるわけです。要するに、このような受動的な学習によって子どもの持つ自発性や自主性、創造性の領域の発達が抑圧されるのではないかという懸念が生まれるわけです。
自己肯定感の喪失

 早期教育を受けることによって、子どもは、「親の期待に応える子は良い子で、期待に応えられない子は駄目な子だ」というように考えるようになってしまい、その結果、いわゆる自己肯定感が失われたり、或は大人を喜ばせるために努力するなど自分らしさを失う危険性が考えられます。

 子どもの成長段階では、1歳前後から子どもは意思表示をハッキリするようになり、次第に自己主張が強くなるものですが、しかし、早期教育を子どもに押し付けることでそのような自己主張を潰すことにもなりかねません。それでは健全な自己主張が育たない恐れがあるのです。
 さらに2歳になると、子どもにも主体性が出て来るものですが、それは自己の概念やそれに関連して成長している自尊心、また自信が湧いて来る時期でもあります。それはまた、自分で何かを考え、何かをしてみたいと自分から意欲する時期でもあるのです。ところが、早期教育による受け身的な教育を受けることで、幼児期に育つはずの「自分は自分でよい」という素朴な自己肯定感や自尊感情が失われてしまい、子どもに「親の期待に添える子は良い子で、期待に添えない子は駄目な子だ」というような感情が生まれ、その結果として自分の価値は相対的なものになってしまうという懸念があるわけです。さらに、良い結果を得ることが大人を喜ばせられるということを知り、子ども心にその期待に沿おうとして自己を演じ続けてしまうことにもなります。そればかりか、一見すると自主的に行動しているように見えて、実は重要な他者の期待に沿おうと努力し続けているだけだという深い意味での依存的なパーソナリティーが育ってしまう恐れすらあるかも知れません。
IQでは計れないもの〜知能指数(=IQ)は相対評価でしかない〜

 早期教育機関ではIQ(=知能指数)が高いことをもってその子どもが評価されることが多いのですが、IQ(intelligence quotient)とは「知能年齢÷実年齢×100」の指数で、それは必ずしも絶対評価ではなく相対評価にすぎません。早期教育におけるIQを高めるためのパターン教育は、物事を考えずに機械的に答えてゆいくという形を取るのですが、そうすることで確かに頭の回転は速くなったとしても、必ずしも思考力(考える力)が高くなってゆくかどうかは疑問視されているのです。


 IQ偏重の問題点には、学力検査・知能検査における限界が挙げられます。
 まずこのような検査では様々な角度から複数の回答をもたらす拡散的能力は測定不可能ですし、また、じっくり時間をかけて総合的に考察してゆく能力も充分に測ることが出来ません。そして、人間関係を上手く処理してゆくというような社会的能力も測れないのです。そしてその得点は、その日の体調やテストに望む態度、情緒安定性などの性格的なもの、或はテスト場面の状況などによる影響を否定出来ず、従ってそこで測定している能力は、個人の潜在能力(知的才能)ではなく、経験(学習)の結果が加わった現在の能力でしかないのです。そのため、検査結果によって将来の知能の発達の予測をすることについては注意が必要ですし、また、人間の知的活動や職業の成功の予測などは知能以外の要因の影響が著しいということは否定できません。要するに知能検査などの評価基準は人生における成功度の予言としては余り当てにはならないのです。とにかく言語的・論理数学的知性を中心に据えたIQの概念は狭い範囲の知能を知的計数としたものでしかないので、人生での成功度とIQの相関関係には当然ながら例外があるわけです。もちろん知能指数(IQ)と学力との相関関係が高いことは明らかで、その意味ではIQの高さは学校生活や学究生活での成功を予言してくれるかも分かりませんが、しかし実生活では、学業から遠ざかれば遠ざかるほどその指標は無意味になってゆきます。そのため、IQが高い人が富や名声、幸せを得られるという保証はどこにもないので、上記で挙げたような早期教育論者の言うところのIQの高さと成功との間に因果関係必ずしも認められないわけです。さらに、知能指数で計られる知能はいわゆる学力ですらないので、先にも述べたように知能が学力に影響していることは確かではあるれども、実は学力には知能ばかりでなく創造性その他の能力も関係しているのです。

 とにかく、このように必ずしも知能が高ければ高いほどよいというものではないので、学力試験や知能指数で点数化される認知能力は社会的成功を左右する知性の中でごく一部の知性でしかないのです。要するにIQで計れる能力はごく一部にすぎないわけです。


◆ワンポイント2: 本当の賢さとは?
 子どもたちは、その年齢に相応しい形で対象に主体的かつ能動的に働きかけてゆく存在に他なりません。自分が体験した様々な事実を自分なりの理屈で繋げ、それらの間に共通性を見つけ出し、自分なりの「主観的な概念の枠組み」を形成しながら子どもはその知的能力を伸ばしてゆくのです。要するに、賢さの本質とはこの点にあるのだと言ってよいでしょう。

総合的な人間観の欠如

 早期教育には「もっと早く、もっと高く、もっと正確に」という基本原則が存在し、「目に見える」事柄のみを重視した競争原理が働き、逆に目に見えない心が育つ過程を疎かにしている恐れがあります。要するに、早期教育が考える「能力観」には肝心な「人間観」が欠如しているのです。

 現在進められつつある早期教育は、最も現代的な形で組織された管理主義保育の典型であると言ってよいかも知れません。繰り返しになりますが、早期教育には「もっと早く、もっと高く、もっと正確に」という基本原則が存在し、しかもその原則には一定の方向と順序が認められます。そこには、「早い方が遅いよりも、高い方が低い方よりも、そして、正確な方が不正確よりもそれぞれより高次である」という考え方が抜き難く流れており、しかも、満点以外は全て何らかの欠如態としか見なされないのです。そして早期教育には、幼児たちの視覚と聴覚をコントロールしながら、大人たちが仕組んだ意味のある教材のメニューを幼児自身が選んだかのような錯覚を持たせながら従順に反応させてゆくという特徴があり、言葉が話せるとか数が分かるといった「目に見える」事柄のみを切り離して教え込もうとし、その反面、「目に見えない」心が育つ過程を疎かにしているきらいがあるのです。このように、早期教育が考える「能力観」には肝心な総合的な「人間観」が欠如しているので、ここにこそ現在進められつつある早期教育システムの成功の鍵があると同時に、大きな落し穴があると言ってよいでしょう。
参考1:脳機能局在論と右脳・左脳論

 「脳機能局在論」とは、脳(特に大脳皮質)が部分毎に違う機能を担っているとする説のことで、その中のひとつに有名な「右脳・左脳論」があります。この「右脳・左脳論」は上で挙げたように早期教育論者もその論拠のひとつにしている脳理論ですが、しかし、専門家からは脳機能局在論でよくある非科学的な「俗説」とされています。これは要するに、「左側の脳が言語や論理的思考の中枢で、一方の右側の脳が映像や音声的イメージ、また芸術的創造性を担う脳だ」として、たとえば「理屈っぽい人物は左脳優位、芸術肌の人物は右脳優位だ」などとする説ですが、ニセ科学とも言われる血液型性格論とも似て単純かつステレオタイプな解釈でしかなく、その殆どは科学的な知見からかけ離れた「通俗心理学」に類するものであると批判されることが多いのです。
 大体、左半球全体が論理処理のために活動しているわけではないし、また、左半球だけが論理処理をしている根拠も無いのです。また、右半球全体がイメージ処理のために活動しているわけではなく、また、右半球だけがイメージ処理をしている根拠もありません。さらに、早期教育でよく行なわれることが多い「右脳を鍛える」と称する訓練等にしても、それによってイメージ能力や創造性が向上し、それが右半球の神経活動と関係しているという科学的根拠は基本的に無いのです。とにかく「右脳・左脳論」に関しては、この説で用いられる左脳及び右脳という用語からして学術用語として用いられることは基本的になく、解剖学的な定義などは不明確であると見なされています。要するに、「才能逓減の法則」と共に早期教育論者が特に重視する「右脳教育」に関しての大脳生理学的な科学的根拠は今のところ何ひとつ見つかっていないということになります。
参考2:脳科学から見る子どもの心の障害

 早期教育からは少し観点が外れますが、本節では、脳科学の観点から見た子どもの心の障害について、参考までに以下で多少詳しく解説します。そして、そのそのような観点から見た早期教育の持つ問題点についても考えてゆきたいと思います。


 近年、「集団行動が出来ないとか落ち着いて授業を受けられない」とか「受け答えがちょっと他の子どもと違う」「感情の表出に乏しい」等々、ある種の子どもたちが抱える問題を「心の障害」として捉え、医療現場や学校現場で対応してゆこうという試みが広まっています。自閉症とかアスペルガー症候群、注意欠陥多動障害(ADHD)、或は学習障害(LD)といったこれらの心の障害の原因を脳科学の面から解明しようという試みも昨今進みつつあります。
 これまで子どもの発達健診の場面などでは運動と言語、認知(周りの世界を理解する能力)の3つのポイントから子どもの発達を検査してきました。しかし、子どもが社会に適応して生きてゆくためには、それらの検査結果には出て来ない「社会的知能」とでも呼ぶべき様々な人間的な能力を発達させてゆく必要があります。そこで近年、人間の能力をさらに細かく分類して捉える試みが為され始めました。たとえば心理学者ガードナーは、人間の知的能力を、(1)言語的知能、(2)論理的数学的知能、(3)空間的知能、(4)身体運動的知能、(5)音楽的知能、(6)対人的知能、(7)個人内知能の7つに分類して考えていますが、ガードナーが試みたこれらの分類を専門的には「多重知能説」と言い、これは脳科学で解明されて来た脳機能の分類ともほぼ一致します。ちなみに、これを実際の生活や人に当て嵌めてみると、たとえば「外国語を自在に操ったり人と交渉すること(=言語的知能)は得意だけれども、車の運転(=空間的知能や身体運動的知能)はまるでダメ」といった人を思い浮かべることができるでしょう。そして、これらの分類を子どもの心の障害に照らし合わせてみると、何らかの障害があると診断された子どもは、ある種の知能の発達が他の知能の発達と比べて遅れている、或はある特定の知能が突出しているのだと、このように考えることができるわけです。また私たちは、ちょうどコンピュータ上でハードディスクの情報を様々なソフト上で働かせて使うように、脳に蓄えられている様々な情報の中からその場面に合ったものだけを取り出し、さらにその情報を数種類の知能の組み合わせの上で働かせて使っているのだということも分かってきました。このような脳の働きを「ワーキングメモリー」と言い、それを司っているのが前頭葉の中の右前頭前野だと言われています。そして上記の障害のある子どもたちの多くは、このワーキングメモリーの機能が何らかの理由でスムーズに働いていないのだと考えることも出来るわけです。

 このように、脳の働きについての研究が進むにつれて私たちの脳が非常に高度で複雑な働きをしていることが次々と分かって来ましたし、それらの知識が治療現場に応用されるようになっても来ました。しかし、まだまだ脳の仕組みが解明されたと考えるには程遠い状況であるのも事実なので、従って、心の障害の治療が難しいのと同様に、脳開発を謳うスキルやメソッドの実効性を実証することも非常に難しいと言えるのです。

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【4】早期教育流行の背景とそのあるべき姿

 本項では早期教育が流行する背景等について解説し、さらに早期教育を行なう際の注意点についても取り上げました。
早期教育が流行する要因

 広義の早期教育そのものは、実は江戸時代やそれ以前にも存在していました。欧米においてもそれは同様で、その場合は一般に英才(児)教育として捉えられることが多かったようです。それが、ここで扱うような狭義の早期教育が'90年代に入ってから特に加熱し始めたのには下記に挙げるような要因があると見られています。そしてその中でも、特に1番目の「自信喪失」と2番目の「企業戦略」の2点が現在早期教育が加熱している主な要因として考えられます。

 社会や育児環境の変化によって、従来のように「こうやっておけば大丈夫」と子どもを放っておける時代はとうの昔に終わっており、また、親自身も放任されて育った世代ではないため、積極的に育児に参加し、子どもを教育指導をするべきだと考えているようです。けれども、時代の流れが速くて選択の幅が広い現代社会では確固とした育児目標が持てないために、親自身がガイドラインを失って不安な状態なままに置かれます。そのため、親は自分の育児能力に対して自信を喪失し、親が育児の先生を必要としている状況にあるわけです。そのような状況の中で、親の先生代わりとして登場したのが、育児のノウハウを作り上げて教育産業へ進出した民間企業で、早期教育論や右脳・左脳論を掲げる出版&メディア業界です。彼らは、知育教育に関して「これだけやっておけば大丈夫」という安心感を親に与えるだけでなく、健康や躾、情緒の発達、或は親の悩みといった心理面まで、常に情報不足を感じている親のニーズを上手く掬い上げ、ビジネス・チャンスにしているのです。こうして受験戦争を経験した世代である親は、「短期間で効率的に成果を上げる」という早期教育論者の主張に対して共鳴しがちになるわけです。


■早期教育が流行する要因
■1: 親が自己の育児能力や指針に対して自信喪失
■2: 民間企業が戦略として早期教育産業に参入
■3: メディアによる早期教育の紹介
■4: 少子化で子ども一人にかける期待と時間、費用が増加
■5: ゆとり教育に対する危機感と、その解決法としての先取りとしての教育
■6: 臨界期など脳の発達研究の進度と、それらに対する興味の増大
■7: いわゆるお受験など受験準備・競争の低年齢化

早期教育を導入する家庭の特徴

 一口に早期教育と言っても、それを我が子の教育に取り入れる保護者の目的や実践内容は様々ですが、その中でも親が積極的に早期教育を取り入れるのはに以下のような動機(=考え)が背景にあると考えられます。


■早期教育を子育てに取り入れる動機
 「乳幼児の脳の柔軟性や吸収性、許容量が膨大、或は限りなく無限大だ」という考え方が根底にあって、常に知的刺激を与えるなど幼児の環境を整えることにで個人の持つ能力を最大限に引き出したい、或は早期教育を受けないために後で他の子どもとの間に差が出て後悔したくはない、という気持ち。
 「3つ子の魂100まで」に象徴される、「たとえば絶対音感や外国語のネイティブ並みの発音といった能力は幼い時期にしか獲得出来ない(=必要のない能力は淘汰される)」という臨界期説に則って、臨界期終了(3歳、8歳、12歳がよく挙げられる)までに教育を開始しなければ、本来伸びるはずだった可能性を失ってしまう、という焦り。
 小学校1年生というのは集団生活を開始するのに適した年齢であって、勉強そのものはもっと早くから教えられる、とする考え。
 早期に始めれば始めるほど飲み込みが早く、優秀な成績を収め、難関試験や検定試験にも合格することが出来て、子どもの自信に繋がる、という考え。
 早期教育はこれからの時代を生き残るために不可欠なスキル(例:英語の第2公用語化に見られるような英語力)を身につけるために必要な訓練だ、とする考え。
 一種のエリート教育として、私立幼稚園や小学校の受験準備、またスポーツや音楽を極めるためには早くから始めておく方が有利で、だから、周囲の家庭が早期教育をしているのに遅れを取ってはならない、とする考え。
 知的刺激を常に欲しているギフテッドの子どもを退屈させないために、年齢よりも高いレベルの課題を与えているという比較的特殊な例(=ギフテッド教育)。

生活格差をさらに広げる「早期教育ブーム」

 本節では、早期教育を行なう時期以降の生活を考える上でも、今までとは視点を変えて早期教育が抱える家庭経済上で孕む問題点を参考までに取り上げました。
過剰な早期教育費用が本来必要な生活費を浸食する

 昨今の早期教育ブームの中で、子どもにかけるお金が早期教育のために前倒しで使われ、そのため、将来のために取っておくべき教育費等が貯まらず、早期教育にかかる費用が目先の教育費として消費されているという状況が見受けられます。実際、大学教育にかける教育費が家計や貯蓄から賄えず、奨学金や教育ローンに頼る家庭が昨今非常に増えているのですが、最近の早期教育ブームがそれにさらに拍車をかけてしまう恐れがあるのです。従ってこの状況は、「大学には行かせたいが、費用は人から借りたお金で賄うしかない」という家庭を今後増やすことはあっても、減らす気配は全く見られません。

 早期教育にそれなりの意義があるとしても、金銭的に余裕がある家庭が早期教育にお金をかけるのならばまだしも、一般的な収入の家庭が早期教育に力を入れ過ぎてしまうと、高校や大学時代の教育費が不足するだけでなく、自分たちの老後の生活格差を広げてしまう結果にもなるという現実にも目を向けなければなりません。大体、老後資金が貯まっていない家庭の多くは、教育費を使いすぎたことに少なからずその原因があるのです。
早期教育にお金をかけすぎたツケが・・・

 最近は早期教育的な意味合いの胎教もあるくらいで、最近0歳児から早期教育を行なっている家庭もよく見られるようになってきました。実際、9カ月〜10カ月程度の赤ちゃんが幼児教室や英語教室に通っているケースが増えています。しかも、手取りの月収が20万円台のごく平均的な家庭でそれがよく見られるようになって来ています。そしてそのような家庭では、早期教育にお金をかける半面、夫の小遣いが極端に少ない例もよく見られます。 ちなみに、少子化が一人の子どもにかかるお金を増やしているということはよく知られていますが、そこには「子どもの愛玩動物化」といった事情もあるかも知れません。

 何れにせよ、そのような子どもを巡る教育環境の中で家庭経済的な問題として特に考えておかなければならないことは、本格的に子どもに教育費がかかる時期になると、「子どもにかけられるお金は収入に比例してしまう」という現実です。
 もっとも子どもが小さくて早期教育にお金をかけられる時代は、子どもにかかるお金がまだ少なくて、やりくりも比較的楽な時期に当たるのでまだしもなのですが、本格的に子どもにお金がかかる頃になると、「収入が多い家庭ほど子どもにお金をかけられる」という現実の厳しさと向かい合わざるを得なくなります。収入が少ない家庭でも多い家庭でも、子どもが小さい時にはそれも余り目立たないのですが、教育費が本格的にかかるようになると現実の収入格差を実感せざるを得ないようになるのです。そして、その時に収入に見合わない早期教育を行なったツケが表面化することになるのですが、そのツケ(遅れ)を取り戻す時期は再び訪れないのが教育費の現実とも言えます。
健全な早期教育のために〜あるべき早期教育の姿〜


子どもと生きる力


発達段階を踏まえた子どもに見合った教育を
 早期教育をする場合、乳幼児期の子どもの発達段階を踏まえて無理なく進めてゆくことが望ましいと言えます。近視眼的な目的ではなく長期的な視点に立って、「どういう人間になってほしいのか?」を考え、その都度その子どもに見合った教育をしてゆくべきでしょう。

母親同士の競争をしない
 教育にはゴールがないので、従って勝ち負けもありません。「お友だちが始めたから」とか「あの子はもうあれが出来るから」といった具合に他の子ども我が子とを比較し、我が子に過度の期待を押し付けることで、早期教育が母親同士の競争になってしまわないように気をつけるようにしましょう。

自発的な遊びも大切にする
 本来、子どもは友だちとの遊びの中で多くのことを学んでゆくので、早期教育ばかりに走ることなく、子どもの自発的な遊びの時間も大切にし、バランスの取れた生活が送れるよう心懸けましょう。

親も子も楽しんで学ぶ
 子どもに早期教育を無理やり押し付けようとすると、子どもの親への信頼感が損なわれる恐れがあります。親子の信頼感は将来その子どもが人間関係を築くための基礎なのです。要するに、親子ともども何事も楽しんで学習することが基本になります。

冷静な目で判断する
 ゆとり教育などの影響で、学校教育への不信感から自衛策として早期教育に取り組む母親たちの気持ちも理解出来ないではありませんが、早期教育機関の宣伝文句を上辺だけで捉えることなく、賢い消費者として冷静な目で判断するようにしましょう。

子どもの幸せを一番に考える
 最後に、これが一番大事なことなのですが、人間形成の大事な時期をどうやって育ててゆくかを考え、子どもの将来や子どもの幸せを意識することがまず何よりも大切です。まずは母親自身のための早期教育になっていないかどうかを反省し、暴走してしまわないよう心懸けましょう。とにかく、早期教育はあくまでも子どもの成長のためのひとつの選択肢として、過度になりすぎないように、友だちと遊んだり家族と過ごしたりするのと同じレベルで早期教育に楽しく取り組んでゆくことが大切です。


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