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 泣くことと笑うことは人間にとってとても大切な感情表現です。自然に泣くこと・笑うことが出来なくなった人は、ストレスを溜めて次第に心身の健康を蝕まれてしまいます。
 今回はそのうちの泣くことに焦点を当てて、涙の生理学的な意味も含め、健康のために覆いっきり泣くことの意義を取り上げました。最後に泣ける映画や本をまとめてリストアップして紹介しておきましたので、ぜひ参考にして下さい。

裁判員制度
【1】涙とは?〜涙の生理学とその文化面〜
【2】人は何故泣くのか?〜ストレス解消とカタルシスのために〜
【3】健康のためにしっかりと泣こう〜泣ける映画・アニメ・本などを紹介!〜


【1】涙とは?〜涙の生理学とその文化面〜

 人は何故泣くのでしょうか? 泣くことにはどんな意味があるのでしょうか? 
 本節では涙の生理学的な意味合いについてまずは解説し、併せてその文化面での現われについて紹介・解説しました。
涙とは?

 涙とは、眼球の表面及び結膜臥内に分泌される無色透明の体液のことで、医学的にはこれを涙液と言います。また、涙の分泌と排出に関わる器官を涙器と言い、涙腺と涙道から構成されています。まず涙腺は、爬虫類以上の動物に見られる涙を分泌する器官で、人間では上瞼挙筋の腱によって2分され、眼窩部と眼瞼部からなる重量約1gの主涙腺と、クラウゼ腺とウォルフリング腺とからなる副涙腺とがあります。主涙腺は上円蓋耳側部に開口し、また、クラウゼ腺は上下円蓋部結膜に、ウォルフリング腺は瞼板結膜に各々開口しています。次に涙道は涙の排出路で、内眼角から約6mm耳側の瞼縁に開いている上下2個の涙点に始まり、上下2本の涙小管を経て涙臥に入り、鼻涙管を通って下鼻道に通じています。涙が出ると鼻がぐずぐずするのはこのためです。なお、涙臥は眼窩前部鼻骨の涙臥窩にあり、その形状は上下に長い円筒形であり、また、下鼻道には涙液の逆流を防ぐハスナー弁があります。
 なお、涙腺の分泌が始まるのは誕生後数日経ってからなので、赤ちゃんがいわゆる呱々の声を上げる生まれたばかりの新生児には実は涙は出ていないのですが、その後普通に涙が出るようになると、一般的には若年者では分泌量が多く、老人では少ないと言われ、成人では眼を潤すために生理的に分泌される涙の量は1日2〜3mlあるとされます。ちなみに、人間以外では涙の排出口を探しにくい動物が多く、涙の定量は難しいですが、小動物ほど少ないと想像されています。そのこともあってか、「雀の涙」とか「蚤の小便蚊の涙」などと少量の涙の譬えに挙げられるくらいです。


■涙の種類
■1) 基礎分泌による涙
 眼球に栄養を与えたり雑菌を荒い流したりするための涙で、生活の中で意識することも少ない常に流れるている涙です。
■2) 基礎分泌による涙
 何らかの刺激による反応で流れる涙で、たとえばタマネギを切った時などに出る涙です。
■3) 感情による涙
 悲しい時や辛い時、悔しい時、嬉しい時、感動した時など、いわゆる泣いている時の涙です。そして、この涙にストレスを洗い流す素晴らしい効果があるようです。

涙の生理学
cry(声を上げて泣く)とweep(涙を流して泣く)〜非感情的な涙の生理的機能〜

 泣くには大きく分けて英語の(1)cry(2)weepの2つの種類があります。そして、(1)のcryは「声をあげて泣く」、(2)のweepは「涙を流して泣く」というように区別されます。

 眼から涙が溢れ出ていない時でも、涙は絶えず人の眼球面を流れています。そうした涙液の基礎分泌は、角膜や結膜の表面に潤いを与え、角膜に酸素や栄養を供給し、眼が細菌などに感染することを防いでくれているのです。それでは、大量の涙が瞼の土手を越えて頬を濡らすことには一体どのような機能があるのでしょうか? たとえば海棲の動物の場合、体内の塩分を下げるために塩分の濃い涙を流すことが知られていますが、人間のような陸棲の動物に必要な機能は、眼に入った比較的大きなゴミなど外部から侵入する有害物を体外に排出することで、そのどちらも生命システムを維持することに貢献しています。
 もっとも涙が溢れ出ることに何の機能も考えられない場合、たとえば欠伸の時に出てくる涙などもあります。なお、欠伸の目的は、酸素の不足と二酸化炭素の過剰の解消にあると一般には考えられていますが、この説は必ずしも正しくないようです。それは、より多くの酸素を吸っても欠伸の頻度は減らないし、より多くの二酸化炭素を吸っても欠伸の頻度は増えないからです。その証拠に、羊水に浸かっている胎児もよく欠伸をしますが、これは明らかに呼吸とは関係がありません。退屈するとしばしば手足の伸びが欠伸に伴うことからも分かるように、欠伸とは、じっとしている緊張から身体と心を解放するためのストレッチ体操でもあるのです。欠伸をすると肺が膨らみ、顔の筋肉が引き伸ばされ、身体がリラックスするのですが、その時に顔面筋が涙嚢を押さえつけ、涙嚢に溜まっていた涙を押し流すのです。ちなみに、涙腺は副交感神経の支配下にあるので、リラックスすることによって副交感神経が働くことも関係があるのかも知れません。なお、大笑いしたり、クシャミをしたり、或はものを吐いたりした時に涙が出るのも、これと同じメカニズムによるのですが、排除作用と関わるので、下で詳しく触れるカタルシスとの親近性も考えられるようです。
涙の組成

 涙液の98%は水で、その他タンパク質や電解質、グルコースなどが主として含まれており、その組成はほぼ血漿のそれに類似すると言われます。タンパク質では60%がアルブミンで、残りの20%ずつをグロブリンとリゾチームが占めています。そして、リゾチームは細菌の細胞壁を融解する作用を持つ酵素で、涙液以外にも白血球や鼻粘液、唾液等などにも含まれていますが、このリゾチームとグロブリンの中のガンマグロブリン分画が抗菌作用を司っているのです。また、電解質としてはカリウムが血漿に比べ数倍多いことが知られています。なお、涙液のpHは約7.4、浸透圧は0.9%食塩水とほぼ等しいと言われます。
涙の生理

目と涙 涙の主な役割には、(1)角膜表面を覆って滑らかにし、角膜の光学的機能を維持する、(2)結膜や角膜表面の異物を洗い流す、(3)角膜にグルコースや酸素を与える、(4)抗菌作用などが挙げられます。

 涙液は通常,角膜や結膜に広がって油層や水様層、ムチン層の3層からなる涙液層或は涙膜と呼ばれる層を成しています。最外側の油層は眼瞼にあるマイボーム腺から分泌された脂質で、油膜を張ることによって、涙液が過度に蒸発することを抑え、また、涙液が眼瞼の縁を越えて顔面に溢れ出ることを防いでいます。中間層の涙液は主涙腺と副涙腺から分泌され、その厚さは約7μmです。また、最内側のムチン層は結膜のゴブレット細胞から分泌され、角膜上皮を覆っていますが、これによって角膜表面は親水性となり、涙液層が安定させているのです。そして、分泌された涙液は瞬きによって角膜上に広がり、上記の作用を司って、最後は涙道を通って排出されます。涙液分泌機構の神経支配は極めて複雑ですが、これには一般に三叉神経、顔面神経及び頭部交感神経が関与しています。涙の反射性分泌は角膜や結膜などの三叉神経枝の刺激(たとえば眼への異物飛入)によっても起こるりますが、悲しい時などの精神感動によっても起こります。後者の正確なメカニズムはまだ十分には解明されてはいませんが、脊椎動物の中でこれは人間に特有な現象です。また、顔面神経麻痺後には異常神経支配のため食事中などに涙を出すことがあり、後述するように、これは「ワニの涙」と呼ばれています。そして、涙液は25%が蒸発により失われ、75%が涙道から排出されますが、涙液は瞬きとそれに伴う眼輪筋の収縮によって生じた陰圧により涙臥へと送り出されます。これらの涙液の分泌と排出とのバランスが崩れると流涙(涙目)や眼乾燥感などの自覚症状が出現すると言われますが、正常の場合は、涙腺から分泌される涙液の総量は1日に約0.5〜0.8gとされています。なお、涙液分泌量の臨床的検査法としてはシルマー法があります。その方法は、長さ35mm、幅5mmの濾紙の一端より5mmのところを折り曲げ、その部分を下眼瞼結膜臥に入れ5分間留置するのですが、正常者では折目を起点として涙液で濡れた部分の長さは10〜25mmであるとされます。一般に老人になると涙腺が萎縮するためシルマー値は低くなるとされています。また、就寝時は涙液分泌は殆ど起こらないと言われています。
涙器の疾患


涙道閉鎖:
 閉塞する部位によって「涙点閉鎖」「涙小管閉鎖」「鼻涙管閉塞」に分類されます。また、涙道の狭くなったものを涙道狭窄と言います。症状は流涙で、その原因としては、トラコーマ等による炎症や熱傷、外傷、先天異常などが挙げられています。治療は、涙管ブジー(一種のゾンデ)を涙点から涙道中に挿入し、狭窄ないし閉鎖部を開放します。なお、これによって症状は軽快するのですが、再び閉塞することもあり、根治は比較的難しいとされます。ただし、先天異常によるものの場合は簡単に治癒すると言われます。

慢性涙臥炎:
 鼻涙管閉鎖のために涙臥内に貯留した涙液に細菌が繁殖して起こるもので、流涙はあるものの、炎症による症状は一般に軽く、涙臥部を圧迫すると、膿汁が涙点から逆流します。治療は、抗生物質によって起因菌を撲滅することに努め、かつ根治的に涙臥鼻腔吻合(ふんごう)術を行ないますが、これは涙臥窩の骨壁を切除して、通常は涙臥粘膜と鼻腔粘膜とを吻合する(つなぎ合わせる)方法で、涙液を鼻腔内に排出させます。

急性涙臥炎:
 慢性涙臥炎が急性に悪化したもので、一般に涙臥周囲蜂巣炎の形を取ります。すなわち、涙臥部の皮膚が赤くなって著しく腫れ、疼痛が強く、発熱しますが、通常1〜2週間後に膿点が出現し、自然に排膿して治ります。なお、治癒後に涙臥瘻を残すこともあります。治療は、抗生物質を強力に用い、膿瘍化すれば切開して排膿します。そして、急性炎症がなくなった後、涙臥鼻腔吻合術を行ないます。

シェーグレン症候群:
 乾性角結膜炎や口内乾燥、慢性関節リウマチを主症状とする症候群を言います。病理学的には涙腺や唾液腺の萎縮があり、涙液分泌は低下し、このため角膜は乾燥し、糜爛や混濁が生じます。原因は不明ですが、しばしば膠原病や自己免疫疾患を合併することから、最近では涙腺や唾液腺の自己免疫疾患と考えられています。乾性角結膜炎の治療には、人工涙液や角膜保護剤の点眼、ソフトコンタクトレンズの装用が行なわれます。また、涙点凝固を行なうこともあります。なお、全身的には副腎皮質ホルモンや免疫抑制剤が用いられることも多くあります。

ミクリッツ症候群:
 両側の涙腺と唾液腺が腫れる疾患で、通常は成人に多い症状です。触診によって軟骨様硬度の腫瘍を触れます。その原因としては、白血病や結核、梅毒、サルコイドーシス等があります。なお、稀にインフルエンザや耳下腺炎に合併して急性の涙腺炎が起こることもあるようです。治療には一般的に抗生物質を用います。

涙と文化
涙とその文化史

 大量に流す涙の例には、ナイル川の氾濫を女神イシスの涙と見なしたり、兄カウノスを慕って追うが力尽きて倒れ、その流す涙が泉となったビュブリス(オウィディウス『転身物語』)などが挙げられます。また、古代メキシコの神ショロトルは友の死を悲しんで泣く余り涙で両眼が流出してしまったとも言います。一方では日本でも、殺生を業としていた伊予入道頼義が出家して仏堂を建て、その堂で流した悔過悲泣の涙が板敷より縁に伝い流れて地面に落ちたと言います(『古事談』)。さらに、《いみじう泣けば血のなみだといふものはあるものになむありける》(『大和物語』)と日本の古典にもありますが、中国でも悲憤の末に涙が尽き、血の涙を流したのは楚人の卞和(べんか)で、彼が見つけた宝玉は認められず、欺いた罰として両足を切られ、彼はその玉を抱いて楚山の麓で3日3夜哭泣し続けて、ついに血涙を流したと言います(『韓非子』)。また、始皇帝に徴発されて万里の長城建設に従い、苦役に耐えず死亡した夫に冬服を届けに来た孟姜女が夫の死を知って号泣したところ、涙で長城が崩れてその跡から夫の死骸が現われたという逸話も伝えられています。
 しかし、伝承では生き物だけが泣くのではありません。オウィディウスによればカエサルの死を予見して多くの場所で象牙の神像が涙を流したと言います(『転身物語』)。また、北欧の『スノッリのエッダ』によれば、オーディンの子である善良なバルドルが死んだ時、冥府の女神ヘルは世界中の生きている者と死んでいる者が彼のために泣けば生き返らすと約束したと言い、人間も動物も大地も石も木も全ての金属も泣いたが、悪神ロキが化けたと推測される女巨人ソックだけが涙を流さなかったためにバルドルは蘇らなかったと言われます。なお、16世紀の人アポストリオスは、ワニは人や動物が川に来る姿を見ると、口に溜めた水を道にこぼし、足を滑らせる者に跳びかかり、引きずりこんで食うが、人の全身を食い尽くすために必ずその頭に涙を落とし、涙の熱で髪を抜いてから食べると述べたと言われますが、人の死を望んでいながら心にもなく泣き悲しむことを欧米で「ワニの涙」というのはこのためです。これについては、アポストリオスと同時代のエラスムスもその『格言集』にほぼ同様の話を述べていますが、ナイルのワニは食った人間の頭を嘆き悲しんで落涙するが、それは後悔の念からでなく、肉のない頭は食に向かないと嘆くのだとフォティオスが言っていることから推して、これは3〜4世紀ころからあった話であろうと考えられています。また、このような偽りの涙でなくても、現代の我々から見れば理解しがたい涙の例も少なくありません。たとえばアブラハムの子であるヤコブは従妹ラケルに会った時、口づけして声を挙げて泣いたと言われていますが(旧約聖書『創世記』29:11)、J.G.フレーザーはこれをただの慣習的な挨拶だろうと推測し、他にも似た例を挙げています。それによると、ニュージーランドのマオリ族が友人との別離だけでなく歓迎の際も激しく涙を流し、合図と共に泣き止むこと、また同様のことはアメリカ・インディアンの間にも見られたと16〜17世紀の探検家たちの記録にあり、インドなどにも女の涙の歓迎挨拶があると言います(『旧約聖書のフォークロア』)。
 また、それ以外にも、涙が何か別のものに変わる神話や伝説も多くあります。たとえば愛する息子メムノンを失って以来、曙の女神エオスの流す涙は朝露となって地上の全てを濡らしていると言われます。また、悲しみの妖精の涙は真珠になって虹の7色に光るとも言われます(アンデルセン『最後の真珠』)。なお、涙が真珠に変わる話は他にもあって、たとえば喪服に身を包む時には結婚指輪以外の装身具は本来不可とされていたのに、近年は商業主義によって涙の宝石である真珠、特に黒真珠は身に付けてもよいとされてしまいました。最も創造的なのはエジプトのラー神の涙で、生成の神ケペリとなったラーの涙から人間の男女が造られたと言います(E.A.W.バッジ『エジプトの神々』)。もっともこれは、エジプト語で「涙」と「人」の語の発音が似ているための語呂合せではないかとも言われています。

 なお、いささか余談になりますが、日本の流行歌について調査したところでは、「泣く」という語が動詞の第1位で、「涙」という語が名詞の第1位だったと言います。
宗教と涙

 生理的に言えば涙は分泌物の1種ですが、宗教的に見れば涙は神や仏に対する祈りと懺悔の中で排出される流出物でもあります。しかもそれが受苦と悲哀の度合を深める時は、しばしば失明の誘因となったと言われます。たとえばイエズス会の創立者であるイグナティウス・デ・ロヨラは、その『心霊日記』の中で祈りと観想の中で流した涙について克明に記述し、時に過度の流涙によって失明するのではないかとの怖れを告白しています。また、中国の浄土教の大成者である善導は、その『往生礼讃偈』の中で3種の懺悔を挙げ、流血及び流涙による懺悔の重要性について論じていますが、この考えは日本の親鸞の主著である『教行信証』にも承け継がれました。流涙の現象は、現実の視覚的な世界を涙の膜によって一時的に覆い隠すけれど、しかし同時に全く別個の想像上の体験もしくは世界をそこに現わそうとする主体的な行為でもあるのです。ちょうど糞尿や精液や経血の排出のように、涙は身体の生理的なカタルシスと精神の爽快もしくは再生を得るための象徴的な流出物であると言えるでしょう。
参考:「泣く」の類語


激しく〜声を上げて泣く
 号泣する、慟哭する、泣き伏す、泣き崩れる、くず折れる、取り乱す、気持ちが乱れる、泣きじゃくる、しゃくり上げる、むせび泣く、男泣きする、号泣する、泣き明かす、泣き暮らす、声涙あわせくだる、開けっぴろげで泣く、さめざめと泣く、よよと泣く、おいおい泣く、身も世もなく〜、 身もだえして〜

声を立てずに〜我慢して泣く
 落涙する、涙をこぼす、涙する、目頭を押さえる、声を詰まらせる、声を押さえて泣く、声もなく泣く、涙にむせぶ、涙にくれる、涙が頬を伝う、すすり泣く、すすり上げる、嗚咽する、忍び泣きする、声を殺して泣く、悲しむ、悔しがる、 目を(赤く)腫らして〜、(〜を伝え聞いて)身体を震わせる

嬉しさ〜同情などで泣く
 嬉し泣きする、感泣する、感涙にむせぶ、涙がポロポロこぼれる、もらい泣きする、ホロリとする、涙腺が緩む、涙ぐむ、涙が込み上げる、ウルウルする、目をしばたたかせる、涙目になる

赤子〜幼児などが泣く
 泣き出す、泣き立てる、 泣き喚く、泣き叫ぶ、火がついたように泣く、むずがる、ダダをこねる、愚図る、夜泣きする、(泣き)べそをかく、しくしく泣く、ワアワア泣く、泣き濡れる、しゃくり上げる、メソメソ、泣き虫、 泣き泣き〜する、泣き寝入りする 

参考1:赤ちゃんの泣きパターン


■参考:赤ちゃんの泣きパターン
痛い、苦しい
 注射をして痛かった、お腹が痛い、暑い、寒いなど物理的に苦痛を感じている時。これが一番単純な泣く理由です。甲高く火がついたように泣くので、こういう泣き方の時は早めにケアしてあげるとよいでしょう。
眠い
 赤ちゃんは眠くて泣くこともあります。「寝ぐずり」とも言われています。この場合は、泣いて愚図った後に眠ってしまいます。一声大きく泣き、息を吸ってまた泣く、というようなピッチとパターンを繰り返します。
お腹がすいた
 お腹がすいていて泣くこともあります。おっぱいやミルクを飲むと泣き止む時はこの理由が考えられます。エーン、フェーンなど色々なパターンの組み合わせで泣くことが多いです。
オシッコが出た、ウンチが出た
 排泄に伴う独特の感覚でビックリして泣いているのです。ただ、「オムツが濡れて気持ち悪いのかな?」というのは大人の感覚で、実際にオムツが汚れていてもケロッとしている赤ちゃんもいます。
抱っこしてほしい
 どんな赤ちゃんにも共通しているのは、抱っこされたり身体に触られるととても快感を感じるということです。反対に分離不安と言って一人で置いておかれると不安になります。そのため、抱っこしてほしい時に泣いていることも考えられます。心細げに寂しそうな泣き方をしていたら、それは「抱っこして!」の合図なのかも知れません。


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【2】人は何故泣くのか?〜ストレス解消とカタルシスのために〜

 誰でも思いっ切り涙を流して悲しんだ後で妙にすっきりした気分になったことがあると思います。実は泣くことには身体のバランスを保つ上で大きな役割があったのです。
 「人は何故泣くのか?」という問いを立てた場合、大概は感情的な涙の意味を問うているのですが、本節ではその感情的な涙についてカタルシス(浄化=洗い流し)という側面からアプローチし、そして、最後に「涙を流して泣く」というストレス解消法について紹介・解説しました。
涙と感情の関係

 通常、眼瞼を瞬けば涙の分泌は促進されます。また、催涙ガスや眼中の異物、アンモニア、タマネギ、ワサビなどで涙が出るのは、角膜や結膜、鼻粘膜の刺激によって反射的に分泌が促されるからだと言われます。さらに涙は、悲しみや怒りや喜びなどの感情と共に分泌を増しますが、その涙の量や性質はそれぞれの場合で異なっています。たとえば悲しい時は副交感神経が興奮していて、涙の量は多く、粘液成分と油脂成分が少なくてカリウムがやや多いそうですが、その反対に怒りの際は交感神経が刺激されて生理的な涙と同様の性状でありながら、涙の量はそれほど多くないと言われます。さらに嬉し涙に場合はその量はさらに少量だそうです。
 なお、涙と悲しみとの因果関係については、「悲しいから涙が出る」のではなく、「涙が出るから悲しい」のだとする説(ジェームズ=ランゲ説)が近年は有力ですが、必ずしも定説ではありません。また、動物の仔が泣声を挙げて親などに救いを求めるのと同様に、人が泣いて涙を見せるのもコミュニケーションを目的とした救難信号であると考えられていますが、この場合、「殊に成人男子が泣くことが少ないのは、救難信号を発して自分が弱者であることを表明するのを避けるためである」などと説明されます。怒りや喜び、恐れなどには独自の行動がありますが、悲しみに特徴的な行動はなく、涙という救難信号を発する以外に何も為し得ないことが特徴だと言ってよいでしょう。
涙の心理学〜涙とそのカタルシス的意義〜
感情的な涙についてのフレイの説

 動物と違って人間は、生理的な原因以外にも、感情的な原因で涙を流すことがあります。「何故人は泣くのか?」と問う人が最も関心を持つのは、大抵の場合この「感情的な涙」の謎だと言ってよいでしょう。

 ウィリアム・フレイの調査によると、感情的な涙の原因の内訳は、女性の場合、悲しみが5割、喜びが2割、怒りが1割で、同情・心配・恐怖がこれに続くと言います。また、女性の85%、男性の73%が「泣いた後に気分がよくなった」と答えたと言います 。そしてフレイは、涙に精神的なストレスを解消する働きがあるのではないかと考えました。
 なお、フレイの調査べでは、涙が流れる時に鎮痛効果を持つ快楽物質であるロイシン-エンケファリンが分泌され、涙の中に入ることを発見しましたが、ただしフレイも認めるように、[眼の表面→涙小管→涙嚢→鼻涙管]という涙の通路にはこの快楽物質の受容体が見つかっていません。また、フレイによれば、感情的な涙にはそれ以外の涙と比べて高い濃度のタンパク質が検出されると言いますが、もしもストレスが高まることで何らかの有害物質が体内に発生し、そして涙を流すことでその有害物質が排出されるのならば、フレイの仮説は正しいことになりますが、しかし、そうした証拠は現状ではまだ見つかっていません。フレイはさらに、ストレスへの抵抗力を強化するホルモンの分泌を促す副腎皮質刺激ホルモンが涙の分泌を促す機能も持っているということを発見しましたが、この発見も「なぜストレスを低下させようとすると涙が流れるのか?」という疑問に対する説明にはなっていますが、残念ながら「なぜ涙を流すとストレスが低下するのか」という説明にはなっていません。
“洗い流し”としての涙の象徴的な意味

 先に「泣く」をcryweepの2つに分類して説明しましたが、cryでは、涙は出なくても叫び声が出ます。ストレスを解消する上で重要なことは、cryの場合でもweepの場合でも、“何を出すか”ではなくて、“出すことそのもの”が重要なのではないだでしょうか。たとえば「笑うことで口の中に入った異物を排除し、泣くことで眼に入った異物を涙で洗い流す」というように、両者は生理学的な生体反応を起源としているが、物理的な異物がない時も心のゴミを排除するために物理的異物を排除する時と同じ行為が象徴的に行なわれると考えることができます。

 もっともこのように言うと、「嬉しくて泣く時にも捨てるべき心のゴミがあるのか?」との疑問を懐く人があるかも分かりません。そこで、話を分かりやすくするために、嬉しくて泣く時がどういう場合なのかを具体的に考えてみましょう。たとえば宝くじを引いて偶々当選した人は、嬉しくて歓声を上げたり小躍りしたりすることはあっても、涙を流すことは滅多にありません。これに対して、長い間の努力が実って念願を果たした時、或は長い間無事を心配していた家族と再会できた時などは、それまで蓄積されてきた苦労と心配から解放されて人は涙を流すのです。すなわち嬉しくて泣く時とは、以上の例からも分かるように、棚から牡丹餅が落ちてきた時ではなくて、積もり積もった苦労と心配を洗い流す時なのです。
 それでは、怒って泣く時はどうでしょう。怒りとは、不等価交換で不利益を被っていると感じた時に発生する感情でもあります。たとえば金を騙し取られた時、被害者は投資した金額よりも少ない額しか回収できないために、その差額に比例して怒りとも考えられます。その怒りを騙した相手に向けている時、被害者はカッカとして泣いたりはしませんが、怒りを自分に向け、たとえば「あんな奴に騙されるなんて、自分は何てバカなんだろう」と嘆く時、悔し涙を流すことがあります。だから、怒って泣く時は、このように悲しくて泣く時と心的状態に大差がないのです。そして、悲しさや悔しさ、心配、恐怖といった感情は、自己の存在が危うくなる時に生じる感情です。難しい表現を使えば、自己の存在が危うくなるとは、システムのエントロピーが増大し、環境との差異が維持できなくなりそうになることでもありますが、この時システムは自己を維持するために内部のエントロピーを縮減する、つまり、ゴミを外へ捨てることを試みるわけです。涙を流すということは、悲しさや悔しさ、心配、恐怖といった心の中に生じてくるゴミを象徴的に洗い流し、排除しようとするシステムの自己防衛反応であると解釈することができます。
泣くことのカタルシス的効果

 上で述べた「心のゴミを捨てる」という浄化作用を、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの術語を使ってカタルシスと名付けることができます。アリストテレスによれば、悲劇とは、痛ましさないしは憐れみ(エレオス)と恐れ(ポボス)を通じて、このような諸感情の浄化(カタルシス)を達成する」(アリストテレス『詩学』)行為であると言います。このカタルシスをどう解釈するかをめぐっては諸説があるようですが、最も伝統的な解釈として「瀉出説」があります。瀉出説とは、悲劇の効用を、観客に自分の悲しみを瀉出させ、感情を浄化させる点に求める立場です。「悲劇を観ると悲しみは一層深まるだけで、悲しみが瀉出されるということはない」と言ってこの解釈に反対し、悲劇の効用を道徳的な魂の浄化に求める道徳的教訓説もありますが、しかし、悲劇は勧善懲悪劇ではありません。アリストテレスも言うように、悲劇の主人公は観客の憐れみの対象とならないような悪人であってはいけないのであり、むしろ平均的な観客が自己と同一化することができるようなタイプの人物でなければならないのです。

 それでは、このように観客が悲劇に期待するものがお説教でないとするならばそれは一体何なのでしょうか。それは通常、悲しみだと考えられています。しかし、もしも悲劇を観ることで悲しみがより一層大きくなるとするならば、つまり苦痛が大きくなるとするならば、なぜ観客はわざわざ貴重な時間を割いて、しかも金を払ってまで悲劇を見にゆこうとするのでしょうか。時間と金を消費してまで悲劇を観ようとするということは、観客が悲劇に期待しているものが苦ではなくて快であるからということになります。そして、災難が我が身に降りかかることは苦ですが、その悲しみを打ち消すために涙を流すこと自体は快でもあります。すなわち悲劇の観客は、災難に遭うことを自分たちの分身である悲劇俳優に代行させて、その分身に同情し、涙を流す快だけに与るのです。だから、悲劇を観ることは娯楽でありうるわけです。この点、悲劇を観ることは生贄を屠る儀式に参加することと似ていると言ってよいでしょう。誰も生贄にはなりたくないし、悲劇的な体験の当事者にもなりたくないけれど、しかし、大衆は生贄を殺害して聖なる恍惚を経験することや悲劇を観てカタルシスを経験することなら好んでするのです。これは単なる比喩ではなく、生贄の儀式と演劇には歴史的につながりがあるので、たとえば生贄の儀式とは多少異なりますが、娯楽の少なかった過去の時代においては、公開処刑なども大衆にとっては格好の見世物であり気晴らしだったのです。
 ちなみに、アリストテレスはその『政治学』で、神憑的音楽による宗教的熱狂にもカタルシス効果があると言っています。これは、今の若者がクラブで「エクスタシー」(忘我)と呼ばれるドラッグを服用し、「トランス」(恍惚)と呼ばれる音楽を聴きながら、「アゲアゲ」になって「気晴らし」をしているのを思い浮かべると分かりやすいかも知れません。忘我的恍惚状態において、人は魂が身体から抜け出でて上昇し、心が肉体的な穢れから浄化される、文字通り「気が晴れる」ような浄化の体験をします。なお、アリストテレスはカタルシスについては『詩学』で詳しく論じると言っていますが(『政治学』)。しかし、現存の『詩学』第1巻ではカタルシスという言葉が悲劇の定義に使われているだけで、カタルシスとは何かについて詳しくは論じられていません。『詩学』は、第1巻で悲劇を、第2巻で喜劇を論じることになっていたので、アリストテレスは、失われて今は読むことのできない第2巻で、カタルシスについて詳しく論じていたと推測することもできます。何れにせよ、アリストテレスがカタルシスを悲劇と共に喜劇の効用と認識していた可能性は高いと考えられます。なお、喜劇の観客は、失敗することを喜劇俳優に代行させて、その失敗を笑い飛ばす快だけに与るので、従って喜劇を観ることは娯楽でありうるのです。このように、笑うことと泣くこと、喜劇と悲劇は、通常考えられているほど対立的ではなく、カタルシスという点で共通点が多いと考えられます。
治療としてのカタルシスについて

 カタルシスという言葉は、今日、精神療法の用語として使われています。従って、カタルシスに象徴的意味しかなく、生理学的根拠がないからと言って、何らの医学的な効用もないとは言えません。私たちは象徴的世界で生きている存在であり、「病は気から」なのです。たとえば道化師が病院で患者を大いに笑わせ、現代医学では治療不可能とされている難病を治したといった類の話はたくさんあります。これと同様に、泣きたい時に涙を流して思いっきり泣くこともストレスを発散させるので、笑うことと同様に泣くこともまた健康にとって好ましい事柄です。その証拠と言っては何ですが、男性の平均寿命が女性の平均寿命よりも短いのは、男性は、幼少時から「男のくせにメソメソ泣くな」などと言われて育ち、泣くことを抑制しているためにストレスを溜め込みやすいからだという説すらあるくらいです。

 カタルシスは最もプリミティブな治療方法です。子供の頃に痛くて泣いている時に母親の「痛いの痛いの飛んでいけ」というオマジナイで癒された人も多くいると思います。未開社会の医師である呪術師が行なう治療も実はこれと同レベルなのですが、もっと手の込んだ手法が用いられることもあります。たとえばカナダのクワキウトル族のあるシャーマンは、患者から病原体を吸い取り、それを患者の目の前で吐き出すことで病気を治したと言います(※もっとも、シャーマンが吐き出す「赤い粘々した物」は本当の病原体ではなく、予めシャーマンが口に含み、舌や歯茎から出した血で血まみれにした綿毛の小さな房なので、現代人は「そんな療法はインチキだ」と思う人が大半でしょう。しかし、インチキであれ何であれ、それによって病気が治るとするならば、これはもう立派な医療行為です。) それはともかく、病気が心因性のものであるならば、科学への信仰が篤い医者でもこのようなカタルシスをインチキ扱いすることはできません。たとえばフロイトの精神分析学的な精神病の治療も、無意識へと抑圧された病原体を言語的な表出によって患者の意識に対自化させるのですから、一種のカタルシスと解釈することもできるでしょう。もっともカタルシスによる精神の病の治療は、近代以前でも宗教的な儀式として行なわれていました。たとえば中世ヨーロッパでは、司祭が告解(懺悔)を聞いてあげることで教区民の魂を救済していました。後ろめたい思いを自分の胸の中に仕舞い込むよりも、他者に打ち明けて放出した方が健康的であるわけです。告解の後、「自分がした罪深い行為はこれで全てだ」と思えばむしろ気が楽になります。告解には、だから宗教的儀式としての性格以外に医療的カタルシスとしての性格もあるのです。また、医療的カタルシスの日本での例としては、修験者による悪霊祓いを挙げることができます。汚い手段でライバルを蹴落として権力を握った者が怨霊による復讐を恐れてストレスを溜め込み、病気になったとするならば、祈祷師に祓い清めてもらうことは治療の方法としても有効です。祈祷師は、まず患者に憑いている(と本人が信じている)怨霊を霊媒者に降霊させ、霊媒者の口を借りて祟る理由を語らせますが、その上で祈祷師はその霊体を供養して成仏させます。そこには、2重のカタルシスがあります。怨霊に恨み辛みを吐かせることは怨霊にとってのカタルシスであり、そして、自分を苦しめていた怨霊がカタルシスにより成仏したと想像することで、その患者は自らのカタルシスを成し遂げるからです。
 さらにカタルシスは、個人の病気のみならず社会の病気の治療にも使われます。社会という生命システムは、内部のエントロピーが増大すると、それを縮減するために内部の異物をスケープゴートとして排除しようとします。たとえば社会不安が起きると、大衆迎合型の扇動屋が現われて、「悪いのはみんなコイツのせいだ」と悪者の糾弾を始めるものです。目に見えない社会不安が目に見えるわかりやすい悪者に置き換えられ、それが排除されるのを見て、大衆は平常心を取り戻すのです。大衆は「スケープゴートは悪者だから排除しなければならない」と思っているのですが、実際には「排除するために」スケープゴートは悪者に仕立て上げられるわけです。そして、スケープゴートに本当に責任があるかどうかということは、社会的カタルシスが効果を現わす上では実はどうでもよいことです。それと同様に、苦しい時に排出される涙に実際に苦しみを除去する有効な物質が含まれているかどうかということは、泣くことによるカタルシス効果を現わす上で実はどうでもよいことなのです。排出それ自体に意味があるのだから、感情的な原因で涙を流したり叫び声を上げたりすることに物質的な根拠は不要なのです。
涙とその効果・効能〜上手に泣いてストレスを解消しよう!〜
実験で分かってきた涙の効果

 上でも少し紹介したアメリカのウィリアム・H・フレイ2世博士の実験で、タマネギによる涙と映画の感動による涙とではその成分に違いがあることが分かりました。泣いている時の涙にはACTH(副腎皮質刺激ホルモン)という物質が含まれていますが、ACTHとは、ストレスに反応して心や身体を緊張させたり免疫系に作用する物質と言われています。また、泣いた時にはストレスを和らげる脳内モルヒネの1種であるロイシンーエンケルフェンが分泌されることも分かっています。ちなみに日本での実験によれば、涙を流す前後の血液中のストレス成分を調べたところ、タマネギではストレス成分が増えたのに対して、感動ではそれが大幅に減少したという実験結果もあると言います。このように、涙を流して泣くことでストレスが荒い流され、身体はリセットされていることが分かります。

 なお、感情による涙は感情によって変化のある自律神経と大きな関係があります。たとえば悔しい時や怒った時には心身ともに緊張させる交感神経が働きます。一方、嬉しい時や悲しい時、感動した時にはリラックス時に強く働く副交感神経が刺激されます。たとえば失恋について語られる時、「男性の方が後を引く」とか「女性は立ち直りが早い」などと言われますが、素直に泣けない男性の場合、この悲しみをリセットすることができず、長く引きずってしまっている可能性も考えられます。思いっきり泣くことは、このように時には必要なことなのではないでしょうか。
涙で脳波も変化する!?

 涙は脳波の状態にも影響を与えます。若い女性にテレビドラマを見せ、涙を流した時の脳波の変化を見た実験があるそうですが、それによると、ストレスを示す脳波が話のクライマックスに向かって上昇し、涙を流した瞬間に一気に低下したと言います。その他にも、涙を流した時には体内でロイシン・エンケファリンというストレスを和らげる物質が分泌されるなど泣くことで体が様々に変化することが認められています。
 それでは、ストレス解消の涙を上手に流すには一体どうしたらよいのでしょうか? それには日頃の生活習慣も関わっています。嬉しい時や感動した時は、自律神経のうち副交感神経が強く働きますが、この副交感神経を刺激すればストレス解消の涙が流せるというわけで、そのためにも日頃から適度な運動をし、食事はゆっくり摂ることが基本となります。また、副交感神経は朝や昼間よりも夜間、晴れよりも曇りの方が活発に働きます。また、入浴後など身体が温まって血行がよい時も副交感神経は活発になります。さらに目を乾燥させないことも重要です。仕事でパソコン画面に長時間向かう人は適度に目を休ませたり目薬を差すなど心懸けましょう。
泣くことの意外な効用〜ストレスと涙の関係〜

 連日の残業による疲労や上手くゆかない人間関係といった具合に、私たちの日常生活の中には様々な形でストレスが存在しています。そうしたストレスを上手に解消するためにも、思いきり泣くことは非常に重要です。

 感情を表に出さずに我慢してしまうと、それがストレスとなって心中に溜まってゆきますが、それを外に発散させてくれるもののひとつが「泣く」という行為なのです。このように、涙は目に見える形での分かりやすい感情の表われであると言えます。自分の感情を切り替える上でも、涙はそのためのスイッチとしての役割を果たす象徴的なものであると言えるでしょう。そして、外に発散できず、知らず知らずのうちに心の底に溜めてしまっていた感情を涙という形で洗い流せるとしたら、そうやって泣き終わった後にスッキリした気持ちになるというのも納得できるのではないでしょうか。
 とにかく、涙にはこのような意外な効用があるのに、それに気がついていない人がとても多いようです。ストレスを溜めてないためにも、ぜひ涙を有効利用してほしいものです。
参考書籍:泣くことと感情、ストレスの関係など


□参考図書:泣くことと感情、ストレスの関係など
有田秀穂『脳からストレスを消す技術』サンマーク出版
有田秀穂著
(東邦大学医学部統合生理学教授、セロトニン研究の第一人者)
『脳からストレスを消す技術――セロトニンと涙が人生を変える』
サンマーク出版・08年12月刊、¥1,470
ストレス耐性をつくる「セロトニン生活」と、たまったストレスを一瞬でリセットする「号泣生活」で、心も身体も脳もすべてが健康に! 脳生理学者が考案した、1日5分で効果が出るストレス解消法を紹介。
有田秀穂『共感する脳』PHP新書
有田秀穂著
『共感する脳――他人の気落ちが読めなくなった現代人』
講談社現代新書、講談社・ 07年8月刊、¥756

人間関係の根底にある「共感性」が失われつつある。わが子を愛せない母親、すぐにキレる若者など、殺伐とした現代人に特効薬はあるのか。本書は、脳生理学の立場から「共感」とは何かを問う。人間には本来、他人の表情や態度から直感的に心を読み取る「共感脳」が備わっているという。その働きを活性化するのが、セロトニンという脳内物質。そして、セロトニン神経を刺激するリズム運動や、涙の効用を紹介する。さらに、愛する人の痛みを感じる脳の実験データも興味深い。人間らしさを科学した注目の一冊。


参考2:「泣く夢」の夢解釈

 泣く夢も人がよく見る夢のひとつですが、夢の中で泣く時は心に余裕がある時だと考えられます。それは、泣くことによって自分の優位を確認していると解釈することもできるからです。また、夢の中で泣く行為には、上で見たようなカタルシスとしての心理的な浄化作用もあります。


 夢の中で泣いているのは、ただ単に悲しいだけではなく、泣くことによって誰かが助けてくれるのを期待しているのだと解釈することができます。また、夢で泣くのは、悲しみだけでなく嬉しさが混じっていることもよくあることです。何れにしても泣く夢には、他人の気持ちを惹きつけたいという願望が隠されています。
 そして、泣く夢はストレスの発散や心配事の解消、また健康の回復などを意味しており、概ね吉夢と考えてよいでしょう。具体的に言えば、特定の人の前で泣く夢は、その人に気を使うことに疲れた証で、本音を出せばもっとよい関係を築くことができるでしょう。また、夢の中で嬉し泣きをしていたら、それは格別に大きな喜び事がある吉兆で、泣き方が激しいほど訪れる幸運が大きいことを暗示しています。さらに卒業式などで友達と一緒に泣く夢もよい知らせの前兆です。ただし、泣くのを我慢する夢は、大きな責任やストレスに押し潰されそうになっている状態を表わしていると解釈されます。

 泣く夢は、このように心の中の何かを洗い流したい気分の時に見やすい夢です。とても苦しくて、「泣いてスッキリしたい」という思いから、そのような夢を見るのだと解釈できます。そこに何かメッセージ性があるとすれば、「泣いてよいですよ、泣いて洗い流してしまいなさい」と、夢を見ている人に対して夢が教えてくれていると考えることができます。従って、泣く夢を見た翌朝は心が少し軽くなっているはずです。

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【3】健康のためにしっかりと泣こう〜泣ける映画・アニメ・本などを紹介!〜

 以上見てきたように、心身の健康のためにもしっかりと心おきなく泣くことは大事です。本節ではそのための参考に、泣ける映画やアニメ、本などを特集しました。(※なお本節で挙げた紹介文は、それぞれリンク先のYAHOO!映画やAmazonの解説文を一部訂正した上でほぼそのまま使っています。) 
泣ける映画


◇特選1:泣ける映画6本
映画:禁じられた遊び
『禁じられた遊び』
1952年・フランス 上映時間:87分
YAHOO!映画評:平均4.48点
解説:1940年6月、南仏の田舎。機銃掃射で両親を失い、さまよっていた5歳の少女ポーレットは、少年ミシェルと出会い彼の家に連れていってもらう。ポーレットのために死んだ子犬の墓を作るミシェルから、死んだものはこうやって葬る事を教わったポーレットはミシェルといっしょに次々とお墓造りをしていった……。
映画:レオン/完全版
『レオン/完全版』
1994年・フランス/アメリカ 上映時間:133分
YAHOO!映画評:平均4.74点
解説:孤独な殺し屋・レオンと、家族を惨殺された少女・マチルダの出逢いと別れを描いた「レオン」に、22分の未公開シーンを加えた完全版。ふたりが心を通わせていく過程が、さらに緻密に描かれ、切なさがより胸を締めつける。
映画:ポネット
『ポネット』
1996年・フランス 上映時間:99分
YAHOO!映画評:平均3.80点
解説:4歳の主演少女ヴィクトワール・ティヴィソルが、96年のヴェネチア映画祭で女優賞を受賞した感動作。愛する母親の死に直面した4歳の少女が、死と向かい合いながら乗り越えてゆくまでを心温かい眼差しで描く。史上最年少で受賞した、ティヴィソルの純朴な演技は絶品。事故で亡くなってしまった母親を、ひとり待ち続ける少女ポネット。そんな彼女を見た周囲の大人達は、彼女に死の意味を教えるが、ポネットは逆に自分の世界に閉じこもってしまう。そんな時、彼女の前にある“軌跡”が訪れるが……。
映画:ALWAYS 三丁目の夕日
『ALWAYS 三丁目の夕日』
2005年・ 日本 上映時間:133分
YAHOO!映画評:平均4.30点
解説:昭和33年の古きよき日本を舞台に、家族の触れ合いを描いた心温まる人情ドラマ。下町の住民たちには、吉岡秀隆、堤真一、小雪、薬師丸ひろ子ら豪華メンバーが集まり、昭和の雰囲気を存分にかもし出している。『Returner リターナー』などVFXを使用した作品の多い山崎貴監督が、本物に引けを取らないほど美しい夕焼けを作り出すことに成功した。ほかにも建設途中の東京タワーなど、当時の日本が忠実に再現されている。また、07年には続編である『ALWAYS 続・三丁目の夕日』が制作されている。
あらすじ:東京下町の夕日町三丁目に住む鈴木家に、集団就職のために上京してきた六子(堀北真紀)が住み込むことになる。また鈴木家の向かいにある駄菓子屋の店主(吉岡秀隆)も、見ず知らずの少年の面倒を見ることに……。
映画:明日の記憶
『明日の記憶』
2005年・ 日本 上映時間:122分
YAHOO!映画評:平均4.22点
解説:第18回山本周五郎賞を受賞した荻原浩の同名長編を原作に、『トリック』や『ケイゾク』の堤幸彦監督が映画化した人間ドラマ。若年性アルツハイマー病に侵された男と、ともに喪失を乗り越えようとする妻の夫婦の情愛をたおやかに描く。互いを受け止め合い、痛みを共有する熟年夫婦を渡辺謙と樋口可南子が好演。人を愛することの根源的な意味を問いかける重厚なテーマを、ソフトな語り口でつづる堤監督の演出手腕が冴え渡る感動作。
あらすじ:広告代理店に勤める佐伯雅行(渡辺謙)は、平凡だが幸せな暮らしを送っていたが、ある日突然若年性アルツハイマー病に襲われる。あらゆる事柄をメモに取り、病魔と必死に闘い始める夫を、懸命に受け止め、慈しみ、いたわる妻(樋口可南子)。彼女は共に病と闘い、来るべき時が来るまで妻であり続けようと心に決めるが……。
映画:西の魔女が死んだ
『西の魔女が死んだ』
2008年・日本 上映時間:115分
YAHOO!映画評:平均4.14点
解説:梨木香歩のロングセラー小説を映画化した、祖母と孫のひと夏の暮らしを描いたファンタジー。西の魔女ことイギリス人のおばあちゃんを大女優シャーリー・マクレーンの娘のサチ・パーカーが演じ、ともに過ごす少女に新人の高橋真悠がふんし、豊かな自然の中で心温まる交流をはぐくんでいく。魔女になるための修行を通して語られる一つ一つの言葉がどれも魅力的で、魔法のようにすんなりと心の中に入り込んでくる。
あらすじ:中学生になったばかりのまい(高橋真悠)は登校拒否になり、大好きなおばあちゃん(サチ・パーカー)の住む田舎で過ごすことになる。日本に長年住むイギリス人のおばあちゃんは、西の魔女と呼ばれていた。まいはおばあちゃんから魔女の手ほどきを受け、何でも自分で決めるということを教わる。

泣けるアニメ


◇特選2:泣ける映画6本特選2:泣けるアニメ6本
アニメ:劇場版 フランダースの犬
『劇場版 フランダースの犬 』
1997年・日本 上映時間:103分
YAHOO!映画評:平均4.50点
解説:1975年に放送された、大ヒットテレビシリーズ『フランダースの犬』。それから23年を経て、初の劇場版長編アニメーションとして復活。午乳運びをしてなんとか生計をたてていた少年ネロとそのおじいさん。ある日、二人は金物屋に酷使され、弱りきって野原に捨てられていた労働犬を拾う。その老犬はネロの3日3晩にわたる付きっきりの看病の甲斐あって、無事元気を取り戻した……。それは、後に深い絆で結ばれることになるネロとパトラッシュとの運命的な出会いだった。
アニメ:河童のクゥと夏休み
『河童のクゥと夏休み』
2007年・日本 上映時間:138分
YAHOO!映画評:平均4.42点
解説: 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』などで高い評価を受ける原恵一監督が、5年の制作期間を経て完成させた感動のアニメ超大作。児童文学作家、木暮正夫の「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」を原作に、現代によみがえった河童と少年のひと夏の交流を美しい日本の風景の中に描く。家族のきずなや友情、自然環境など現代社会で問題になっているテーマをさりげなく盛りこんだストーリーに心を揺さぶられる。
あらすじ:夏休み前のある日、康一が学校帰りに拾った石を洗っていると、中から河童の子どもが現れた。 第一声から「クゥ」と名づけられた河童は人間と同じ言葉を話し、初めは驚いた家族もクゥのことを受け入れ、クゥと康一は仲良しになる。やがてクゥが仲間の元に帰ると言い出し、康一はクゥを連れて河童伝説の残る遠野へ旅に出る。
アニメ:風の谷のナウシカ
『風の谷のナウシカ』
1984年・日本 上映時間:116分
YAHOO!映画評:平均4.37点
解説:宮崎駿オリジナルの原作漫画を映画化した劇場用アニメーション。地球壊滅後の近未来を舞台に、“腐海”と呼ばれる毒の森に生きる人々の闘いを描く。文化論を躍動感溢れる娯楽作に昇華させた宮崎駿の手腕はさすが。また、鬱蒼とした腐森や数々の巨大な虫たちを具現化した美術も素晴らしい。海から吹く風によって腐海の毒から守られている「風の谷」。ある日、虫に襲われた輸送飛行船が風の谷に墜落する。船内には、“火の七日間”と呼ばれる最終戦争で地球を壊滅させた「巨神兵」の核が積まれていた。やがて巨神兵をめぐり闘争が勃発し、風の谷の王妃ナウシカも陰謀渦巻く戦乱に巻き込まれてゆく。
アニメ:火垂るの墓
『火垂るの墓』
1988年・日本 上映時間:88分
YAHOO!映画評:平均4.14点
解説:自らの体験をもとに書いた、野坂昭如の同名小説をアニメ映画化。戦争によって両親を失った幼い兄妹がたどる過酷な運命を描く。高畑勲監督のリアルかつ繊細な演出により、兄妹の孤独な心情を見事に活写。ふたりの運命を予見するような、闇夜を照らす蛍の姿が痛烈に迫る。また、昭和20年代の日本の生活を克明に描写した美術・演出も秀逸。昭和20年の神戸。急な空襲で母が入院した、14歳の清太と4歳の節子兄妹は、叔母のもとを頼りに訪れる。だがふたりの母が亡くなったのを機に叔母は彼らを邪険にしはじめ、清太は節子を連れて誰もいない防空壕へ。ふたりだけの自炊生活をはじめるが・・・。
アニメ:秒速5センチメートル
『秒速5センチメートル』
2007年・日本 上映時間:60分
YAHOO!映画評:平均4.04点
解説:個人制作アニメーション『ほしのこえ』でデビューし、国内外で高い評価を受けた前作『雲のむこう、約束の場所』から2年、新海誠監督の待望の最新作。誰もが通り過ぎゆく日常を切り取った、切なくも美しいラブストーリー。一人の少年を軸に、ヒロインとの再会の日を描いた『桜花抄』、別の人物の視点から描く『コスモナウト』、そして彼らの魂のさまよいを切り取った『秒速5センチメートル』という三本の連作アニメーションからなる本作。映像の美しさに定評のある新海監督の、光や風、天や草木などの自然描写は極上。
あらすじ:小学校の卒業と同時に離ればなれになった、遠野貴樹と篠原明里。そのとき、二人の間には二人だけの特別な想いが存在していた。しかし、無情にも時だけが過ぎてゆく……。そんな日々を重ねたある日、ついに貴樹は明里に会いに行くことを決意。訪れた約束の日、チラホラと舞う雪がスピードを増し、辺りを白く包んで行った……。
アニメ:サマーウォーズ
『サマーウォーズ』
2009年・日本 上映時間:114分
YAHOO!映画評:平均4.26点
解説:単館公開からスタートし、口コミでロングランヒットとなった『時をかける少女』の細田守監督が放つ劇場アニメーションの最新作。ふとしたことから片田舎の大家族に仲間入りした天才数学少年が、突如世界を襲った危機に戦いを挑むことになる。主人公の少年・小磯健二の声を担当するのは、『千と千尋の神隠し』などで声優としても定評のある実力派若手俳優・神木隆之介。良質なアニメーション映像と、壮大なスケールの展開が見どころ。
あらすじ:天才的な数学力を持ちながらも内気な性格の小磯健二は、あこがれの先輩・夏希に頼まれ、長野にある彼女の田舎へ。そこで二人を待っていたのは、大勢の夏希の親せきたちだった。しかも、健二は夏希から「婚約者のふりをして」と頼まれ、親せきの面々に圧倒されながらも大役を務めることに……。

泣ける絵本など


◇特選3:泣ける映画6本特選3:泣ける絵本など4本
佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社の創作絵本
佐野洋子著
『100万回生きたねこ』
講談社の創作絵本、講談社・77年10月刊、¥1,470
読者評価平均4.67点(Amazonカスタマーレビュー数179件)
解説:「これはひょっとすると大人のための絵本かもしれないが、真に大人のための絵本ならば、子供もまた楽しむことができよう。それが絵本というものの本質であるはずだ。そして『100万回生きたねこ』は、絵本の本質をとらえている。」(週刊朝日書評より)
「このとらねこ一代記が、何を風刺しているかなどと考えなくても、すごいバイタリティーをもって生き、かつ死んだ話をおもしろいと思ってみればよいと思う。上級から大人まで開いてみて、それぞれに受けとめられるふしぎなストーリーでもある。飼い主へのつながりが無視され、前半と後半が途切れているようで、みていくとつながってくるふしぎな構成である。」(日本経済新聞「こどもの本」書評より)
100万回生まれかわっては、飼い主のもとで死んでゆく猫。飼い主たちは猫の死をひどく悲しんだが、猫自身は死ぬのなんか平気だった。ある時、猫は誰の猫でもない野良猫となり、一匹の白猫に恋をする…。
スーザン・バーレイ
スーザン・バーレイ著、小川仁央訳
『わすれられないおくりもの』
児童図書館・絵本の部屋、 評論社・ 86年10月刊、¥1,260
読者評価平均4.78点(Amazonカスタマーレビュー数41件)
解説:水彩とペンで描かれるイラストが暖かい、スーザン・バーレイのデビュー作。イギリスでは最もなじみの深い動物のひとつであるアナグマを主人公にした本書は、「身近な人を失った悲しみを、どう乗り越えていくのか」ということをテーマにした絵本。
賢くて、いつもみんなに頼りにされているアナグマだが、冬が来る前に「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して死んでしまった。悲しみにくれる森の動物たちは、それぞれがアナグマとの思い出を語り合ううちに、彼が宝物となるような知恵や工夫を残してくれたことに気付いていく。そして、春が来る頃には、アナグマのことは楽しい思い出へと変わっていった……。たかが子ども向けの絵本とあなどるなかれ。子どもたちに「死」について考えるチャンスを与え、すでに「死」を理解する大人にも静かで深い感動をもたらす。親しい人とのお別れを経験した方に、心を込めて贈りたくなる。
アナグマは、もの知りでかしこく、みんなからとてもたよりにされていた。冬のはじめ、アナグマは死んだ。かけがえのない友を失った悲しみで、みんなはどうしていいかわからない…。友だちの素晴しさ、生きるためのちえやくふうを伝えあっていくことの大切さを語り、心にしみる感動を残す絵本。

菊田まりこ『いつでも会える』学習研究社
菊田まりこ著
『いつでも会える』
学習研究社・98年11月刊、¥998
読者評価平均4.87点(Amazonカスタマーレビュー数91件)
解説:ぼくには、だいすきで大切な人がいる。それは突然のことだった…大好きな飼い主を突然亡くした犬のシロの心の移ろいが淡々と描かれる。小さく無邪気なシロが大きな悲しみを懸命に乗り越えようとする姿が胸を打つ感動の絵本。大人が呼んでも泣ける。
フィリパ・ピアス著『トムは真夜中の庭で』岩波少年文庫
フィリパ・ピアス著、スーザン・アインツィヒ絵、高杉一郎訳
『トムは真夜中の庭で』
岩波少年文庫041、岩波書店・00年6月刊、¥756
読者評価平均4.68点(Amazonカスタマーレビュー数22件)
解説:知り合いの家に預けられて友だちもなく退屈しきっていたトムは、真夜中に古時計が13も時を打つのを聞き、昼間はなかったはずの庭園に誘い出されて、ヴィクトリア時代の不思議な少女ハティと友だちになります。「時間」という抽象的な問題と取り組みながら理屈っぽさを全く感じさせない、カーネギー賞受賞の傑作です。75年刊の新版。
友だちもなく退屈しきっていたトムは、真夜中に古時計が13も時を打つのを聞き、昼間はなかったはずの庭園に誘い出されて、ヴィクトリア朝時代の不思議な少女と友だちになり…。

泣ける小説など


◇特選4:泣ける映画6本特選4:泣ける小説など5本
小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫
小川洋子著
『博士の愛した数式』
新潮文庫、新潮社・05年11月刊、¥460
読者評価平均4.31点(Amazonカスタマーレビュー数215件)
解説:「ぼくの記憶は80分しかもたない」 博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた―記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。余りに悲しく暖かい奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』早川書房
ダニエル・キイス著、小尾芙佐訳
『アルジャーノンに花束を』
ダニエル・キイス文庫(新書)、早川書房・99年10月刊、¥861
読者評価平均4.52点(Amazonカスタマーレビュー数163件)
解説:超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代のバイブル。SFの傑作であると共に読者を深い感動に包み込む不朽の長編小説。
チャーリィは陽気な32歳。でも、彼は幼児の知能しかない生まれながらの知的障害者だ。パン屋で働き、夜学に通う。そんな彼に夢のような話が舞い込んだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に連日検査を受けることに。そして、やがて手術によりチャーリイはIQ185の天才に変貌するが、その一方で驚くべき天才ネズミとなったアルジャーノンは急速に知能が後退してゆく。果たしてチャーリィは? 
三浦綾子『塩狩峠』新潮文庫
三浦綾子著
『塩狩峠』
新潮文庫、新潮社・73年5月刊、¥660
読者評価平均4.39点(Amazonカスタマーレビュー数97件)
解説:結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が塩狩峠の頂上に差し掛かった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけるが…。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救ったクリスチャンの一青年の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。なお、作者は『氷点』でデビューしたプロテスタントのクリスチャン信者の作家。
大崎善生『聖の青春』講談社文庫
大崎善生著
『聖の青春』
講談社文庫、講談社・02年5月刊、¥730
読者評価平均4.89点(Amazonカスタマーレビュー数58件)
解説:話題の作家のデビュー作.
難病と闘いながら29年の短い生涯を生き抜いた天才棋士、村山聖・A級8段の伝記。その生涯は純粋で激しく哀しいが、温かい。水晶のように純粋で、温かい輝きを放つ人生の記録。ただし、将棋の知識は必要ありません。第13回新潮学芸賞受賞作。
病と闘い、将棋に命を賭けた「怪童」の純真な一生を師弟愛や家族愛を通して描くノンフィクション。 重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖(さとし)。享年29歳。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた「怪童」の一生を師弟愛や家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動のノンフィクション。

帚木蓬生『閉鎖病棟』新潮文庫
帚木蓬生著
『閉鎖病棟』
新潮文庫、新潮社・97年5月刊、¥580
読者評価平均4.37点(Amazonカスタマーレビュー数45件)
解説:著者はテレビ局勤務の後、九州大学医学部で学び、現在も現役の精神科医という異色の経歴を持った作家。1979年のデビュー後、様々なジャンルで小説を発表し、1992年に日韓史の深部を描いた『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を受賞。1995年に精神科医という自らの職業に深い関わりを持つ本書で山本周五郎賞を受賞した。
九州地方のとある精神病棟。患者たちはそれぞれに退院できない理由を抱えながらも互いに助け合い、日々の瑣末な出来事に希望を見出しながら明るく暮らそうとしていた。しかし、皆で回復を温かく見守ってきた通院患者の女学生に起きたある事件がやがては殺人に発展してしまう。殺人を犯した者、それを知っていた者、彼らが守ろうとしたものは何だったのか……。物語に挟みこまれる登場人物の過去のエピソードによって、入院患者たちは過酷な体験によって傷つき、日常生活が困難になった心弱き者たちであり、それぞれに複雑な人生を背負っていることが分かる。全ての登場人物に余計な感情を差し挟まない抑制の効いた文体の中から、時折り生きることに不器用な者たちへの著者の優しい眼差しが垣間見える。彼らが人生をかけて守ろうとした「何か」が明らかになるラストでは、厚い雲の間から差し込む一条の光のような希望を見出せるはずだ。
とある精神科病棟。重い過去を引きずり、家族や世間から疎まれ遠ざけられながらも明るく生きようとする患者たち。その日常を破ったのはある殺人事件だった……。彼を犯行へと駆り立てたものは何か? その理由を知る者たちは……。現役精神科医の作者が病院の内部を患者の視点から描く淡々としつつ優しさに溢れる語り口、感涙を誘う結末が絶賛を浴びた。


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