【1】笑いの起源とその人間的意味 |
人間にとって笑いとは何でしょうか? 本節では笑の起源や笑いが人間の文化に持つ意味について取り上げ解説しました。
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笑いとは? |
笑いは人間における感情表出の一つです。日本語における笑いには様々なニュアンスが含まれており、その違いは、たとえば微笑や苦笑、冷笑、嘲笑、大笑い、嬌笑、哄笑という具合に形容詞を頭につけることによって表わされます。これに対して英語では、声を立てるか立てないかを大まかな基準として、
laugh(笑い)と smile(ほほ笑み)の区別が為されています。上の例で言えば、最初の微笑や苦笑、冷笑、嘲笑はsmile、後の大笑いや嬌笑、哄笑はlaughの範疇に入ります。
このような区別はありますが、一般的には、笑いとは一連の顔面筋を共動させる一定の表情運動を伴う快適な情動反応を言います。笑いには上で述べたように微笑や苦笑、哄笑、嘲笑など様々なものがあります。微笑は乳児期に既に出現するもので、当初は哺乳の満足時に生じるものですが、やがて他人からの刺激によって引き起こされる社会的微笑が出現します。その後暫くすると、物理的刺激を突発的に与えたりすることで哄笑するようにもなります。笑いは、(1)身体への刺激による笑い、(2)嬉しさの笑い、(3)可笑しさの笑い、(4)照れ隠しの笑い、(5)演技としての笑い、(6)病的な笑いのようにも分類することができます。その中でも、まず身体への刺激とは、くすぐるような場合で、乳児期にもよく見られるし、幼児では遊びに取り入れているものです。これは、嬉しいという情動に伴う反応である嬉しさの笑いと共に猿にも見られることから、身体への刺激による笑いと嬉しさの笑いは笑いの原型と考えられます。次に可笑しさの笑いは、(1)機知(wit)や(2)滑稽(comic)、(3)諧謔(humor)の3つに大別されます。また、照れ隠しの笑いは、人前で失敗した時にその恥ずかしさを隠すために笑う場合を言います。そして、演技としての笑いの代表は挨拶における笑いであって、内心は嬉しくも可笑しくもないのに他人に微笑してみせることがあるのはそれです。なお、病的な笑いには統合失調症に見られることがあるもので、他人にはなぜ笑っているのか理解できない空笑いや、笑うべき理由なしに現れるてんかん性の短い笑いである笑い発作(laughing
attack)などもあります。
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笑の起源 |
動物に笑いを認めるかどうかは専門家でも議論の分かれるところですが、人間以外の動物では表情筋が発達していないという解剖学上の理由もあって、ハッキリと人間の笑いと同一視できるものはありません。しかしながら、少なくとも笑いの原形と見なしうるような表情が高等動物、殊に犬や猿類に認められるのも事実です。
 人間の笑いのうち、smile(微笑み)とlaugh(笑い)がそれぞれ別の起源を持つと主張する動物学者もいます。すなわち、微笑み(smile)は高等霊長類の劣位の表情に、一方、笑い(laugh)は威嚇の表情に由来するというのです。劣位の表情は逃走の際、それも退路を断たれたような時によく見られるもので、窮地に陥った猿は唇を横に引き、歯を剥き出して、服従や防衛、または敵対心放棄の心情を示します。そして耳を倒し、キーキーといった声を出すか、或は沈黙したまま唇を引いて歯を剥き出す形を取ります。これは服従ないし防衛つまり敵対心の放棄の意味を持ち、転じてチンパンジーでは親愛の信号として発展し、人間のsmileに通じる一方、追従や諂い、お世辞笑いに変ずることもあります。要するにこれは、人間の微笑みが親愛の意思表示としてだけでなく、強者に対する諂いやおべっかという文脈で用いられることとよく符合するものです。これに対して威嚇の表情は追撃の際などに見られるもので、口を大きく開いて相手を睨み、次の段階でオーまたはアーと声を出して相手に対し優越性を表わします。この表情には攻撃的かつ優越的な意味合いが明白ですが、転じてチンパンジーでは陽気な気分の表出として遊びの信号としても用いられています。これは、大声を伴う人間の笑いがしばしば攻撃的な文脈で見られることとよく符合するものです。人間のlaugh(笑い)は要するに猿におけるこの表出が発展したもので、そんな訳で人間が高笑いをする時は多分に攻撃的であると考えることができます。たとえば子どもたちの間でも、服従的な子が威張っている子と友達になろうとする時の方が、優位の子が弱い子と仲よくしようとする時よりも、相手に笑って見せることが多いものですが、これと同じで、友好関係を願う人間が相手に微笑むのは、猿が恐ろしい相手にただ歯を剥き出すのとそれほど違わないことを示しています。
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笑いの表情 |
霊長類における笑い声 |
チンパンジーやゴリラ、ボノボ(ピグミーチンパンジー)、オランウータンは、取っ組み合いや追っかけっこ、くすぐりあいなどの遊びにおいて、人間の笑い声に似た声を上げます。くすぐられるとか追いかけられるといった受身の側のチンパンジーが笑うことが多いのですが、チンパンジーのこの種の行動は野生状態でも飼育下でも見られます。人間とチンパンジーは、腋の下や腹などくすぐられた際に笑いが生じやすい、すなわちくすぐったく感じる身体の部位が共通しているのです。そして、プレイ・フェイスは遊びを誘う時や一人遊びでもよく見られますが、笑い声が起こるのは他者との遊びが始まってからです。また、チンパンジーは大人になってからも(遊ぶことが減るので頻度は下がるものの)笑います。なお、人間との違いとして、人間は笑い声が伝染して多数が一斉に笑うことがあるのに対して、チンパンジーにはそのようなことがないこと、また、野生のチンパンジーには言語によるユーモアや嘲笑、他者を笑わせるおどけの行為が見られないことなどが挙げられます。また、チンパンジーの笑い声は呼気と吸気が交互に繰り返されることが多い点、そして、しゃがれ声であるという点で人間の笑い声と音響的に異なっていることが指摘できますが、この違いは人間が言語能力を発達させる方向に進化・適応した結果であろうと考えられます。
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人間における笑いの表情 |
笑いと言うと、通常は顔に表れる笑いが目につきますが、それはたとえばニッコリとかニヤニヤとかいう言葉で表現されます。何れも表情筋の運動によって作られる笑いです。その程度が強まるにつれて、口がやや開き、口角が外側方へ引かれ、目元が細くなり、目尻に皺が寄ります。感情がさらに強くなると呼吸運動がこれに加わります。横隔膜が断続的に痙攣することにより小刻みに呼気が発せられ、声を伴うようになるわけです。日本語ではハハハ、ホホホ、フフフ、ヘヘヘ、ヒヒヒと表現されたりして、これらは開放的から抑制的なものへ、また、情緒的から作為的なものへ移ってゆきます。これらの笑いでは、顔はやや上向きですが、遠慮がちな笑いの際には顔は下を向き、クックックッと押さえた声が出ることもあります。日本語でも英語でも、様々な笑いは擬態語で表現されます。思わず引き込まれた笑いとか、爆笑や哄笑など自然な笑いの際の顔は左右対称な動きを示すのが普通で、苦笑や嘲笑、諂い笑いなど作為的な笑いの際には顔の動きは非対称的になります。
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笑いの発達 |
微笑は新生児においても観察され、覚醒時のみならず睡眠中にも規則的な周期を伴って生起します。これは新生児微笑と呼ばれるもので、養育者の注意を引き関心を維持させる機能を担った生得的行動と推測されています。その証拠に、新生児微笑に対して養育者は高い確率で実際にポジティブな応答を返すことが知られています。このような相互作用の結果、乳児は生後2〜3か月の頃から社会的交渉を持つために周囲の者に対して自発的に微笑を向けるようになりますが、これを社会的微笑と言います。
次に発声を伴う哄笑は生後3.5〜4か月になって出現します。これは何らかの外的刺激への反応として生じるもので、社会的微笑から派生したものと考えられています。しかし、笑いを喚起する刺激には驚きや恐怖をもたらす要素が含まれることから、発達的に先行する泣きから派生したものと見る説もあります。
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笑いの性質とその種類 |
笑いは、目や耳などから入ってきた様々な刺激情報が脳に伝わって発生するももで、それは自律神経にも影響を及ぼします。大抵の笑いは副交感神経が活発に働くリラックスした状態をもたらします。「笑うと消化がよくなる」などと言われることがありますが、それは副交感神経優位の時には消化器官が活発に働くことと関連しています。なお、冷笑などの攻撃の笑いの一部でのみ交感神経の緊張が高い状態にあるとされます。
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快の笑い |
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- 本能充足の笑い:満腹した時など本能的な欲求が満たされると現われる
- 期待充足の笑い:試験に合格したなど望みが叶った時の感情的に最も明るい笑い
- 優越の笑い:失敗をネタにする漫才、権力者をこきおろすなど嘲笑う笑い。ストレス解消に役立つ場合も
- 不調和の笑い:意味を取り違えた時などの笑い。喜劇によく登場する
- 価値逆転・低下の笑い:夏目漱石『我輩は猫である』の猫が人間を笑うなど本来下の立場にある者が上にある者を笑う時のもの
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社交場の笑い |
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- 協調の笑い:挨拶の笑みなど相手と美味くやってゆきたいことを表わす笑い
- 防御の笑い:苦笑い、いわゆるジャパニーズ・スマイルなど
- 攻撃の笑い:冷笑、ブラックユーモアの笑いなど
- 価値無化の笑い:笑って誤魔化す、苦笑、笑い飛ばす時の笑い
- 緊張緩和の笑い:強い緊張が緩んだ時の笑い。危険が去った時に思わず出る笑い。ジェットコースターに乗った後の笑いも同じ
- 弱い緊張が緩んだ時の笑い:「なーんだ」と分かった時に思わず出る笑い。くすぐられた時の笑いなど
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文化現象としての笑い |
笑いは嬉しさや可笑しさという陽気な感情を表す精神=身体運動です。笑いを引き起こす精神内容や身体に表われた動きは極めて複雑です。英語では発声を伴う笑いをlaugh、伴わないものをsmileと分けて用いますが、日本語では後者を微笑みと呼び、これに対し前者を狭義の笑いとします。怒りや悲しみは人間以外の動物でも見られますが、笑いは一般的でないために、人間だけが「笑うことのできる動物」と称されて来ました。しかしながら、先にも詳しく説明したようにチンパンジーはある種の人間的な笑顔を作ります。また、発情した牝馬の尿は独特な匂いを放つため、牡馬はその匂いをより多く吸い込むように鼻孔を広げる独特の表情を作りますが、これを馬が笑う(フレーメン反応)と言います。なお、犬は尻尾など全身で喜びを表わすため、これを嬉しさの笑いと同一視することも可能とは言えますが、しかし、犬の顔の筋肉は単純であるため、人間の笑いに相当する動きは示しません。
一方、人間の笑いは、生後に学習するのではなく、生まれつき備わった能力によるもので、目が見えず耳も聞こえない幼児でも、母親がくすぐってやると笑顔が現われます。新生児が生まれて間もなくミルクを飲んだあと目を閉じて微睡んでいる時などに笑顔をみせることは昔から知られており、「神様がくすぐるのだ」などという言い方がされてきました。また、3ヵ月くらいになる、誰かが顔を近づけたりすると笑うようになりますが、これは3ヵ月微笑と呼ばれ、対人関係のための自発的な笑いとして、幼児の正常な心身の発育の指標とされています。ただし、発現の遅速の個体差はかなりの幅があって、3ヵ月微笑は、たとえば捨子の養育院などで世話された母親を持たない新生児では、発現がひどく遅れたり観察されなかったりすることが知られていますが、発育が正常であれば8ヵ月では人見知りによる不安を示すようになります。また、特定の愛情対象に対する笑顔が明瞭になるのもこの時期です。こうして発現する新生児の笑いは、単に新生児の発育の指標であるばかりでなく、母親や保育に当たる人にとっても重要であることがよく分かります。このように、母親は新生児の笑顔、特に自分に向けられた笑いによって育児の苦労を癒される面がありますが、乳幼児のきげんのよい笑いは,単に保育の場で効果があるだけでなく、周りの成人たちの積極的な関心を惹くばかりか、その場の雰囲気を明るく和やかにする効果もあります。そんな訳で、笑いは一般的に自発的・積極的な対人関係の開発や連帯の維持の基礎の一つとして発現してくると言えるでしょう。言い換えれば笑は精神の生理的基礎の一つであるわけです。
次に笑いは、成人においてどのように複雑微妙な発現形式を取っても、人間関係の中で最も頻繁に採用される感情表出の一つです。怒りや威圧、屈服、また要求などの対人関係の危機的場面においても、なお関係を維持したいという表現のためには笑いが加えられます。決然として対人関係を破局に導くことは、怒りや要求などのあからさまな感情表出の結果でもあり、そこには一種の割り切れた爽快さもありえるでしょうが、しかし、今までの良好な関係を損う代わりに、そこに笑いを加える行為は関係を維持する意思表示となりうるのです。その反面、本人が本当に可笑しく思っている笑いや成功体験による会心の笑いなど本来そのまま笑ってよいはずの事柄でも、時には居合わせた人への配慮から抑えた笑いになることもあります。笑いはこうして成人の間では「対人関係における文化現象としての笑い」という性質を獲得するのです。これは学習の結果であり、生育環境や気質によって現わされる複雑な感情表出でもあります。それゆえ文化現象としての笑いは、時と所、場合によって適切な笑いがあり、成人なり老人なりといった年齢により、また、男らしや女らしさの笑いが認められます。また、社会的地位や職業によってもそれらしい笑いの型のあることはよく知られています。また、人間は自ら笑うだけでなく、他人の笑いを学習するもので、それは「必ずしも意識的にではなく、むしろ共感による同一化によって習得するのです。従って、笑いは文化集団によって、また同じ文化集団でも時代によって異なる様式を持つことは他の文化現象と同様で、たとえば日本でも、「男子は人に歯を見せて笑うものではない」と教育されたした時代があったものです。それに対して、たとえばポリネシア文化のトンガ王国では人は朗らかに笑うのがよいとされ、全身で笑っているような例が普通に見られます。一方アフリカのサバンナでの遊民生活の人々では、普段の顔つきはむしろ厳しく、笑いには明快さとでも言える雰囲気を感じさせます。なお、人を笑わせる職業を含んでいる文化は多く、中でもトリックスターには社会の中で特殊な地位が与えられるのが普通であり、人間における笑いの意味は非常に深いものがあります。
なお、このように笑いは人類に普遍的であり、その高い精神性が身体に表われたものですが、その発現の仕方はそれぞれの社会の持つ文化によって異なります。笑いは多分に社会的であり、一人でいる時には余り笑わないものですが、他者がいると笑いは大きくなり、伝播します。また、他者がいてこそ愛想笑いも生まれます。欧米人は日本人に比べて表情の切り替えが早く、一方、日本人の笑いは長く残り、しばしばオリエンタル・スマイルと呼ばれます。また、欧米人が舌打ちするような自己の失敗を日本人は照れ笑いで処理するのも文化的な違いです。笑いの違いはしばしば異文化間の人々の誤解のもとともなりますが、それはとかく文化の相互理解の不足によって引き起こされるものでもあるのです。
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日本における笑いとその変遷 |
日本の民俗における笑い |
日本の民俗儀礼の中には胞衣(えな)を埋めるときに3度笑うエナワライや猟師の成年式に当たるサケフリマイ、さらに婚礼での出家式の際の笑いや小正月の火祭(オンベ笑い、サイゾウワライ)、田植後のサナブリの他、各地の笑い祭や悪態祭、山の神祭などに儀礼的な笑いをみることができます。また、伊勢・志摩地方では正月のシメ飾に「笑門」の文字を書く風習もあります。これらの笑いには、死すべき古いものを笑い飛ばして新しいもの・生成すべきものを出現させるという機能をみることができます。たとえば「来年のことを言うと鬼が笑う」とか「笑う門には福来る」という諺にもそれが伺えます。笑いは逆転や逆しまのイメージと結びつき、公的なものや権威あるものを一瞬のうちに破壊しひっくり返すところから、年や季節の変り目といった時間の狭間や人生の節目に笑い祭などの笑いの儀礼が行なわれてきたのです。ちなみに、こうした笑いは古く記紀の天の岩戸神話にも見ることができます。よく知られたこの神話では、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の神憑りによる卑猥な踊りに八百万の神々がどっと哄笑すると、岩戸に隠れていた太陽神の天照大神がそれに興味を覚えて再び姿を現わしたと語られていて、笑いを契機に冬から春へ、夜から昼へ、さらに太陽の更新といった転換が為されているわけです。
なお、笑うのは厳密に言えば人間だけで、そして徹頭徹尾、笑いは生の世界に結びつき、生を創出させるものでもあります。従って、生の世界であるこの世とは異なった死の世界(冥界)では笑いは禁じられているのです。このことは、たとえば「猿地蔵」のような昔話で、隣の爺(おきな)が笑いのタブーを犯したためにひどい仕打ちを受けるという話を見てもよく分かりますが、このような笑いの禁止のテーマは広く世界各地の神話や昔話の中にも見られるものです。また、日本には初物を食べる時には大声で笑って食べるという風習を持つ地方もありますが、これは初物という神のもの、未知のものを笑いによって人間のものへ、食べることができるものへと変えているのです。そのような変化とも関係しますが、笑いは結びつきそうもない対立するものが急激に衝突した時にも発生します。その典型は生と死の同居であり、たとえば「絵姿女房」譚の中には孕み女が真っ二つに切られたのを見て笑わぬ姫が笑ったという筋の話があります。このように笑いは生と死という転換のプロセスだけでなく、その両極をも含んだ包括的で両義的なものと言えるのです。なお、グロテスクな笑いはカーニバルの中に頻出しますが、この笑いは、緩められた形ではあるものの日本の民俗や民話の中にも見ることができ、このように笑いは生から死へといった連続から不連続へ移る際に発せられているのです。
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日本の文学と芸能における笑い |
『古事記』の天の岩屋戸の段に天宇受売(あめのうずめ)命が日影蔓(ひかげのかずら)をタスキにかけ、真拆蔓(まさきのかずら)を髪飾として笹の葉を持ち、岩屋戸の前でウケ(桶のように空洞の容器)〉をドンドコと音を立てて踏み鳴らし、神懸かりして「胸乳(むなち)をかき出で裳緒(もひも)をほとにおしたれ」るという所作をするところがあって、この所作を見た八百万(やおよろず)の神々は共にどっと笑ったとあります。これは天宇受売の所作が可笑しくて笑ったわけですが、それと同時に、これは悪霊を追い払い、悪しき現状を変えようとする演出でもあったのです。これは物語としては天照大神が岩屋戸に隠れて天地が暗黒になり、神々の計略で再び天照大神が出現し、光を回復するというものです、同時にそれは鎮魂の祭式とこだまし合っていて、天照大神の岩屋戸からの出現は祭式的な再生であり更新でもあったわけです。しかも、その更新は単なる生命の更新や社会的・宇宙的な秩序の回復を意味するのではなく、1つの試練を経て高天原の至上神、天空に輝く太陽神として天照大神が新たに誕生することでありました。このように『古事記』の中の笑いは、物語のレベルと祭式的なレベルとが重なり合って多義的なものとなっています。この『古事記』の中に垣間見られる祭式的な笑いは、古代の多くの祭式の中でも現実に見られたと考えられるますが、こういった流れの中から散楽や猿楽が現われたのです。平安時代の猿楽の様は『新猿楽記』や『明衡往来(雲州消息)』に見ることができます。一方、文学としても笑いが目的となることもあって、古くは『万葉集』巻十六などには笑いを誘う歌が多く見られます。たとえば大伴家持の「充(や)せたる人を嗤咲(わら)ふ歌二首」として「石麿(いわまろ)にわれ物申す夏充に良しといふ物そ鰻取り食(め)せ」や「充す充すも生けらばあらむをはたやはた鰻を取ると川に流るな」などがそれです。こういった滑稽な歌の伝統は、『古今集』になると「雑」の部に収められ、「誹諧歌」という名称が与えられます。これが『新古今集』になると、その歌は新たな芸術的高まりを見せるものの、残念ながらこの誹諧歌が充分に評価されず、笑いの伝統はむしろ短連歌などの分野に受け継がれ、やがて『誹諧連歌抄(犬筑波集)』などの誹諧の連歌が行なわれるようになります。そして近世に入ると、貞門俳諧や談林俳諧を経て、蕉門に至って笑いと芸術性が真に止揚されるに至るのです。
次に散文の世界では、平安時代に『竹取物語』があって、神話的な世界と密接に関わる竹取の翁とかぐや姫の物語をパロディ化することによって新しい「物語」というジャンルを作り上げてゆきますが、その文体も神話的言語を相対化する新しい言語意識によって息づいています。その後『伊勢物語』の世界のパロディのような『平中物語』なども現われるますが、笑いを文学の重要な要素として自覚したのが『今昔物語集』を初めとする説話文学でした。たとえば『今昔物語集』巻二十八には「おこばなし」が収められ、『古今著聞集』では「興言利口」の部が立てられます。このような動きは、室町〜戦国期になると、御伽衆(おとぎしゆう)の活躍などと相俟って、口頭でも盛んに行なわれていたようです。それが近世になると、『曾呂利咄(そろりばなし)』などとして刊行され、中国の『笑府』などの影響もあって、笑話集『昨日は今日の物語』や『醒睡笑』なども現われてきます。これらの笑話(しようわ)は後の落語の源流とも言われています。なお、演劇では笑いは中世の狂言に代表されます。これが近世に入ると、笑いは歌舞伎の中に未分化な形で含まれているものの、近世の日本では残念ながら喜劇はジャンルとしては成立することがありませんでした。
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西洋における笑いとその変遷 |
社会的制裁としての笑い |
人はなぜ笑うのか。「笑いとは何か」の問題は、ヨーロッパにおいて古代ギリシアの昔から論じられてきました。プラトンは既に対話編『フィレボス』の中で、笑いが大抵の場合、他人の犠牲の下に生じるものであることを語り、笑いにおける「悪意ある性格」を指摘しています。これは笑いの一面、それもとりわけ重要な一面を言い当てていると言えるでしょう。笑いの定義のうち、時代が下ってホッブズが『人間論』(1658)の中で述べていることが特に有名で、ホッブズによると、笑いとは「他人の弱点、あるいは以前の自分自身の弱点に対して、自分の中に不意に優越感を覚えたときに生じる突然の勝利」を表わすものだというのですが、この「笑い=優越感=勝利の表現」という考え方は、永らくヨーロッパの人が笑いを考える際の定式となってきました。たとえばベルグソンの『笑い』(1900)にはホッブズの名前は一度も言及されていないのです、笑いを究明するに当たってベルグソンが立てた「生きものの上にはりつけられた機械的なもの」というテーゼにホッブズ的笑いの定式を読みとるのはさして困難ではないでしょう。また、精神分析学者のフロイトも、『機知――その無意識との関係』(1905)の中で、潜在意識に探りを入れて、「制約されていた衝動が突然満たされたときに生じる心的状態」に笑いの発生を見ていますが、そこにも明らかにホッブズ流の「笑い=勝利の表現」という見方を見て取ることができます。さらに、近年では劇作家のマルセル・パニョルが『笑いについて』(1947、岩波新書)の中で語っているところも同様で、笑いという「この世で最も複雑な人間表現」を定義して、パニョルは《笑いは勝利の歌である。それは笑われる人に対して笑い手のうちに突然見いだされた優越感の表現である》と書いています。なお、この点では、笑いを語った著名な文献の中でボードレールの『笑いの本質』(1855、後『審美渉猟』に収録)は異色のものだと言ってよいでしょう。詩人であると共に卓抜な美術批評家であったボードレールは、ゴヤやカロやドーミエの風刺画を通して、グロテスクな笑いや悪魔的な笑いといった頗る20世紀的な笑いの分野をいち早く的確に捉えています。そして、このようなホッブズ的笑いの定義の背後には、ホッブズが生きた17世紀ヨーロッパがありました。身分制社会の中で、すなわち階級的ルールやエチケットが支配する宮廷やサロンや社交界で笑いものになるということは、その人にとって命取りにもなりかねなかったのです。すなわち、そこでは笑いが社会的制裁としての役割を果たしていたと言うことができます。その証拠に、ホッブズと同時代に生きたフランスの文人ラ・ロシュフーコーが《滑稽は不名誉よりも人の名誉をそこなう》とアフォリズムの一つに記しています。また、ベルグソンの場合にも、その『笑い』が書かれた1890年代の終わりという時代性を考えなくてはなりません。ベルグソンは肉体と精神の両面にわたって本来しなやかであるべきところに入り込む機械のような「こわばり」や硬直を問題にしましたが、その「こわばり」や硬直は、至るところに「機械化」が始まった時代に特有の現象であり、19世紀的科学信仰の成果と切っても切れない関係にあります。要するにベルグソンの笑いの理論は大衆娯楽や無声映画の登場を背景としていると言うことができるのです。そんな訳で、チャップリンにおける笑いの方法を語るのにベルグソンの笑いの理論がうってつけなのはそのせいでもあるのです。このことからも分かるように、笑いそれ自体と同様に笑いの理論化にも時代性が無視できないのです。
◆参考図書1 |
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ベルグソン・著/林達夫・訳 |
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『笑い』 |
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岩波文庫・青645-3、岩波書店・1978年刊、693円 |
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古来多くの哲学者が人間を「笑うことを心得ている動物」と定義した。フランスの哲学者ベルクソン(1859〜1941)は、この人間特有の「笑う」という現象とそれを喚起する「おかしみ」の構造とを、古典喜劇に素材を求めて分析し、その社会的意味を解明する。生を純粋持続ととらえる著者の立場が貫かれた一種の古典喜劇論でもある。 |
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風刺とパロディ〜社会批判としての笑い〜 |
社会的制裁としての役割に限らず、笑いは有効な批評の機能を備えています。中世ヨーロッパの笑話や笑劇や謝肉祭劇や阿呆文学はしばしばおかしみや滑稽を通して教会のドグマや身分制社会の歪み、人間性そのものに鋭い疑問を投げかけてきました。笑いは中世的なモラルや処世の秘訣を教えるための楽しい手段である一方で、性的なことも含め世の中の様々なタブーに挑戦する機会を与えたのです。笑いは常にそれがもたらす解放感によって健全な人間精神の証しであって、「愚者の自由」はまた民衆の声であったのです。なお、グリム童話をはじめとしてヨーロッパの伝承話には笑いを忘れた人間をテーマとする類話があります。たとえば生まれてこの方一度も笑ったことのない人間がいて、それを笑わせた者が大きな幸を得るというパターンの話がありますが、これは笑わない人は病人と考えられていたからで、要するに人々が笑いに精神的な治療の力を見ていた証しなのでしょう。たとえばボッカッチョの『デカメロン』(1353)には笑いに対するこのような考え方が生かされています。100の笑話の語り手はペストを逃れて田舎にやってきた人々で、心塞ぐ充分な理由があり、状況が危機的であるからこそ、それだけ切実に笑いが必要であったのです。状況とのコントラストが笑いにとって如何に有効であるか。笑いの要素の色濃い文芸作品に等しく見られる構造的な原理と言えるでしょう。
ところで、16世紀の中世的な価値の崩壊から18世紀の近代社会の確立までの間にヨーロッパは3人の偉大な「笑い人間」を生み出しています。その3人とは、ラブレーとセルバンテスとスウィフトです。まずラブレーにとって、笑いは「人間の本性」でした。『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』全5巻(1532〜64)にはありとあらゆる笑いが溢れていますが、その中で、桁外れのスケールを持った主人公は、この世の古びたものや固着したもの、窮屈なもの、笑うべき愚かしいものの一切を笑うのです。次にセルバンテスの『ドン・キホーテ』においては、主人公の時代錯誤的な「こわばり」と同時に、従者サンチョ・パンサとの対比、無垢な心と世間的処世知とのコントラストが笑いを誘います。さらに主人公の笑うべき「高貴な単純さ」が時代の断層を映し出す鏡の役目を果たしています。最後に『ガリバー旅行記』で有名な風刺作家スウィフトの場合ですが、そこでは笑いと怒りという相反した感情表現が強引に結びつけられています。食糧問題を解決するため人間の赤ん坊の食用化を提案した風刺作品『おだやかな提案』(1729)に見るように、笑いという仮装の下に政治に対する手厳しい怒りが語られており、それは、シニカルな笑いに、グロテスクな笑いに、悪魔的な笑いにまで高まるものでした。このように、ラブレーもセルバンテスもスウィフトも、笑いを通して、賢と愚、正気と狂気、破壊と創造と言った両義的な価値を絶えず問題にしてきました。近代ヨーロッパの大きな過渡期は新しい笑いの生まれ出る過程でもあったのです。
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ナンセンスものの流行〜価値転換としての笑い〜 |
ヨーロッパにはまた「ナンセンス物」と呼ばれる笑いの表現の伝統があります。風刺やパロディが社会批判の役割を持った攻撃性の強い笑いだとすれば、こちらは比喩や言葉遊びに基づいて「おかしみ」を楽しむ要素がより強いと言えるでしょう。その種の愉快な伝承歌謡『マザーグース』を持つイギリスは、E.
リアの『ノンセンスの絵本』(1846)やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865。アリス物語)といった代表作を生み出しました。その反面でノンセンス物の発達は、隅々まで市民モラルが支配していた19世紀ビクトリア朝イギリスにおける心的状態をも示しています。すなわち、このような笑いを通して、人々は人工的な言葉の操作による意味と無意味との戯れの中で社会的な緊張から隔りを取り、束の間の自由と解放を求めたわけで、笑いが心理的安全弁の役割を果たしていたと言えるでしょう。なお、20世紀になってダダイストやシュルレアリスト達もナンセンスの笑いを愛用しましたが、彼らの場合、その役割はより攻撃的でした。彼らは、「黒いユーモア」と呼ばれる言葉や物体のコミカルな変形・変造を通して、市民モラルや時代の一般的な見方や考え方に挑発をしかけ、人々の意識に変革を及ぼそうとしたのです。
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変遷する笑い |
さらに第二次大戦以後のマス・メディアの急激な発達は、笑いの量と共に笑いの質を大きく変化させました。笑いは本来、威厳や体面を損い、価値の下落を促すものであって、だからこそ笑いは批判の一つの方法であり、厳しい攻撃性を帯びていたのですが、マス・メディアから次々に送り出されてくる笑いは最早そのような機能を持ち得なくなってしまいました。今日の笑いは需要に基づいて供給される「商品」の性格が著しいと言えます。そんな中、送り手と受け手の双方が絶えず新しい笑いを求める一方で、その無害化とコピー性が進行しないではいないのです。現代の笑いは社会的制裁や批評機能としてよりも心理的安全弁の役割を持ち、今後ますますその性格を強めてゆくことでしょう。この点、文学キャバレー(カバレット)と呼ばれ、ヨーロッパの都市に必ず備っていた批評性の強い笑いの場が姿を消すか、或は単なる娯楽の場に変化したのは象徴的だと言ってよいでしょう。従って、現代の道化やトリックスターは、意味と無意味の間の微妙な世界で自ら楽しみ、人を楽しませるよりも、目まぐるしい瞬間を解きほぐすべき「とめどない笑い」を強いられています。要するに、その種の管理された「笑いもの」がマス・メディアを「徘徊」しているのです。このような傾向を「笑いの量的拡大による質的失墜」とする見方は当然ですが、それと同時に、長い歴史の中で様々な笑いのサンプルを生み出してきたヨーロッパもまた新しい笑いへの過渡期にあると見ることもできます。意味と無意味との間の戯れが意味を持つナンセンス詩や、意味を持たないテキストとしての小説、廃品の組合せによる造形(ジャンク芸術)などが示しているように、笑いの意味と機能の転換が今や着々と進行しているのです。
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【2】笑いとその医学的効用 |
近年、笑いが持つ医学的な効用について研究が盛んになっています。本節では笑いが免疫系などにどのような効果的な働きをするか解説しました。
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笑いがもたらす心身への医学的効果 |
医療現場でも注目を集める笑い |
テレビでは次々と新しいお笑い芸人が登場して人気者となり、バラエティ番組やCMで引っ張りだことなっていますが、しかし、笑いが注目を集めるのはTVの世界だけではありません。実は最近、医学の分野でも笑いの効用に着目した研究が進み、様々な病気の予防や改善に役立つことが科学的にも証明されてきているのです。実際に治療の一環として笑いを取り入れている病院もあるのです。
笑いは恒常性及びホメオスタシスを助ける役目があり、私達のバランスを調整する働きがあります。笑いは医療において患者に癒しや生きる喜びを見出してもらうツールとしての役目を担うものであると考えられます。現在と違い、「病院は癒しがあり、明るく楽しいところだ」というイメージ、そして、進んで医療を受けたいと思ってもらえる環境にするために、笑いを活用すべきだと思います。笑いによる医療の効用を活かすためにはこれまで以上に笑いの効果が世間に認知されていくことが大切でしょう。
笑うことは、実は私たちの健康に大きな影響を与えています。今から20年ほど前は今と違って笑いがまだまだ医学的に解明されていませんでした。そんな時代に、医療の専門家の中にも、笑いや生きがいを活用して癌や難病の治療効果を高めることはできないだろうか、極度なストレスや鬱状態で免疫力が下がると実証されているなら、逆に笑うことで免疫力が上がるのではないだろうかと考える人たちが出てきました。そういった発想の下、笑いが私たちの健康に多大な好影響を及ぼすことが様々な研究によって現在明らかになってきています。
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笑いを用いた医療とその可能性 |
笑うことで脳内ではストレス反応の中枢である視床下部などの部位や回路が刺激され、ホルモンの分泌や自律神経の切り替え、血圧の変化などを起こします。それらの変化は、リラックスや免疫力向上、鎮痛、運動などの効果をもたらす作用があります。その証拠に、特に大笑いした時には人体の主要な生理系統の殆ど全部に作用が及ぶと言います。しかしながら、笑の及ぼす医学的効果に対する研究が行われ始めたのが近年ということもあり、笑いにはまだまだ未知なる部分が多いのも事実です(なお、その理由としては、笑いの種類による違いや笑いを感じる程度が個々人で異なることが挙げられます)。
私たちの体内にはとてもユニークな働きを持つたくさんの戦士がいます。それはリンパ球を中心にしたナチュラルキラー細胞(NK細胞)やT細胞、B細胞、大食細胞など数10種類の細胞たちです。それらの細胞達がお互いに綿密に情報を交換しながらウイルスや細菌などの侵入を撃退しています。そして、SF映画さながらの戦いを繰り広げる戦士たちのパワー源は、私たちが明るく過ごし、大いに笑うことにあるという研究結果が出ているのです。つまりキラー細胞をはじめとする多くの細胞は、人が落ち込んだり憂鬱な気分だったりすると働きが低下し、逆に楽しく愉快に過ごしている時は戦う力が強くなるのです。では、元気になった細胞はどのような健康的効果を与えてくれるのでしょうか。今後の研究が期待されます。
このように現代社会は西洋医学による薬物投与や手術といった医療だけでなく、様々な角度から健康について考えるようになってきていますが、その中で笑いによる医学的研究が注目を浴びています。笑いは免疫細胞の活性化を促し、癌細胞さえも縮小させる効果があるとされ、笑いには医療現場で効果を発揮できる可能性が多く秘められているのです。しかし、笑いを用いた医療の研究は50年余りと意外と歴史が浅いため、ホスピタル・クラウン、生きがい療法、笑い療法士など様々な笑いを用いた医療は存在するのですが、それらはまだまだ社会での認知度は低いのが実情です。
そこで、先にも触れたように笑いの定義や概念をまとめると、笑いとは「ネガティブな感情をポジティブな感情に転化することのできるもの」と捉えることも可能です。そして、そのような笑いによる医療が世間に広まってゆくには何が求められるべきなのか、しっかり把握しておく必要があると言えるでしょう。
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笑うことで癌を殺すNK細胞が活性化する |
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癌を破壊するNK細胞 |
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若い人でも健康な人でも、身体の中では1日約3000〜5000個の癌細胞が発生しています。それらの癌細胞を破壊するのがNK細胞です。従って、NK細胞の働きが弱まると、発生した癌細胞を殺し切れずに癌が発病します。また、癌が発病してからも手術や放射線などの治療効果を上げるためにはNK細胞の働きが大きく影響します。 |
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笑うとNK細胞の働きが活性化する |
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ボランティアの人たち漫才や漫談、喜劇などを見て3時間くらい笑ってもらった実験があります。笑う前と笑った後の血液を調べたところ、笑った後ではNK細胞の働きが活発になっていることが分かりました。また、NK細胞活性化は笑い体験の直後に上昇し、しかもその速度は癌治療に使われている代表的な免疫療法の1つであるOK432を注射した時よりも早いものでした。 |
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NK細胞を元気にする笑いのメカニズム |
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笑うとなぜNK細胞が元気になるのかと言うと、それを解明する鍵は、まずは「楽しく笑う」といことが出発点になります。笑うと脳の前頭葉という部分に興奮が起きて、それが免疫をコントロールする間脳に伝達され、そして間脳が活発に働き始め、無数の神経ペプチドという情報伝達物質を作り出しますが、この物質はまるで感情を持っているかのように、それがよい情報なのか悪い情報なのかを判断し、その判断によって自分の性質を変えるのです。楽しい笑いの情報は、善玉ペプチドとして血液やリンパ液を通じて身体の中に流れ、NK細胞の表面に付着しますが、それに反応したNK細胞の働きは活性化し、癌を殺す力が強くなるのです、いわば笑いによって作り出された善玉ペプチドはNK細胞が戦うための栄養源ということになります。なお、これとは反対に悲しみやストレスは悪玉ペプチドを作り出し、NK細胞の働きを弱めてしまうことになります。 |
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笑いで癌を克服する |
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笑うことで病気の治療に好影響を及ぼすことを世界に知らしめたのは、米国の署名な評論誌の元編集長のノーマン・カズンズという人です。彼は1964に強直性脊椎炎という難病に罹り、激しい痛みで全く動けなくなりました。医師からは治る確率は500分の1だと言われてしまいました。しかし、彼は諦めず、前向きな感情を持てば免疫力が高まるのではないかと考え、ユーモア本や喜劇映画を見て大笑いをして過ごしました。すると痛みがやわらぎ、やがて難病を克服してしまったのです。これが契機となり、米国では多くの病院が笑いを取り入れています。
日本でも近年笑いの効果が研究されるようになっています。有名なものは、1991年に大阪ミナミの演芸場で行なわれた実験で、癌患者を含む19人に吉本新喜劇を3時間見て大笑いをしてもらい、その前後でNK細胞(リンパ球の中にあって癌細胞を直接攻撃する細胞)の活性度を調べた結果、NK細胞の活性度が最初から低かった人、基準内だった人の何れもが、活性度が上昇したと言います。つまり、笑いは癌に対する抵抗力を高めることが判明したのです。なお、その後の研究によると、僅か5分笑うことでNK細胞が活性化することが分かりました。一方、NK細胞を注射で活性化させようとすると3日も罹るそうで、このように前向きに明るく笑って過ごせば癌に打ち勝つ可能性も高まるというこです。 |
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笑いで免疫力を鍛えよう |
笑いは百薬の長 |
年齢と共に低下するのが免疫機能です。免疫力が落ちるとウイルスや細菌に感染しやくすく、病気が治りにくくなるので注意が必要です。その免疫力を上げるためにも笑いが効果的であることが近年分かってきました。
昔から笑いは百薬の長だと言われます。そこで、健康な笑いを日常生活に摂り入れることで、日頃から快適に生きて免疫力をアップしましょう。「お笑い」がリンパ球の活性を上げるなどの研究成果がありますが、笑いに加えて、過労や栄養不良、大量飲酒は免疫機能を低下させるので避けるようにしましょう。
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笑いによって糖尿病患者の血糖値が低下した!? |
2003年2月、国際科学振興財団の「心と遺伝子研究会」では、吉本興業の協力を得て2日間にわたってつくば市周辺に住む中高年の2型糖尿病患者21人を対象に血糖値を測定する実験を行ない、1日目は糖尿病のメカニズムに関する講義を、2日目はB&Bの漫才を聴いてもらったそうです。何れも昼食を摂った後に講義と漫才を聴いてもらい、さらに食後血糖値を計ったところ、1日目の空腹時血糖値と食後血糖値の差は平均123mg/dlだったのに対し、2日目は平均77mg/dlと、予想を遙かに超えて46mg/dlも低下しました。笑いが食後の血糖値を下げたのです。
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笑いによってリウマチ患者の痛みも軽減!? |
笑い体験後の血液分析では免疫のバランスがとてもよくなったというデータが出ています。免疫の働きをするリンパ球はCDという略号を持ち、40種の番号で分類されていますが、その中には攻撃突進役と制御役の両方が存在します。
たとえばエイズは免疫力がなくなる病気で、エイズウイルスは攻撃役のCD4を破壊してしまうのです。また、制御役のCD8が強まると、細菌やウイルスを殺すばかりか自分自身の身体まで攻撃し、その結果起こるのがリウマチや膠原病など自己免疫疾患と呼ばれる病気なのです。 そこで関節リウマチ患者に1時間ほど落語を聴いてもらい、気分や痛み、神経系や内分泌系、免疫系への影響などを調べる実験を行なったところ、ストレスホルモンとも呼ばれるコルチゾール値が基準値の範囲内まで下がる、リウマチを悪化させるインターロイキン-6が劇的に下がる(薬では短時間に下がらない)等の結果が出て、多くの人が関節の痛みも和らいだとと言います。さらに実験後1ヵ月程度患者の身体が楽になったり痛みが軽い状態が続いたなどの成果を得たと言います。
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なぜ癌やリウマチは発症するのか? |
身体の免疫システムの中で最も重要なのは骨の中にある骨髄で、ここでは血液成分の赤血球や白血球、血小板と共に免疫機能に重要なリンパ球を生産しています。リンパ球のうちBリンパ球と呼ばれるものは、異物を排除するための物質である抗体を産生する働きがあります。骨髄は加齢と共に変化して、細胞の密度が少しずつ減って脂肪や繊維成分が増えてきます。リンパ球の生産量は徐々に減りますが、これが加齢に伴う防御機能の低下です。その一方で、骨髄で作られたリンパ球の一部は胸腺に移動し、分裂及び増殖してTリンパ球と呼ばれる特殊な免疫機能を持つ細胞になります。胸腺の大きさは年齢により変化します。生まれてから段々大きくなって重みを増した胸腺は、思春期に当たる10代半ばで最も大きくなり、それを過ぎると胸腺の皮質や髄質が脂肪組織に置き換わって、40代の後半には殆どが脂肪だけになってしまいます。胸腺には「自己と非自己を認識する」という役割があるのですが、中年以降にこの働きが衰えると、自分自身の細胞成分を攻撃してしまうようになり、慢性関節リウマチなどの自己免疫性疾患が増えると言われています。これが加齢に伴う自己と異物の識別能力の低下です。なお、大腸や小腸などの腸管は細菌やウイルスなどが身体の中に進入しやすい場所なので、免疫システムが発達しています。腸管免疫機能が低下すると、腸管内の善玉菌(ビフィズス菌や乳酸菌など)が減り悪玉菌(大腸菌やウェルシュ菌など)が増え、腸内異常発酵や細菌性下痢を起こしやすくなります。また、免疫機能が低下すると、監視の目を逃れた異型細胞(癌化した細胞)が増殖して胃癌や大腸癌が増えてきます。また、免疫力が落ちるとウイルスや細菌感染を起こしやすくなり、一度病気になると治りにくくなります。癌の発症や慢性関節リウマチによる関節痛も増えます。結局、生活の質(QOL)は低下してしまうのです。
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老化に伴う免疫機能の変化 |
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- 骨髄機能の低下 → Bリンパ球の減少 → ウイルスや細菌感染症の増加
- 胸腺機能の低下 → Tリンパ球の減少 → 自己免疫疾患の増加
- 腸管免疫の低下 → 善玉菌の減少・悪玉菌の増加 → 胃癌や大腸癌の増加
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免疫力強化には笑いが効く |
アンチエイジングドックでは筋年齢や血管年齢、神経年齢、ホルモン年齢、骨年齢といった老化度を評価すると同時に、免疫機能や酸化ストレス、心身ストレス、生活習慣、代謝といった老化を促進させる危険因子も評価します。しかし、免疫機能の評価法は幾つかあるものの、確実に定まったものがないのが実情で、医学的な裏付けデータが一番乏しい項目です。人間ドックでは免疫機能を100点満点のスコアとして評価しています。幾つになっても80点以上を保ちたいものです。年間を通じて殆ど病気をしない人なら免疫機能は80〜90点以上あるでしょう。普段から風邪を引きやすい人や風邪をこじらせやすい人は免疫機能が70点以下に落ちている可能性があり、要注意です。該当する人は免疫力をアップする生活を心懸けましょう。
加齢と共に低下するホルモンの中に免疫システムに影響を与えるものがあります。DHEAやメラトニンは免疫力の強化に働くので、これらのホルモン分泌を刺激するような生活療法を実践することがオススメです。DHEA分泌を促すコツは、筋肉量の確保や冒険心とかトキメキ、フリーラジカルからの防御、脂質制限です。メラトニン分泌を促すコツは、朝起床時に明るい光を浴びるとか適度な運動、長時間の昼寝をしない、カフェイン制限、アルコールの過剰摂取を控える、寝る前にリラックスして部屋を真っ暗にして寝ることです。
また、ストレスは神経系ばかりでなく免疫系にも作用します。ストレスホルモンのコルチゾルはリンパ球を減少させるなど免疫機能を弱める作用があります。特にエグゼクティブの方々には過分なストレス負荷がかかっています。従って、ストレス過多の人は是非とも対策を練りましょう。ストレスが溜まった時は休息と睡眠でダメージから回復させることが重要です。そして、翌日に新たなストレスに立ち向かうことです。さらに、腸管免疫をアップするためには、便秘予防はもちろん、野菜や海藻など食物繊維の摂取(目標1日25g)がオススメです。
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免疫力をアップさせる方法 |
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- 免疫力強化のホルモンを増やす
- ストレス(ストレスホルモン)を避ける
- 腸内環境を整える(腸管免疫のアップ)
- 快適に生きて免疫力をアップする
- 過労を避ける
- 睡眠時間をたっぷり摂る
- 栄養不良を改善する
- 大量飲酒を避ける
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笑いを健康管理に取り入れよう |
今まで色々と解説したように、笑いは体の中枢に働きかけ、病気に対しても有効なことが証明され始めています。笑いが役立つ免疫異常が原因の病気としてはリウマチの他、気管支喘息やアトピー性皮膚炎、膠原病などがあります。健康な人でも、脳が活性化して閃きがよくなったり、笑ってリラックスすると話の理解力が高まる、ストレスが軽くなる、老化防止などのメリットがあります。お笑い番組を見たり、冗談を言い合ったり、コメディ映画を見る、マンガを読む・・・笑おうと思えば幾らでもネタはあるものです。大笑いすれば少々のストレスは吹き飛んでしまうし、また、おかしくなくても笑顔を作るだけでも効果はあるのです。毎日笑う習慣をつければ、病気になりにくい若々しい生活を送れること請け合いです。
◆参考図書2 |
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ノーマン・カズンズ 著 |
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『笑いと治癒力』 |
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岩波現代文庫、岩波書店・2001年02月刊、1,008円 |
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不治に近い難病を文字どおり「笑って」治したジャーナリストが闘病体験をきっかけに、人間の自然治癒力の驚くべき可能性を徹底取材。笑いとユーモア、生への意欲が奇蹟を起こすことを例証する。創造力と長寿、プラシーボ効果、痛みの効用など、心とからだの微妙な関係に着目し、全人医療の在り方を問う問題提言の書。 |
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