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 人間にとって、塩はこれなしでは1日たりとも人間は生きてゆくことはできないほど身近で大切な存在です。今回は塩分と血圧との関係も含め、塩と人類の関わりを取り上げました。
塩


塩と人間
【1】塩とは?〜塩の種類と特徴〜
【2】塩の歴史〜塩作りと人間〜
【3】塩の文化とその風俗
【4】塩と健康〜食塩感受性と血圧の関係〜

【1】塩とは?〜塩の種類と特徴〜

 塩は、これなしでは1日たりとも人間は生きてゆくことはできないほど身近で大切な存在です。その証拠に、血液や汗には大量の塩分が含まれており、何らかの形で臓器の働きにも影響を与えています。まずは本節では、そのような塩の種類や特徴について簡単にまとめました。
人間と塩

 血液や汗には大量の塩分が含まれており、何らかの形で臓器の働きにも影響を与えています。また、塩(天然塩)には私たちの生命を司る大切なミネラルやナトリウム、カリウム、カルシウム、塩素、その他の微量鉱物がたくさん混在します。このように人間の身体には塩分が大量に含まれており、これが不足すると腎機能不全に陥ったり、筋肉が痙攣したりします。逆に塩分を摂り過ぎても肝機能障害が起こりますし、また、極度のカリウム不足により心臓の機能が麻痺することがあります(ナトリウムを放出するにはカリウムの働きが必須なのです)。また、塩化ナトリウムは血清を一定のバランスに保つ働きを持っているため、塩分の濃度が落ちると人間はは脱水症状に陥ります。下痢や運動後に塩分を含んだスポーツドリンクを飲んだ方がよいとされるのはそのためです。ちなみに、重労働を課す場所では、発汗と共に塩分が大量に放出されることから塩分の補給が欠かせません。少し前までは、機械や労役を課す場所には大抵塩を容れた箱があり、労働者はそれを舐めながら働いていましたが、今も工事現場などの発汗の多い場所では塩辛い味付けが好まれる傾向にあります。たとえば塩鉱山に強制連行された者の中には、空腹の余り岩塩に貪りつく人間が少なくなかったと言われ、そうした人たちは、身体はガリガリにやせ衰えているのに、塩分の摂り過ぎのせいか、顔だけは風船のようにパンパンに膨らんでいたそうです。
 このように塩は人間にとって最も身近な存在であり、塩なしでは一日たりとも生きることはできません。人間が生きるのに必要な塩の量は地域によって年間140g〜7kg強とばらつきがあり、気温が高いと塩分が汗となって体外に出てしまうため、概ね気温の多い地域の人ほど大量の塩分を必要とするとされています。このように私たちの暮らしの塩はとても大切であり、塩と暮らしの結びつきには長い年月があるのです。なお、塩の生産量は年間一億八千万トン前後と言われ、その6割から7割が塩鉱脈つまり岩塩鉱山からの産出であり、残りは海水や塩湖などから精製されています。その多くが食品の材料として使われますが、それ以外にも、石鹸や化粧品などの薬品、炭酸ナトリウム(工業用ソーダ)や塩素ガスなどの材料、防腐剤としての役割も多く、その用途は年々多様化しつつあります。


現代の塩〜世界の塩生産量の85%は工業用資源へ〜
 人類の発展のために求められたのは工業用の塩で、現代の塩は化学工業製品として取り扱われています。
 一昔前までは、人は食べるために必要な塩だけを生産していました。だからこそ塩の製法は経験則を重んじ、古くから伝承されてきた伝統技法が培われてきたのです。しかし、近代工業の発達と共に塩が持つ化学作用を利用する用途が拡大してゆき、第二次世界大戦後には塩の工業用需要は食用需要は逆転し、その量を急速に伸ばしてゆきました。主要工業用途としては、石油精製の溶解性用やソーダ・塩素工業の素材原料用、窯業・火薬・金属精錬・鋼圧延・染色などの化学作用、イオン交換樹脂再生のイオン交換用、皮革加工の脱水・防腐作用、顔料製造の磨砕助剤用&道路の凍結防止用、石鹸・染料・合成ゴムなどの塩析作用などと多岐に渡ります。ところが、今や世界の塩生産量の85%は工業用資源で、残りの15%が食用塩という現状です。工業用の塩には余分な無機塩類を含まない純粋な塩化ナトリウムが望ましく、しかも出来る限りコストを安くすることが必要だったのです。

塩の性質と種類


塩の性質
食卓塩 塩は食塩とも呼ばれますが、化学的には塩化ナトリウムと言われ、舐めると塩辛い味がします。ナトリウムイオンと塩素イオンが規則正しく並んだ無色透明の正六面体の結晶です。唯一の鉱物性の調味料であり、比重は2.2、モース硬度は2〜2.5程度、融点は800℃で、沸点は1440℃に達します。水による溶解度はどの温度でも殆ど変わらず、20℃で26.4%、100℃で26.9%程度と言われています。岩塩や粗塩と言われる自然塩には、この他に塩化マグネシウムや硫化マグネシウム、鉄、コバルト、マンガンなどのミネラル分が含まれていて、舐めると苦いことから「にがり」と呼ばれ、豆腐などを固める時にしばしば使われます。また、塩は食材だけでなく様々なものを保存するのに使われますが、このようなことができるのは、浸透圧が他のものに較べてかなり高いからだと言われます。基本的に水分は浸透圧の低い方から高い方へ移動します(これを「ファントーホッフの法則」と言います)。たとえば雑菌が塩分を含んだものに触れると、浸透圧の関係から雑菌中の水分が吸い取られ、活動することができなくなるのです。ちなみにこの性質は砂糖にもあり、そのため食塩や砂糖には消費期限というものが設定されていないのです(※あえて言えば、水分を吸い切った潮解の時が使用期限であるとも言えるかも知れません)。


■塩の種類・分類
 塩も元々は海水ですが、どこから採られるかにより3つに大別され、製法及びミネラルの添加等によりさらに細かく分類されます。
海塩:
 海水から採られた塩のことで、以下のように分類される。
  • 食塩:
     一般的に販売されている塩で、イオン交換膜透析法によりナトリウムイオンとカリウムイオン抽出・濃縮し、真空蒸発缶によって煮詰めて作られる。ミネラル等の添加はない。

  • 自然海塩:
    • 完全天日塩:
       海水を塩田や枝条流下式により濃縮し、太陽光と風だけで数ヶ月かけて結晶化させたもの(加熱は行なわない)。

    • 平釜塩:
       海水を塩田や枝条流下式により濃縮し、平釜で煮詰め結晶化させたもの。

  • 再生加工塩:
    • 自然海塩加工:
       輸入した原塩ににがり等のミネラルを添加して成分調整を行ったもの。(※自然海塩に分類されることもある)

    • イオン交換塩加工:
       イオン交換塩ににがり等のミネラルを添加して成分調整を行なったもの。
岩塩:
 岩塩は大昔海だった場所が地殻変動などで陸地に閉じ込められ塩湖となり、その海水の水分が蒸発して次第に塩が結晶化し、その上に土砂が堆積して出来た塩の層から採取される。
  • 溶解法岩塩:
     岩塩層に水を注入することなどにより濃い飽和塩水を作り、真空蒸発缶で結晶化したもの。さらにミネラルを添加したものと添加しないものとに分かれる。

  • 採掘法岩塩:
     岩塩層に直接ボーリング及び露天掘りをし、採掘したもの。
湖塩:
 昔、海だった場所が地殻の変動によって次第に陸に閉じこめられ、そのうちに水分が蒸発して水の中の塩分濃度が高くなった湖を塩湖と言う、その濃い塩水をさらに蒸発させて塩分を結晶させて湖塩が作られる。また、乾季に湖の水が自然に干上がって塩の結晶が現われる塩湖もある。

■食塩とナトリウム
食塩相当量とナトリウム
 塩味は料理の美味しさを左右しますが、この塩すなわち食塩はナトリウムと塩素から出来ています。食塩相当量とは、次の計算式で食品に含まれているナトリウム量を食塩の量に換算した値です。

 ナトリウム(mg)×2.54÷1,000=食塩相当量(g)
どんな働きをするのか?
 食塩は生命の維持に欠かせないナトリウムと塩素から出来ています。ナトリウムは体内の水分量をいつも適切な状態に調節したり、神経や筋肉を正常に動かすために働いたりする重要な役割をします。その一方で塩素は胃液などの成分になります。
生活習慣病の予防には減塩が大切
 食塩は自然界の食べ物の殆どに含まれていますから、普通の生活では不足する心配はまずありません。ただし、スポーツなどをして大量の汗をかいたり、嘔吐や下痢をしている場合は、たくさんのナトリウムが失われてしまうので適切に補給することが必要になります。ただ、一般的に問題となるのは食塩の摂り過ぎの方です。食塩を摂り過ぎる食生活では、高血圧や胃癌などの様々な生活習慣病を招く恐れがあります。国民健康・栄養調査結果による1日当たりの食塩摂取量は成人全体で10.7g、男性11.6g、女性9.9gで、ここ数年少しずつ減少してきています。しかし、食事摂取基準の成人の目標量は男性9g未満、女性7.5g未満で、男女共およそ7割の人がこの目標量を超えています。急な減塩をして食欲を落としてしまうのはもちろん問題ですが、私たちはもっと薄味の食生活に切り替えて食塩を減らしてゆく必要があります。まずは醤油やソースなどの量を控えること、麺類の汁を飲み干さないことなど、出来ることから始めるとよいでしょう。

塩の生産量と消費量


世界の塩の生産量
 全世界の塩生産量(2003年)は2億1,000万トンで、そのうちの約3分の2は岩塩から生産されています。生産高の多い国はアメリカ(4370万トン)、中国(3242万トン)、ドイツ(1570万トン)、インド(1500万トン)、カナダ(1335万トン)で、この上位5カ国で世界総生産量の半分ほどを占めています。なお、日本は126万トンで24位です。また、塩の輸出国はオーストラリア、メキシコ、カナダ、オランダ、ドイツで、一方の塩の主な輸入国は日本、アメリカ、ドイツ、カナダ、イタリアです。

日本の塩消費量&輸入量
 日本の塩消費は年間約900万トンです。塩の自給率は15%程度で、殆どが輸入に頼っており、輸入量は世界1で、主な輸入先はメキシコとオーストラリアです。日本での塩の消費の約80%はソーダ工業用、つまり塩をナトリウムと塩素に分解し、それを原料として様々な工業用品を作るために使用されます。紙やアルミ、石鹸、ガラス・ホーロー製品、水道の消毒薬からコンパクトディスクまで塩を基礎原料として作られているのです。その他皮のなめしや各種化学薬品の製造といった一般工業用にも塩が利用されており、意外ですが、調味料や食品加工として使用されるのは約15%に過ぎません。


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【2】塩の歴史〜塩作りとと人間〜

 塩は人類ばかりでなく、地球の歴史とも深い関わりがあります。本節では、その塩と人間の関わりを簡単にまとめました。
私たちの生活と塩

 私たちが暮らしてゆくのに、塩がどのような役割をしているのかは簡単ながら先に説明した通です。 人間の身体にはナトリウムや塩素、カリウムなどの物質が必要であり、塩のミネラル分が私たちの健康を保つために必要な役目をもっています。天然塩に含まれる天然ミネラルは私たちの身体では作り出すことができず、これらは塩を含めた食品や水などから摂取しなければいけません。

 塩と暮らしの関わりは日本においても縄文時代から今日に至るほどの長い付き合いがあります。また外国においても、たとえば塩を意味する英語ソルト(salt)はラテン語で塩を意味するサル(sal)から来ておりますが、元々はサラダやサラミ、さらには給料を意味するサラリーの語源となっています。一方、日本語の塩は、製塩したての塩が実際にまるで白い穂のようにふわふわとした形をしていることから、白穂(しらほ)という言葉から来ているという説が有力です。なお、塩が身体に必要であり、身体を形成する上で大切な物であるという認識が日本で最初にできたのは平安時代頃だろうと推測されています。平安時代になると、塩は暮らしの中で大切に扱われるようになり、海沿いではない地方への流失も行なわれるようになります。塩文化が発達したのは海沿いですが、それを用いて山でも塩が取り入れられるようになってきます。暮らしの中で海の物も山で流通できるように、塩を使って保存食を作るようになりました。山梨の煮貝などそのよい例で、これは鮑を煮込んだ保存食です。また、暮らしの中で塩を使って保存食を作ると、主に身体に必要なミネラルを補給するために「塩は薬」としても注目を浴びました。この塩をめぐって強奪による戦争も日本の歴史の中で確認されています。赤穂と言えば塩の生産で有名ですが、赤穂浪士による忠臣蔵も、実はその塩の生産技術をめぐる戦いがその一因を担っていたと言われています。
 ここで塩と暮らしの関わりを考えてみると、塩製法が編み出される前はどのように採取していたのかと言うと、土器や海藻を燃やした灰を塩として使う以前は、塩分を動物の内臓や骨から得ていました。初期の縄文時代或はその前の暮らしでは、稲作が伝わるまではこのように塩分を摂取していました。また、米や野菜にはカリウムが入っており、米や野菜を食べるとことによりバランスよくカリウムを取っていました。カリウムの役割は身体の中のナトリウム成分に浸透し、身体の外に出す働きを持っていますが、この時カリウムも一緒に対外に出されるわけです。汗や尿、便と言った形でカリウムは外に排出されます。獲物を捕らるために遠くまで行ったり、何日も獲物にありつけない生活に比べて、稲作の補方が合理的です。こうして狩猟・漁労による生活よりも、稲作が発展することにより穀物や米、野菜から得られるカリウムの量が増えるに従い、塩そのものが必要になるわけで、それが今日の私たちの暮らしの中で塩作りという形で発展し現在に至っているのです。穀物の収穫時期は常にあるわけではないので、そのため収穫物を保存するためにも塩が必要で、肉や野菜などを保存食として作ることを人間は覚えてゆきました。当然ながらたくさんの人の塩を作るために塩作りだけを専門にする海沿いの人々も出てきます。このようにして、塩は次第に人々の暮らしになくてはならないものになっていったのです。
塩の起源と人間
生命が求める塩

 生命の原点である「海」には生命に必要な無機塩類が含まれています。その海から生まれた塩もまた、生命にとって欠かすことのできない存在です。


塩と無機塩類
 水や空気と同様に塩は人が生きていく上で必要なものです。そんな漠然とした認識が科学の進歩で実証されようとしています。電子顕微鏡や分析技術の向上と共に塩にはかなり多種類の有機及び無機元素が含まれていることが最近になって分かってきました。生物に多種類の微量元素が存在すること、それが酵素の触媒として様々な役割を果たしていることもつい最近になって分かってきたことです。つまり、無機塩類の成分が生物そのものの維持に重要な役割を果たしていることが最近になって分かってきたのです。このように、塩は単なる必要なものではなく、生物が求めているものという認識に変わりつつあります。微量なために見過ごされていた無機塩類の重大性に人間はようやく気がついたのです。

生命には微量の無機塩類が必要
 一般的な成人がその体内において占める元素はとても多く、その含有量には、一番多い多量元素である酸素から一番少ない超微量元素であるコバルトやバナジウムまで大変な差がありますが、これら各種分量はそれぞれの元素がその程度に応じて人間に必要とされている配分なのです。たとえば亜鉛は多くの酵素やタンパク質の中に存在し、身体に非常に重要な働きをしていることが判明しています。動脈硬化はカルシウムとマグネシウムの量とバランスに関係があること、また、カルシウム不足が骨粗鬆症の原因となっていることはよく知られている通です。ちなみに、近年の研究によりスズやバナジウム、フッ素、ケイ素、ニッケル、ヒ素、鉛の必要性が明らかになって来ています。何れにせよ、この僅かな単位のミネラル物質がないと動植物は生きてゆけないのです。そして、その中には当然ながら塩化ナトリウムも含まれているわけです。

塩の起源

 海から生まれる塩の起源は地球の誕生にまで遡ります。


なぜ塩は生命に必要なものなのか?
 塩は水と空気と同様に生命に必要な物質ですが、その塩に含まれた無機塩類はどこから来たものなのか、そして、なぜ海水は無機塩類を含むようになったのか、といった疑問を解くためには、塩という物質を構成する元素の起源つまり宇宙創生まで遡ることになります。同時に「なぜ生命にとって塩は必要なのか?」を解き明かすためにも、宇宙の始まりであるビッグバンから探る必要があります。

生命は92の天然元素を駆使し、海から誕生した
 約150億年前に起こったビッグバン。水素から始まった宇宙は、星の誕生と消滅を繰り返しながら、超高熱の核融合の中から次々と重い元素を創り出しました。宇宙は地球が誕生するまで約100億年の時間をかけて、水素からウランまでの92の天然元素を創りだしたのです。その一方、地球は太陽エネルギーと大気と水を得られる好適な位置にありました。水と太陽と空気を得た地球は、約40億年前、宇宙創生の92の天然元素を駆使して、還元力に溢れた酸素のない海から原始生命を誕生させます。この92の天然元素の中でも、硫黄と酸素は生命の進化と塩に深く関わり、原始生命体は初めて硫化水素(H2S)から微少なエネルギーを得て生命活動を開始しました。

生物は必要な無機塩類バランスを記憶している
 生命はやがて複雑な進化を遂げ、植物を生み、動物を生み、環境を整え、そして受け継ぐという地球生態系の循環を創り出します。地球上に存在する殆どの元素を含む鉱物である火成岩の循環も重なり、生物に必要な無機塩類バランスが完成し、記憶(記録)が受け継がれ始めたのです。

塩の起源
 塩は最古の調味料であり、古代の都市は、塩に縁のある土地や街道沿いに造られてきました。最古の街道は塩の通り道と言ってもよく、しばしば市などでは物々交換の対象として塩と他のものが交換されてきました。ヨーロッパでは先史時代から塩が使われていたことが遺跡の発掘から分かっており、人間が定住を始めたのは、岩塩の発見や製塩技術の発達で塩の確保が容易になったからだという説もあります。あるいは逆に、人間が定住生活を始めたからこそ製塩技術が発達せざるを得なかったという、卵が先か、鶏が先かといったような論議もありますが、何れにせよ、塩の確保しやすいところに多くの人々が集ったことは確かなようです。 なお、近くに岩塩や海がなく、物々交換も難しい状況では、植物の汁を吸ったり動物の血を啜ったりして凌いでいたという記録もあるそうです。もっとも、海に近い地方でも塩分を取り出すのは至難の業で、煮詰めて取り出すのに大量の燃料が必要とされています。ちなみにアフリカのサハラ地方や北欧が今も不毛の地となっているのは、暑さや寒さといった以上に、人間が製塩のために木々を伐採したからだ、という説もあるそうです。

古代の塩

 塩は生命にとって欠かせない栄養素で、それを守るために人々は「製塩法」を生み出しました。焼塩もまたそのひとつです。


製塩法は人類最高の叡智
 古代の人たちは海水を塩田に引き込み、海と土の無機塩類を吸収させた塩をさらに焼くことで浄化しました。その焼き塩は浄血、解毒、消炎、抗菌などの作用と共に不老長生のために食べられていたのです。この製法は門外不出の秘伝として何百年も前から継承されてきました。製塩法は秘中の秘として限られた一族だけに伝承されてきた技で、そのルーツは古代中国の道(タオ)家と言われています。これをさらに遡ると、それは不老不死を求めた錬金術にあったそうですが、要するに塩の製法は人類がさらに進化するために人類が考え出した最高の叡智なのです。

日本にもあった焼塩製法
 古代の人々は自然結晶した粗塩を採取し使用していたと考えられます。しかし、岩場の粗塩はにがり分が多く湿っぽいため、天日で乾燥させてよりよいものに仕上げて行ったのでしょう。長い体験の中から人間はこのような工夫を学んでゆきました。やがて人は塩を土器に入れ、火で焼く智恵を生み出します。これは現在でも伊勢神宮の「御塩作り」に見ることができます。夫婦岩で有名な二見浦にはテニスコート二面ほどの小さな塩田が残されていますが、この塩田は伊勢神宮の神事やお清め用に使う御塩を作るためのもので、毎年一回そこで鹹水(かんすい)が作られます。この鹹水を平釜で煮詰め、粗塩を作り、粗塩は土器一つひとつに詰められ、さらに釜で焼かれるのですが、これが「御塩焼固」と言われる製法で、日本最古の焼塩製法です。この塩はあくまでも神事やお清め用のもので、一般には全く縁のないものになっています。なお、この塩を焼く釜は実は今でも非公開なのですが、これは製塩法は昔から極秘だったことを物語っています。なお、国内では、塩田を使った製法の前に海藻を使った藻塩(もしお)焼きも存在していました。この製法はやがて塩田による製法へと発展し、江戸時代には海岸を持つ諸藩がその製塩法を保護育成したと言われています。

個性ある塩を作る平釜
 塩を煮詰める煎熬のプロセス。真空式蒸発缶を使うと、塩の結晶は液の中で成長してサイコロ形になりますが、特殊な平釜で液の表面で成長させると、トレミーという逆ピラミッド形や、薄片状のフレークという形になります。これらの形が、溶けやすい・付着しやすい・粉と混ざりやすいなどの性質に?がるのです。煮詰め方によって塩の個性が変わり、用途も広がってゆきます。

塩と世界史〜ヨーロッパとアメリカ〜
塩と国家


塩と国家
 古代ローマでは塩を買うのに貨幣が支払われていたそうで、この貨幣のことをサル(sal)と言い、これに因んでサラリーと呼びました。現在の給与を意味するサラリー(salary)の語源となっています。このように古代においても現在においても塩は国家の重要な管理品目の一つであり、貴重な財源でした。人間生活において塩は必須の調味料であり、その使用量から人口の把握も簡単にできますし、流通ルートを押さえれば容易に専売制を敷くこともできます。そのため、各時代の政府は挙ってこの結晶を国家の専売項目に入れました。ちなみに、日本でも最近まで塩の専売制が敷かれていたのは有名で、それが販売も含めて完全に解除されたのは、何と20世紀も終わりに近づいた平成9年になってからのことです。
 その一方で、お隣の中国では4000年前の夏(か)の時代から製塩は行なわれてきましたが、1世紀の後漢の時代には早くも専売制が始められています。『漢書』でも《夫(そ)れ塩は百肴(ひゃっこう)の将、酒は百薬の長》などと書かれていて、如何に国家がこの結晶を重要視したかがよく分かります。たとえば『三國志演義』の英雄として名高い劉備も、元々は塩商人のボディガードとして出発したと言われています。塩は利益率が高い商品なので、盗賊などに襲われやすく、また、国家権力の専売制の圧力もありました。そこで商人たちは腕に覚えのある猛者どもを集め、輸送の護衛に当たらせたのですが、その中に劉備や関羽、張飛といった有名な武将たちがいたのです。彼らは黄巾の乱以降、義勇兵を率いて戦場に出ることになりますが、その背景には塩商人たちの強力なバックアップがあったとも言われています。ちなみに、劉備の配下であった関羽は、ボスを守る強力な武将ということで、死後、塩商人たちの間で守護神として崇められ、やがて商売の神・関帝に昇格します。その関帝を祀ったのが有名な関帝廟(かんていびょう)で、今も中華街などを覗くと、真っ赤な顔をした関羽の堂々とした姿が飾られているのを見た人もいるでしょう。この関帝廟は商人らが華僑として海外に出る時に一緒に持ち出され、今はどの国のどのチャイナ・タウンにもこの建物を見ることができます。

塩の国家専売
 製塩に関する中国最古の文献は800年頃のもので、当時よりも千年も前の夏王朝期の海水からの製塩と塩の交易について記しています。中国は何世紀もの間、塩を国家の財源としてきました。塩を意味する象形文字を分析すると、塩を表す漢字そのものが塩の国家専売を形容していたことが分かるとすら言います。なお、塩に因んで町や地方の名前が付けられているところは数多くあります。ハル及びザルツは塩の意味であり、ハルシュタットやシュバービッシュ・ハル、ハレ、ザルツブルグの町やザルツカマングート(塩の母鉱脈という意味)の地名がそうであり、ハラインは製塩所という意味です。サクソン人は製塩所をウィッチと呼び、このウィッチの付くイギリスの町ノースウィッチ(北の製塩所)とナントウィッチ(南の製塩所)の間の土地はミドルウィッチと呼ばれ、塩を生産していたのです。また、ローマ人はにがみを消すために緑野菜に塩をふり、これが「塩をふる」を意味するサラダの語源ともなりました。さらに、ローマ軍は兵や馬、家畜のための塩を要求しましたが、そこで兵士に給料の代わりに支払われた塩(サラリウム・アルゼンタム)がサラリーの語源になっていることはよく知られているところですが、ラテン語のサルは変化してフランス語で支払いを意味するソルドとなり、兵士(ソルジャー)という単語も塩から生まれた言葉なのです。

ヨーロッパと塩

 中国の例に漏れず、古代ギリシア・ローマでも塩は重要な品目であり続け、特に古代ローマでは、料理に、あるいは染料で染めるのに大量の塩が消費されたと言われています。フェニキア人(現在のシリア近辺の住民)も塩を扱って繁栄しましたし、ガリア人(現在の北東ヨーロッパの原住民)も塩泉を奪い合って戦いを繰り広げました。これが中世に入ると、製塩技術の発達や塩鉱山の開発により塩の供給が増大ます。肉や魚、野菜を保存するのは塩でしたし、また、パンを作る時にも大量の塩を使います(現在もパンには多くの塩が含まれています)。それだけでなく、ビールやワインにも塩が風味付けとして入れられたと言われ、文字通りありとあらゆる食材に塩が使われていったのです。ちなみに、当時の塩は今のような粉末状のものではなく、岩塩をそのまま切り取った大きな結晶状のものが中心でした。これをノミなどでガキンガキンと削り取り、精製して使用したのです。なお、当時の製塩所や塩田は大抵僧院や修道院の支配下にあり、彼らの重要な収入源となりました。時代が下がると共にその支配権は富裕層や領主などに移ってゆきますが、彼らは高い塩税をかけて人々を圧迫したと言います。たとえばフランスでは塩の取り扱いは国家の管理品目となり、塩税を支払わない、いわゆる納税義務を果たさない人々が1780年には厖大な数に上り、1万人近い人々が投獄され、4000人近い人が何らかの形で差し押さえを受けています。この塩税に関する不満がフランス革命の遠因になったとする学者もいるほどです。


参考:塩ダラとヨーロッパ人
 西ヨーロッパ大西洋岸の山岳地帯にはケルト人やローマ人に侵略されることのなかったバスク人が住んでいました。彼らは少なくとも7世紀には捕鯨を行なっており、鯨油や骨、歯などを商品としていました。中世カトリック教会は宗教日に肉食を禁止し、最終的には年の半分が肉抜きの日となりますが、しかし、水棲の動物である鯨の塩漬け脂身は食べることは許可されていました。そして、9世紀には鯨産業で栄えるバスクにヴァイキングが侵入してきました。バスク人はヴァイキングから造船技術を学び、北の海まで出かけ、鯨よりも利益をもたらすタラを発見します。白身のタラは油が少なく塩が浸透しやすく、保存に適していました。塩ダラ料理はヨーロッパじゅうに広まり、新鮮なタラが手に入らない南ヨーロッパで熱烈に歓迎されます。しかし、莫大な富をもたらす塩ダラ市場への参加しようにも塩がありませんでした。一方、ヴァイキングの活動拠点の一つがロワール川河口にあるノワールムーティエ島で、この島の3分の1は天然の塩の干潟であり、ヴァイキングが人工池を作って塩を作る技術を伝えたらしいと言われます。彼らがこの地域で作られた塩をバルト海沿岸諸国に運び、中世末期及びルネッサンス期において最も重要な塩の交易ルートの一つを打ち立てたのです。
 また、ポルトガル人にとって塩ダラ貿易が漁業と製塩業の発展を促しました。裕福な家庭は食料保存に湾の塩を使い、食卓にはもっと高価な白い塩を載せました。中流家庭は安価な湾の塩を買い、溶かして塩水にしたものを煮詰めて純度が高い塩を作って食卓に出していたのです。塩ダラの利益が上がったのは、人工池(塩田)を作る技術が進歩して海塩の生産量が増大したためで、結果として塩漬けの魚の生産量の増大にも?がりました。吊り輪に吊した塩ダラと樽の塩漬けニシンはヨーロッパ各地で人々を飢餓から救ったのです。ちなみに、北方の漁業における塩不足はニシンと塩の貿易を組織していた商人組織が解決しました。その組織がハンザ同盟となり、1400年頃には北方ヨーロッパのニシンと塩の製造を独占するまでになったのです。

アメリカと塩〜戦略物資としての塩〜


独立戦争〜新生国家が刻んだ苦い記憶〜
 イギリスの植民地であるヴァージニアの人々は、家畜を飼育しながらもイギリス産の塩漬け牛肉を大量に輸入していました。地元でもある程度塩を作り、もっと多くの塩をイギリスから買い付けて豚肉の脂肪を塩漬けする家内産業を立ち上げたのです。独立戦争の頃にはヴァージニア・ハムは特産品としてニューヨークやジャマイカといった植民地だけでなく、イギリスにまで売られていました。もちろんアメリカの植民地人は持ち前の自立心から塩の自給を目指し、かなりの量を生産しましたが、イギリスは植民地統治政策としてリヴァプールの塩を値下げしてアメリカ産より買い易くしたことにより、結果的にアメリカ産塩の生産量は低下してしまいました。
 植民地人たちは国内で必要な塩を確保していましたが、輸出品を作るには不充分でした。イギリス産の塩で製品を作る限りイギリスはアメリカの過剰な生産に干渉しませんでしたが、しかし、アメリカで商業の発展が国家としての独立に結びつくことを恐れたイギリスは、1759年、懲罰的な関税や税金その他様々な手段によりアメリカの貿易を妨害し始めます。そして1775年夏、イギリスは反乱軍鎮圧の名目で宣戦布告、海上封鎖を断行しました。独立戦争の始まりです。その上、大西洋の中央に位置する植民地の製塩所を破壊し、ニューイングランド(アメリカ東北部)と南部の二大製塩地を隔離しました。アメリカは忽ち深刻な塩不足となり、漁業だけでな、陸軍の兵隊や馬、医療面の全てが打撃を被りました。アメリカ植民地軍は海上封鎖に対抗して、塩の生産方式として海水を煮詰める方法を採りますが、しかし、大量の木材を投じて煮詰めても、得られる塩は微々たる量でした。そこで植民地の全ての塩輸入業者や製塩業者に補助金を出すことになり、アメリカ海岸中で製塩所が稼働し始めました。また、天日乾燥技術も取り入れましたが、必要な量の塩を生産できませんでした。1783年にパリ条約が結ばれ、アメリカは晴れて独立国家となりますが、新生国家は「塩を他国に頼らなければならないことが何を意味するか」という苦い記憶と共に誕生したのです。1793年、まだ塩が欠乏する戦後経済の中で製塩用水槽の屋根をオーク材の巻き上げ機で開閉する装置が発明され、このお陰で海塩が能率的に作られるようになったのです。

南北戦争〜食肉保存用の塩なくしては〜
 1858年の時点で南部の主要な塩産出州は、ヴァージニアやケンタッキー、フロリダ、テキサスであり、8万3千m3(体積)の生産量でした。その一方で、北部のニューヨークやオハイオ、ペンシルヴァニアの塩産出量は4,230万m3で、圧倒的に北部の生産量が多かったのです。南部にはイギリスやイギリス領カリブからの塩が輸入されていましたが、その量は北部の4分の1程度でした。従って塩は南軍の糧食リストに常に載っており、1ヶ月の支給量は680gでした。北軍の方は塩や塩漬けの豚肉・牛肉、ベーコンを支給しましたが、両軍共リスト通りに支給されたわけではありませんでした。
 1861年4月12日に南北戦争が勃発し、その4日後にリンカーン大統領は全ての南部の港の封鎖を命じ、海外から塩をはじめ食料が供給されないように兵糧責めの策を取り、1865年の終戦までそれは解かれませんでした。海上封鎖は南部の塩不足を招き、多くの食料が高騰しました。南軍の塩不足が戦略上有利に働くことを北軍は直ぐに理解します。シャーマン将軍は南軍に塩を与えてはならないと説き、「塩は重要な戦時禁制品である。食肉保存用の塩なくして軍は存続できない」と述べたと言います。そんな訳で、北軍は製塩所を奪取すると必ず破壊しました。これに対し南軍は、製塩所を制圧すると、戦利品として喜び、製塩を開始しました。戦争の進行につれて、北軍はヴァージニアからテキサスまで製塩所を手当たり次第に攻撃してゆきました。北部諸州の海軍は南軍側の沿岸にある製塩所を悉く砲撃して、軍に塩が供給されないようにしたのです。北軍の勝利に終わった南北戦争については、このように戦略物資である塩に対する考え方の違いで勝敗が決まったとも考えられます。

塩と日本史

 日本の国土は四方を海に囲われているため、塩作りに持ってこいだとと思われがちですが、実は日本の塩作りには歴史的に大変な苦労があったのです。その創意工夫が世界でも高く評価される安全で質の高い現在の塩作りに?がっているのです。
塩と日本の歴史

 日本で塩が使われるようになったのは縄文時代の終わりから弥生時代にかけてと言われています。狩りをして暮らしていた頃は、動物の肉だけではなく内臓や骨の髄まで食べていました。内臓や骨の髄には多くの塩分が含まれているため、別に塩を摂る必要がなかったのです。それが農耕による定住生活を行なうようになると、米などの穀物や野菜を主に食べるようになり、必要な塩分を塩から取るようになったと考えられています。


古代〜近世
 日本は海に囲まれていますが、湿度が高く、平地面積が小さいため、海外のように塩田で1〜2年もかけて塩を結晶させるという方法は採れず、塩を取るために様々な工夫をしてきました。なお、塩を作る工程は採鹹(さいかん)と呼ばれる海水から灌水(濃い塩水)を採る段階と、煎熬(せんごう)と呼ばれる灌水を煮詰めて塩にする段階を経て脱水、塩の完成となります。日本における最も古い塩作りの方法は、干した海草を焼いて残った塩の混ざった灰をそのまま使う方法です。6〜7世紀になると干した海草に海水をかけ、灌水を採るようになり、それを土器に入れて煮詰めて塩を作るようになりました。この方法は日本独特のもので、藻塩焼きと呼ばれます。
 次に8世紀、奈良時代になると、海草に代わって、塩分が付着した砂を利用して灌水を採る方法である塩地に変わります。大潮で海水に浸った砂は次の大潮までの間に乾燥し、塩が砂につきますが、この砂に海水をかけ、灌水を採るのです。煎熬にも土器に代わって、焼いた貝殻と灰、土を塩水で練って作った土釜が使われるようになりました。次に9世紀になると、効率的に塩を得るため採鹹地に手を加えるようになり、塩浜の形に発達しました。地域の条件により、塩浜は、(A)干満の水位差を利用した入浜式(干満差が大きい地域の干潟が発達 した内海や河口などが主となる)と、(B)人力で原料海水を汲み上げる揚浜式(干満差が小さい日本海側や外海に面して波浪が荒い太平洋側が主となる)の二つの塩浜とに分けられます。煎熬にも土釜の他、釜底に石を敷き詰め、その隙間を漆喰でうめた石釜が多くの地域で使 われるようになった他、それまでは中国産で一般的なものではなかった鉄釜が国産化されて一部の地域で使われるようになりました。さらに17世紀中旬になると、様々な工夫を施した入浜式塩田が播磨の国・赤穂(今の兵庫県)で始まりました。以降、瀬戸内海沿岸の十カ国(備前、周防、讃岐など)が日本の製塩の中心となり、十州塩田と呼ばれました。この入浜式塩田は改良されながら1959年まで続きました。一方、入浜式塩田に不向きな三陸地方では、採鹹工程を行なわず、海水を直接煮詰める海水直煮と呼ばれる製塩も行なわれていました。

近代以降
 これが明治時代に入り、1905年塩の専売制が施行されます。これは前年に始まった日露戦争の戦費調達を目的にしたものでしたが、後には低価格な外国産塩に対し、国内の製塩業の保護・育成と安定供給という面が強くなります(この専売制は1997年まで続きます)。また、明治末頃になると、化学工業の発達や人口の増加により塩の需要が増え、国内産の塩だけでは不足するようになり、海外からの輸入が始まり、1938年の自給率は20%程度に留まりました。さらに昭和の初めになると、鉄釜に代わって蒸気利用式塩釜と真空式蒸発缶が導入され、まず煎熬工程に改革が起こりました。このように塩の自給率が低い中、第二次世界大戦に突入すると、当然ながら塩の生産は激減、輸入も困難となり、塩は割当配給制に、さらに非常時ということで自家用の塩の製塩も認められるほどとなりました。そして、終戦後の1948年頃には、採鹹工程も、海水を自然に移動・流下させるために労働力が従来の入浜式の10分の1で済む流下式塩田が始まり、1959年には全ての塩田がこの方式に変わりました。しかし、工業化が進む中で効率的な塩の生産がさらに求められていました。1965年には日本でイオン交換膜法が開発され、広がってゆきました。これは従来の方式とは全く異なり、電気を利用して海水から塩化ナトリウムを取り出すものです。そして、1971年には塩業近代化臨時措置法が制定され、全面的にこの方式に切り換えられましたが、これは一般企業が日本で塩の製造を行なったり自由に輸入することも禁止するものでした。これは安価で安定した供給だけではなく、沿岸部を工業・港湾用地として活用することも望んだ産業界の要請に応えたものと見なされていますが、しかしながら、塩田を全て廃止し、塩化ナトリウムという高純度の塩のみを食用にすることには反対意見も多く、1973年には専売公社の輸入した塩ににがりを加え、より自然塩に近い形の再加工塩である「赤穂の塩」や「伯方の塩」がその運動の中から生まれます。また、伊豆大島では研究会という形で1976年より海水からの自然塩の製造方法の研究を行なっていましたが、当時は独自に海水から塩を作ることが禁じられていたので全量廃棄が義務づけられていました。それが1997年には自由化の一環として92年間続いた塩専売法が廃止され、新たに塩事業法が施行され、塩の製造、販売、輸入(2002年より)が自由にできるようになりました。世界各国から様々な塩が輸入されるようになり、塩製造者も増え、現在は日本各地で様々な方法で塩作りが行なわれています。

日本は塩づくりに不向きだった!?

 世界で生産されている塩のうち最も割合の多いのは岩塩で、塩全体の4割近くを占めています。しかし、日本には岩塩や塩湖などがないため、昔から海水だけが塩作りの原料でした。もちろん海水から塩を作っている国なら他にもたくさんありますが、しかし、日本の場合には風土の事情から他の国々にはない塩作りの苦労があったのです。ちなみに、世界の大部分の塩は岩塩か海水による天日製塩法によって作られていますが、日本の製塩法はそのどちらにも属さず、その他の2%に分類されているのです。
 世界の海塩はその殆どが天日製法塩と言われるもので、これは海水を広大な塩田などに引き込み、太陽の力で水分を蒸発させて塩にするものです。ところが、日本は土地も狭く、雨が多くて湿度が高いためにこの方法は使えません。岩塩もなく、天日塩も駄目となると、残る方法は海水を煮詰めて塩を取り出す方法です。然るに海水中の塩分は僅か3%。1リットルの中に塩は30g程度しか含まれていないのです。これをただ煮詰めて取り出すのでは大変に効率の悪い塩作りになってしまいます。如何に少ないエネルギーで海水中の塩を効率的に取り出すか――これが常に日本の塩作りの大きな課題だったのです。この課題に対して様々な製塩法が考え出されてきました。
日本ならではの塩作りの歴史

 日本独自の塩作りの方法は大きく2つのステップに分けられます。まずはなるべく多く海水の水分を飛ばして、灌水(かんすい)と呼ばれる濃い塩水を作りますが、これが採鹹(さいかん)という第1段階です。この灌水を煮詰めて塩として取り出すのが第2段階で、これを煎熬(せんごう)と言います。歴史をたどると、この方法が段々と洗練されてくるのが分かります。


藻塩焼き:
 日本で最も原始的な製法は海藻を使った塩作りです。詳しい方法は謎ですが、干した海藻に海水をかけて灌水を採り、土器で煮詰めて塩にしたのではないかと考えられています。藻塩焼きに使われていた土器は、弥生・古墳時代を中心に全国各地の海岸部でたくさん出土しています。

揚げ浜式塩田:
 約1200年前(平安時代)には既に行なわれていた伝統的な製法で、水が染み込まないように固めた塩浜に人力で運んで来た海水を繰り返し撒いて天日乾燥させ、塩分をたくさん含んだ砂を作ります。次に砂に付いた塩分を海水で洗い流して灌水を採り、釜屋と呼ばれる小屋で煮詰めまる方式で、能登半島の一部では現在でも行なわれています。

入浜式塩田:
 潮の干満差を利用して塩田に海水を引き込む製法で、碁盤の目のように引かれた浜溝から海水が塩田全体に広がり、毛細管現象によって砂の表面に染み出すので、塩分を多く含んだ砂ができますが、これを集めて沼井(ぬい)に入れ、上から海水をかけて灌水を作る方式です。入浜式の製塩は約500年前(室町時代末期)には既に行なわれており、以来、昭和30(1955)年頃まで約400年間に渡って盛んに行なわれました。

流下式枝条架式塩田:
 昭和20年代後半から入浜式塩田に代わって導入され、昭和30年頃から昭和46(1971)年まで行なわれました。まずポンプで汲み上げた海水を緩やかに傾いた塩田に流します。塩田をゆっくり移動して乾燥してきた海水を竹の枝を組んだ枝条架の上から滴らせ、太陽と風で水気を飛ばしてさらに濃縮させる方式です。陽射しの弱い冬でも安定生産でき、砂を動かす重労働も必要ないため、入浜式塩田と比べて生産量は2.5倍〜3倍と大幅に増加し、労力は10分の1になりました。

現代の主な製塩法





 昭和47(1972)年以降、日本の製塩法はイオン交換膜と電気エネルギーを利用して灌水を採り、真空蒸発缶で煮詰める方法に変わりました。海水が原料であること、採鹹及び煎熬の2工程のあることでは従来の方法と変わりませんが、これまでのような広大な塩田が不要で、天候にも左右されず、効率よく優れた品質の塩を作ることができます。この方法によって、地面の占有面積はこれまでの1万分の1、生産量は従来の7倍以上になりました。安全性の高い塩を安価に安定供給できるようになり、また、拡大してきていた工業用原料としての塩のニーズも満たすことができるようになったのです。
塩 


イオン交換膜による世界一安全な日本の塩
 現在日本で作られている塩の90%以上はイオン交換膜製塩法によるもので、これは世界でもその安全性を評価されている製塩法です。
 汲み上げられた海水はまず濾過によってにごりが水道水の10分の1というレベルにまで浄められ、その後イオン交換膜透析槽で濃縮されます。これは塩の主成分となるナトリウムやカリウム、マグネシウム、カルシウム及び塩化物イオン等が溶けた状態だとプラスとマイナスの電気を帯びていることに着目した方法で、電気の力で塩の主成分を集めるものです。ちなみにイオン交換膜は100万分の1mmという精度で有害物質(水銀やPCB)をシャットアウトするため、世界的に深刻化しつつある海洋の汚染に対しても対処することができます。また、イオン交換膜は、乳児用粉ミルクや減塩醤油、果物ジュース、注射液など食品や医薬品を作る際にも使われる安全なものです。そして、イオン交換膜透析槽で濃縮された後、灌水は真空蒸発缶で加熱濃縮され、塩の結晶になりますが、この全行程は外部から遮断されており、空中からの汚れ等も入らないようになっています。


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【3】塩の文化とその風俗

 塩は生活と共に人間の文化と深く関わっています。塩はその腐敗を防ぐなどの特徴から、古来より清めの力を持つと信じられてきました。本節では、現代も続く清め塩や盛り塩について取り上げ解説しました。
塩と宗教

 塩は宗教とも密接な関係を持っています。今でも「清めの塩」などと言われ、洋の東西を問わず、宗教的儀式の後には塩が降り撒かれますが、塩がこのように宗教と密接な関係を持つのは、塩が人間にとって必須の要素であり、長期の保存に使われるものだったからであると考えられています。完全なる形(正六面体の結晶)と完全なる中立性(酸でもアルカリでもない中性)を持つといった部分も或は影響しているのかも分かりません。
 たとえばイエス・キリストも、その塩の保存性に着目し、新約聖書の中の有名な山上の垂訓と呼ばれる説教において、弟子たちに対して《あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。》(マタイによる福音書 第5章13節、口語訳)と告げています。また、旧約聖書には、神が悪徳の街ソドム(男色=ソドミーsodomyの語源)とゴモラを神の炎で焼き尽くした時、ユダヤ人の父祖であるアブラハムの甥であるロトの妻が、神の使いの忠告に従わず、迂闊にも後ろを振り返ってしまったために塩の柱となってしまった、というエピソードがあります。さらに錬金術においても、塩は地・水・火・風の四大元素の全てを受け継ぐ完全な存在として大切に扱われました。なぜなら、塩は《蒸発(風化)によって大地の水から解放された火》だからです。その証拠に古代ギリシア人も、塩だけは管轄する神のいない、人間自身だけが管理しうるものとみなしました。もちろん日本においても、やはり葬式の後にはよく知られている通清めの塩を振りかける風習があり、そのための専用袋も用意されています。ちなみに、商売繁盛を願って盛り塩をするのは宗教的意味合いとはちょっと違い、古代中国の故事から来ています。それによると、晋の武帝(司馬炎)は1万人もの女性を後宮に入れたのですが、牛に跨がって散策がてら、その牛が止まった部屋で夜のお相手をする女性を決めていたそうです。ところが、いつの頃からか、どうも同じ部屋の前で止まってしまう。何故かと思って調べてみたら、女性が機転を利かせて、牛の大好きな塩を部屋の前に盛っていたと言うのです。武帝はその機知にいたく感心し、女性を褒めたということですが、そこから、人を呼び寄せる手段として家の前に盛り塩をする、という風習が生まれたと言われています。
清め塩は何のため?

 日本各地には、お葬式を終えた後にお清めとして塩を撒いたり踏んだりする習慣があります。しかし、清め塩は必要という人と不要という人がいます。一体どちらが正しいのでしょう?


清め塩の歴史〜神道葬儀では必ず祭壇に塩をお供えします〜
 塩は生命を維持してゆくものに極めて大切なもので、そのため、塩にまつわる逸話は世界各地に残されています。先にも紹介したように、キリスト教では新約聖書の中に《あなたがたは地の塩である》と塩について触れられていますし、日本では『古事記』にイザナギノミコトが黄泉の国で腐敗した妻の姿を見て逃げ帰った後、海水で清めるミソギハライ(禊祓)をしたという文が記されています。日本人の祖先は、よくないこと、たとえば天災や病気、事故などが起こった場合、目に見えるひとつの形として塩を使って清めることを行なっていました。地鎮祭などの神事では必ず盛り塩が供えられますが、これらは昔から習慣・習俗として代々伝わってきたものなのです。なお、店先に盛り塩を置くのは日本だけの習慣ではなく、中国でも行なわれていました。これも先に触れましたが、今から1300年前の晋の時代、始皇帝は牛車に乗って後宮を廻るのですが、その際に人々は始皇帝が自分の家の前を素通りしないで止まるようにと、牛が好む塩を撒いておいたのだそうです。この逸話がもとになって、盛り塩は「客を招く」と言われ、店先に置かれるようになったと言われています。風水でも「福を呼ぶ」と盛り塩を置くことを提唱している専門家は多いようです。
 一方で塩は、日常生活では食べ物を殺菌したり浄化したりするだけでなく、塩漬けや干物等の保存食を使用するのにも不可欠な存在です。科学的に見ても安定した物質で、腐敗もしないことから、塩は法律で定められている賞味期限の設定も免除されているほどなのです。ご遺体の腐敗の進行を遅らせるためにも使われていた塩ですから、不浄のものを清めるという意味があるのは習慣として理解できても、つい数日前まで生きていた人を穢れた物扱いするのには抵抗があるという違和感を持つ人も少なくありません。嫌な来客が帰った時などに「塩を撒け!」と追い払う光景を思い描くと、親しい人が亡くなった時に塩を撒くことにどういう意味があるのか考えてしまう人がいても当然でしょう。

清め塩の是非に関する論争
 清め塩の習慣は習俗として続けられていた面があり、仏教系宗派も黙認していましたが、最近は「清め塩を止めよう」と声を挙げる寺院も増えてきました。
 神道では死を穢れと考えます。昔はドライアイス等がありませんでしたから、人が亡くなると腐敗が見る見る進行し、衛生面も悪く、悪臭を放っていたことでしょう。汚いものとして扱われたのも当然のことかも知れません。また、ケガレという言葉の意味は「気枯れ」から来ているとも言われています。つまり、人が亡くなって悲しみの余り「気」が「枯れてしまう」という状態のことを言います。その「気」を元の状態に戻すために塩というツールを使って元に戻すお清めが行なわれるのです。その一方で、近年仏教では清め塩は排除の方向へ向かっています。仏教では生と死を一つの世界として捉えているため、必ずしも死は穢れたものではないとされています。確かに自分が死んだ時に汚いものとして塩をパッパと使われたら、除け者にされたような気になってしまうかも知れません。 「清め塩」は仏教の教義に由来するものではない、廃止するべきだと最初に声をあげたのは浄土真宗の寺院ですが、その意見に賛同している他の仏教系各宗派も最近は増えていると言われます。葬儀社のサービスのに一つに会葬礼状に塩の小袋が添えられているケースが多くありますが、これを排除しようという動きもあります。

あなたは清め塩を使いますか?
 それでは、一般の人は清め塩に対してどのように感じているでしょうか? 「死者を穢れと見るのは抵抗がある」という意見の他、「死は恐怖で、近づいてほしくないから形として塩を撒きたい」という意見もあるでしょう。或は「何となく昔から行なわれていることだから、やっぱり使う」という人、「身内が亡くなると心が乱れる。自分自身のケジメとして撒いてもいいのでは」「死イコール縁起でもないこととして塩で排除するのはどうかと思う」という人、さまざまな意見の人がいることでしょう。あなたは清めの塩に対してどのような意見をお持ちでしょうか?
 日本のお葬式は様々な文化や習俗、宗教の影響をうけて現在の形になっています。仏教式の葬儀であっても、お釈迦様の時代、各宗派の開祖の時代とは異なった形式で進められています。祭壇・位牌・年忌法要などは儒教方式で、戒名(法名)・火葬は仏教方式、黒い喪服は西洋文化の影響を受けている、といった具合です。なお、昭和40年代頃から会葬礼状に清め塩の小袋が添えられるようになりました。ただし、葬儀社が塩を準備しているのは葬儀に付加価値をつけるためにサービスとして付けているに過ぎないことは覚えておいてよいでしょう。実際には塩が付いていても付いていなくても、さほど騒ぎ立てることではないのです。そんな訳で、葬儀と清め塩の関係、また、その考え方や使用の是非は、やはり時代の流れで変化してゆくのだと考えることもできるでしょう。従って、清め塩を使うかどうかは考え方次第です。習俗・信仰・地域等様々な事情が絡んで来ますので、結局のところ自分自身で判断することになります。

盛り塩ってどうやってやるの?


盛り塩の由来
盛り塩 盛り塩とは、塩を三角錐型あるいは円錐型に盛り、玄関先や家の中に置く風習で、主に縁起担ぎや厄除け、魔除けの意味を持つとされています。現在様々な開運法がある中で、みんなが知っていて、なおかつ手軽にできる開運法の一つとして最近はやっているのが盛り塩です。現代では盛り塩は厄除けや場の浄化、運を引き寄せる開運方法として捉えられています。岩塩などを盛り塩皿に盛り塩固め器などの器具を用いて三角錐や円錐に盛るのが盛り塩の作法で、これに敷板が併せて用いられることもあります。そのルーツは様々なものがありますが、奈良・平安時代には既に行なわれていた風習だと言われています。何れにせよ、盛り塩の意義を大きく二つに分けると、(A)人寄せのための縁起担ぎとしての盛り塩(B)神事及び葬送儀礼としてのお清めの塩、或は神に捧げる神聖な供え物としての塩、ということになります。正確な由来は茫漠としており判明としませんが、日本においては神事・仏事としての盛り塩から一般に広まった方が穏当と考えられ、中国の故事由来説は話の面白さのために広まった可能性もあると考えられています。ただ、神事・仏事のどちらが根本的な由来かは分からず、後代になるほど両者における意味合いが相交渉し融合するために明確には区別しづらいのが現状です。
  • 中国由来説:
     盛り塩の作法は一般には中国の故事に由来しているとされます。 この故事には二つあり、一つは今から1300年前の晋代に武帝という皇帝が後宮にいる女性を訪ねる際のこと、女性を自分で選ぶことはできないから、今晩の褥の宿を羊車の羊にお任せするということにしたところ、そこに胡国出身の後宮に胡貴嬪という女性がいて、羊の好きな竹の葉に塩水をかけて(挿竹灑塩)自宅門前に置き、武帝を招き寄せて寵愛を独り占めしたというものです。この話は『晋書』の「胡貴嬪伝」(巻三十一列伝第一)に記載されているものですが、牛ではなく、羊車の為に日本の盛り塩の風習の直接的な由来としては説得力が乏しいとされています。また、もう一つの故事は秦の始皇帝の話で、話の大本は酷似しています(※先に紹介したのはこの故事の方です)。始皇帝には沢山の女性があり、毎日訪ねるところを自分で選ぶのは大変なので、牛車に乗り、その牛が止まったところを晩の宿とすることにしました。三千人の女性の中には賢い女性がいて、自宅の前に牛の好きな塩を置いたため牛車が止まり、その女性は皇帝から寵愛を受けたという話です。実はこの話の典拠は不明で、この話では羊車では無く牛車となっていますが、始皇帝在位期間が紀元前246〜210年の折には、日本は『日本書紀』の記載からして第七代孝霊天皇から第八代孝元天皇の始めの頃のことですから、まだ国家社会や文化としても素朴であった日本に盛り塩の風習が伝わり、広まったとは考えにくく、また、日本における漢字伝来が405年の王仁(わに)の来日、513年の五経博士の来日からとされているため、700年以上前の異国の逸話が日本に伝わり、広まったというのは可能性としては低いのではないかと専門家は見ているそうです。

  • 日本由来説:
     上記とは別に、盛り塩の由来は神事及び葬送儀礼から来たのではないかとする見方もあります。葬送儀礼では葬式後に塩を撒く風習があり、また、神道の方では神棚に盛り塩を供えるといった風習があり、また、塩が清浄や生命力の更新といった意味合いがあるからです。日本では『古事記』に海水で禊ぎ・祓いをした記載があり、これを潮垢離(しおごり)と言います。

盛り塩の作法
  • 盛り塩に使う塩は自然製法で混ざり気のないものを
     盛り塩に使う塩は塩釜で作られた天日塩や岩塩などが一般的です。家庭でよく使われている粗塩の中には、天然のものであっても、にがりや旨味成分などが含まれているものがありますが、成分が添加されたものや焼成方法などで作られた塩は余りオススメできません。混ざり気のない天然の製法で作られた塩を使う方がよいでしょう。盛り塩の塩の色は白がメジャーですが、色の付いた塩(岩塩)もあり、たとえばピンク色は恋愛・結婚・子宝、黒色は事業運に効くなどと言う人もいます。

  • 盛り方は山盛りを意識して
     盛り塩は塩が盛っているのが原則で、塩を皿に平べったく乗せたものは盛り塩とは言いません。盛り塩の作り方は、まず塩を皿の上に盛り、山の形に整えます。山の形であれば雑でも大丈夫です。出来れば円錐か四角錐の形に整えます。通販で盛り塩用の固め形、盛り塩用のへらが売られているので、形にこだわりたい人はこれらを使ってみるのもよいでしょう。なお、固めて盛る際は、塩に軽く霧吹きをして固めやすくしてから形を作ってゆきます。

  • 器は陶器なら色は何でもOK
     器は陶器の平皿が基本です。色は白に限らず、何でも構いません。ご自分のラッキーカラーとされる色をお皿を使用するのもよいでしょうし、インテリアに合わせた色を選ぶのもよいと思います。

  • 塩は1週間に1度は交換を
     盛り塩でやりがちなのは、塩を置いたら置きっ放しにしてしまうことです。盛った塩は水を吸いやすいだけでなく、悪い気を吸収しやすいので、これをいつまでも放置しておくと、盛り塩に悪い気がどんどん吸収され、溜まってしまうのです。そのため、盛り塩をしたために却って運気の低下を引き起こしてしまうことも考えられます。そんな訳で。盛り塩の交換は少なくとも1週間に1度は行なうのがオススメです。なお、塩が固まっていたり水に濡れていたら、そのつど交換をすることも忘れないようにしましょう。

  • 使用済みの塩はきちんと処分を
     使用した塩は処分方法に決まりはなく、そのまま捨てたり水に流したり、或は雑草除けに蒔いても構いません。ただし当たり前の放しですが、悪い運気ばかりでなく、衛生的に悪いものも取り込んでいますので、食用には絶対にしないで下さい。また、悪い運気が取込まれているため、お風呂のバスソルトとして使用しないようにして下さい。


盛り塩の設置場所〜開運するなら何処がよい?〜 
 盛り塩はここに置いては駄目という決まりは特にありません。厄を払い、運を引き寄せたいという場所に置くのが基本です。盛り塩は、厄除けよりも縁を引き寄せ、福招きとして強い意味合いを持つ風水アイテムなので、浄化や厄除けにこだわらず、気楽な気持ちで盛り塩を行なうと、たくさんの福が舞い込んでくるかも知れません。盛り塩は身近なものでできますから、やったことがない人も試してみて損はないと思います。
  • 厄除け:
     玄関に置きましょう。外でも中でも大丈夫です。一対で置くとより効果があります。お風呂やトイレに置くと浄化効果アップが図れます。徹底して厄を除けたい人は、家全体から見て北東と南西に位置する場所に置きます。北東は鬼門に当たり、南西から北東は鬼門のラインに当たります。

  • 恋愛:
     自分の部屋に置きます。片思いの人は南東ないし西、南に、告白の返事待ち&両思いになりたい人は南東ないし東、西に、結婚したい人は南東ないし東、南西ないし西に、セックスを上げたい人は南東ないし西(もしくはベッドの近くがオススメ)に、浮気防止は南東ないし南に、それぞれ自分の部屋からみた方角に盛り塩を置きます。余りたくさん塩を置きたくない人は、恋愛運アップの方角である南東に盛り塩を一つ置くとよいでしょう。

  • 金運:
     トイレや水周りに置きます。水周りは水によって悪い気が溜まりやすくなっているので、置く際は水周りの掃除をしてから置くようにします。自分の部屋に置く場合は、自分の部屋の中心から見て北西ないし西の位置に置きます。貯金をしたいなら北東にも盛り塩を置くとよいでしょう。

  • 仕事運:
     職場に盛り塩が置けるなら、使用しているデスクや部署に置くのもよいでしょう。自分の目に付く場所に置くと、トラブル防止だけでなく、仕事のチャンスも引き寄せます。嫌な上司とのトラブル回避は、その上司がいる方角に盛り塩をデスクに置きます。なお、職場に盛り塩が置けないのであれば、自分の中心からみて北西ないし北東の方角に盛り塩を置きます。転職&就職希望であれば南ないし南西に置き、フリーランス&自営業の運気アップなら東ないし北、、北東に置くとよいでしょう。


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【4】塩と健康〜食塩感受性と血圧の関係〜

 塩は人間の健康にとってなくてはならないものですが、反面、塩の摂り過ぎは高血圧などの疾病をもたらすこともよく知られた事実です。本節では塩分と血圧の関係を中心に取り上げ解説しました。
塩の美味しさを科学する

 料理の決め手となる塩は人間が生きてゆく上でも欠かせない重要なものです。塩にはどのような性質及び働きがあり、私たちの食生活に関係しているのか、改めて探ってみましょう。
細胞外液は体内の中の海

 生命は原始の海から発生したと考えられています。ナトリウムや塩素、マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのイオンに満たされた海で誕生した原始生命体は、進化の道をたどり、やがて人が出現しました。こうして誕生した人の身体は約60%が水分なのですが、このうち3分の2は細胞内に存在し、細胞内液と呼ばれ、残り3分の1は血液と細胞間を満たしている体液で、合わせて細胞外液と呼ばれます。この細胞外液にはナトリウムや塩素など海水にとても似た構成比の成分が含まれています。60兆個あると言われる人間の細胞は、いわば細胞外液という海に浮かんでいるのです。細胞外液と同じく細胞内液にもミネラルが含まれていますが、細胞内液の主なミネラルはカリウムで、細胞外液の主なミネラルはナトリウムと塩素です。これらのミネラルが常にバランスを取りながら細胞内外の浸透圧を調節し、浸透圧の作用で栄養が細胞内に取り込まれ、また反対に細胞内の老廃物を細胞外に排出しています。細胞膜を通したこのような物質の循環によって身体は機能し、生命活動が維持されているのです。そして、細胞外液の水分量と浸透圧を一定に保つため、体内には常に200g近くのナトリウムと塩素つまり食塩が保持されています。浸透圧以外にナトリウムは、体液のpHを一定に保ち、神経の伝達や筋肉の収縮などにも関与しています。また、塩素は胃液中の塩酸の成分として重要な役割も担っています。


塩と食塩
 酸とアルカリが反応すると、水と共に化合物が生じます。これを塩(えん)または塩類(えんるい)と言います。塩には硝酸塩、硫酸塩、ホウ酸塩、炭酸塩、ケイ酸塩など様々な種類がありますが、その中で特に塩化ナトリウムを食塩と呼び、他の塩類と区別しています。

灌水と煎熬
 海水に含まれる3.5%程度の塩分を取り出す製塩法は世界的には天日製塩が主流です。これは太陽エネルギーを利用して海水から水分を蒸発させ、塩の結晶を得る方式で、メキシコや中国、オーストラリアが主要な産地です。しかし、日本は雨が多く高温多湿のため、天日製塩は適しておらず、そのため、太陽と風の自然の力や蒸気熱、逆浸透圧装置などを利用して、まず塩分濃度が凝縮された灌水(かんすい)と呼ばれる濃い塩水にして、この灌水を煮つめて塩を作っています。この灌水を煮つめて塩を作る作業を煎熬(せんごう)と呼びます。この2つの行程を経る理由は、大量の海水を直接加熱して蒸発させるには大量の燃料を消費して効率が悪いからです。

イオン交換膜法
 日本で開発・実用化された方法で、海水を20%濃度の灌水にまで濃縮することが出来ます。これによって得た灌水の水分を真空蒸発缶で蒸発させ、最後に脱水器で苦汁を含んだ水を取り除いて塩の結晶を採取します。

塩とにがり成分
 にがりを含む塩類はゆっくりと水を蒸発させ続けると濃縮されて、やがて結晶となって成長します。析出する順番は決まっていて、塩化ナトリウムが先に結晶し、その後にがりの成分が結晶となります。塩がある程度出て来たところで、それ以上濃縮を止めてしまえば、既に固体の結晶になっている塩の成分とまだ液体に溶けたままのにがりの成分とを分けることができます。また、塩の結晶は濃縮されるスピードが速いと細かく、ゆっくりだと大きくなります。1個1個の結晶を大きく成長させると表面積が少ないので、付着しているにがりの成分は少なく、大きく結晶させた方が純度は上がることになります。そして、塩が析出した後もさらに濃縮を続けると、後に続く各種にがり成分も結晶し、にがりを含んだ塩になります。

塩はミネラルの塊


塩の違い
 塩の原料は主に海水と岩塩です。岩塩は大古の海水が蒸発して堆積したもので、元を質せばやはり海水です。また、塩の製造方法は大きく分ければ、(1)海水を太陽熱で蒸発させ、その塩の結晶を得る方法、(2)海水などを濃縮し、それを釜に入れて煮詰める方法、(3)岩塩の採掘に分けられます。ちなみに、日本では塩の専売制の下、1972年以来ほぼイオン交換膜法という日本独自の方法で海水から作った高純度の食塩のみが生産・流通していましたが、1997年に塩の専売制度が廃止され、現在は自由な塩の製造販売が可能となり、輸入塩を含めて様々な塩が販売されています。

塩はミネラルの塊
 海水中のミネラル成分は3.5%程度。微量な元素まで含めると100種類以上の物質が含まれています。その中で塩化ナトリウムは約8割弱、次に多いのが塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウム、塩化カリウムで、これらでミネラル成分の99.6%以上を占めます。また、塩化ナトリウム以外のミネラル成分は苦汁(にがり)と言い、豆腐の凝固剤として知られています。苦汁が多く含まれる塩を「ミネラルの多い塩」という言い方をしますが、そもそも塩はミネラルの塊なのです。なお、塩化ナトリウムは舌を刺すような塩辛さですが、マグネシウムは苦味、カルシウムは甘味、カリウムは酸味があり、塩の味にそれらの成分が影響します。にがりはその名の通り苦味があり、含有率が多すぎると味が悪くなりますが、適度に含まれていればむしろ塩を美味しく感じさせるのです。

塩と味の関係

 塩味を美味しいと感じられる許容範囲は、他の調味料に比べると大変狭く、薄すぎると美味しくなく、濃すぎると食べられないほどに感じます。一般に体液の塩分濃度0.9%と同じ程度の塩分濃度が調理の基本とされており、お吸い物や汁物はこの濃度よりやや薄目の味付けします。煮物は塩分比率が高くなりますが、これはご飯と一緒に食べることを前提に調理するからで、実際ご飯と一緒に食べると塩味は薄められてちょうどよい味付けになるのです。 また、塩は味付けだけでなく他の味とのバランスで様々な効果を発揮します。たとえばお汁粉に少量の塩を加えると却って甘さが引き立って美味しくなる、コンブや鰹節で出汁を採る時に塩を少量加えると旨みが増すなどといった知恵がそれです。このように旨みや風味などを強調させる作用を対比効果と言います。さらに、寿司酢には塩を加えますが、これは塩によって酢の酸味が抑えられるからです。「塩梅(あんばい)がよい」という言葉がありますが、これも塩によって梅干しの酸味がちょうどよくなったことを表わしています。このように塩によって酸味が抑えられることを抑制効果と言います。
調理と塩

 調理の順序は「さしすせそ」だととよく言われますが。さは砂糖、しは塩で、これは塩の方が砂糖よりも浸透速度が早いため、味の染み込みにくい砂糖が先という意味です。また、塩には野菜などの水分を吸い出す脱水作用があるので、炒め物などでは水っぽくならないように最後に塩を加えます。もちろん塩は味付けだけでなく、細菌の繁殖を抑え、保存性を向上させる働きをはじめ多彩な働きがあります。また、塩には食品の物性を変化させる働きもあり、たとえばカリフラワーやジャガイモを茹でる際に塩を入れると、野菜類の細胞膜を強固にしているペクチン酸カルシウムのカルシウムが塩のナトリウムと置換されて細胞が柔軟になるので、軟らかく茹でるこことが出来るのです。さらに蒲鉾などの練り製品では、塩のタンパク質溶解作用が利用され、アシと呼ばれる歯応えを生み出しています。粘りのあるパン生地やうどん作りにも塩が活躍しています。また、魚や肉に塩をかけて焼くと蛋白質の凝固を早め、旨み成分が外に流れ出てしまうのを防ぎます。里芋の皮を剥いたら塩揉みして煮ると粘りが出にくくなるのも凝固作用の一つです。これらの様々な働きによって、塩は調理や食品加工に欠かせない存在となっているのです。
食塩感受性のある人とない人

食塩 世界には食物に自然に含まれる以外の食塩を全く摂取していない人々も存在しますが、これらの人々の間には高血圧の人が殆ど見られず、加齢と共に血圧が上昇することもないことが明らかになっています。世界各地で食塩摂取量と血圧を測定したところ、食塩摂取量が多い地域ほど平均血圧が高いという正の相関関係が見られたそうです。
 私たちの身体は、生理的には1日に1g程度の食塩があれば生きてゆけると言われていますが、しかし、先進国の多くでは実際の摂取量はその10倍以上です。塩分を摂り過ぎると高血圧になる恐れがあるとして、日本はもちろん世界各国で1日の塩分摂取の目標値を設定し減塩を指導しています。しかしながら、全ての人が食塩を摂ると血圧が上がり、減塩すると血圧が下がるというわけではありません。食塩の摂取量によって血圧が変動する、すなわち食塩感受性のある人と食塩感受性のない人とがいることが分かっています。ただし、食塩非感受性だからといって食塩を多く摂ってよいというわけでもありません。食塩は喉頭癌や胃癌に関係あると考えられており、癌予防のためにも食塩の摂取制限が勧告されています。また、ストレスは食塩に対する欲求を高めるため、現代社会のストレスの多さも塩分摂取増の要因と考えられます。もっとも極端な減塩はそれ自体がストレスになってしまいます。新鮮な旬の食材を使う、酸味や出汁を効かせる、味付けにメリハリのある減塩を行なうなど、美味しく減塩を続けることが大切です。何れにせよ、人よって適塩は異なります。QOL(Quality of Life:生活の質)を高めるためにも、その人に合った塩の摂り方で豊かな食生活を送りたいものです。
食塩感受性高血圧ってどんな高血圧?
高血圧の2つのタイプ

 塩分を摂り過ぎると高血圧になりやすいことはよく知られている通です。でも、なぜそうなるのか、その仕組みは今まで余りよく分かっていませんでした。多分多くの人は、塩分を摂ると喉が渇くので水分をたくさん摂る結果、血液量が増えて血圧が上昇するのだろうと考えているのではないでしょうか。それも間違いとは言いませんが、実は塩分と高血圧にはもっと密接な関係があることが最近になって日本の研究者によって遺伝子レベルで解明され、食塩や肥満などの後天的な環境因子の関与による高血圧発症の仕組みを解明するものとして近年とみに注目されています。また、それと関連して「食塩感受性高血圧」への関心も高まっています。食塩感受性高血圧とはどんな高血圧なのでしょうか?
 高血圧には、塩分の影響を受けやすいタイプ(食塩感受性高血圧)とそうでないタイプ(食塩非感受性高血圧)とがあります。治療面から見ると、塩分を控えることで血圧が改善されやすいタイプとそうでないタイプとがいると言うこともできます。この2つのタイプの存在は以前から知られていて、その違いを解明するための様々な調査や研究が行なわれて来ました。しかし、根幹とも言える塩分過多による高血圧発症の仕組みは実は今まで謎のままだったのです。それが今回の遺伝子レベルでの解明によって食塩感受性高血圧の仕組みが明確になり、2つのタイプにおける発症の仕方の違いも分かってきました。今後、高血圧の予防や治療、降圧薬の開発などに役立てることが期待されています。自分がどちらのタイプなのかを知って効果的な高血圧の予防や治療に結びつけるため、2つのタイプの違いについて、また、食塩感受性高血圧のリスクについて知っておくことも大切なことです。
食塩感受性高血圧の仕組み

 塩分を多く摂るとなぜ血圧が上昇しやすいのでしょうか? 私たちの身体には血液中の塩分(ナトリウム)濃度を一定に保つ機能が備わっています。ナトリウム濃度が低下すれば腎臓で再吸収し、反対に濃度が高くなれば腎臓から排出する機能です。ところが,食塩感受性タイプの人では腎臓でのナトリウム排出機能に障害が生じやすいのです。塩分を多く摂ると腎臓の交感神経の活動が促進され、それに伴って塩分の排出を担う遺伝子の働きが抑制されることで、血液中のナトリウム濃度が上昇します。ナトリウムは水分と結びつきやすいため血液量が増え、その結果、血圧が上昇するのです。これを多少専門的ながら詳しく説明すると、〔塩分過多⇒腎臓の交感神経活動が亢進される⇒ノルアドレナリンの放出によってβ2アドレナリン作動性受容体が活性化される⇒β2アドレナリン作動性受容体の刺激を受けて遺伝子の発現に関わるタンパク質ヒストンの働きが阻害される⇒塩分排出遺伝子の活性が抑制される⇒腎臓でのナトリウム排出機能が低下して再吸収が生じる⇒血液中のナトリウム濃度が上昇する⇒高血圧が発症する〕といった機序(順序)になるのだそうです。要するに塩分過多が引き金となって腎臓でナトリウムが再吸収されることにより高血圧になるということで、それが食塩感受性高血圧の発症の簡単なメカニズムだと言えるでしょう。

 では、塩分の影響を受けにくい食塩非感受性タイプの場合はどのようにして高血圧が発症するのでしょうか? これについては国内外の最新研究などから、蛋白質の一種であるアンジオテンシンUが血管中に取り込まれ、その作用によって血管の収縮が生じ、その結果、高血圧になるという仕組みがほぼ解明されています。ちなみに、このタイプはアンジオテンシンU依存型高血圧とも呼ばれます。アンジオテンシンUは強力な血管収縮作用を持つ物質で、腎臓などで産生され、細胞内に取り込まれます。高血圧治療薬の一つであるアンジオテンシンU受容体拮抗薬は、このアンジオテンシンUの働きを阻害し、血管の収縮による血圧上昇を防ぐ効果を持っています。このように同じ高血圧とは言っても、食塩感受性タイプはナトリウム再吸収、食塩非感受性タイプは血管収縮と言った具合で、発症の主要因には大きな違いがあるのです。
食塩感受性高血圧とリスク

 食塩感受性高血圧にはまだ明確な定義や診断基準がありません。そのため、残念ながら数値などから自分が食塩感受性タイプかどうかを知ることはまだできないのです。しかし、高血圧の治療を受けている場合に減塩によって顕著な血圧の改善が見られる方はこのタイプと言えるでしょう。食事療法による効果が期待できるタイプとも言えますが、同時にリスクも忘れるわけにはゆきません。それというのは、食塩感受性高血圧の場合、心臓や血管などにかかる負担が大きく、食塩非感受性高血圧と比較すると、心臓病や脳血管障害を発症するリスクが2倍以上になることが指摘されているのです。ちなみにある調査によると、食塩感受性の判定基準について1週間の低食塩食(1日0.5グラム)の後に1週間の高食塩食(1日14.5グラム)を続けた結果、血圧の変化(上昇)が10%以上見られたそうです(※ただし、素人が極端な減塩を行なうと気力減退や疲労などの症状が出やすく危険なため、医師の厳正な指導の下で行なわれた調査を安易に自己判断で真似たりせず、あくまでも参考数値に止めておいて下さい)。そのため、一時的に血圧が改善されても、自分が塩分に影響されやすいことを忘れず、医師の指導をきちんと守り、油断せずに減塩を続けることが大切です。

 一方、高血圧予備軍や一般の方の場合には、次のような条件が幾つか該当する時は食塩感受性タイプの可能性があるので注意しましょう。なお、欧米の人と比較すると、日本人には食塩感受性高血圧が多いと言われています。まだ詳細なデータはありませんが、日本では高血圧患者の4割程度を占めると推定されているそうです。もしも自分が食塩感受性タイプの可能性がある場合には、日頃から塩分を控える食事を心懸け、高血圧の予防に努めましょう。
  •  親の両方または何れかが食塩感受性高血圧である(※遺伝しやすいとされています)
  •  肥満気味である(※肥満やメタボリックシンドロームの人は食塩感受性タイプになりやすい)
  •  中高年である(※一般に加齢にともない可能性が高くなります)
  •  腎臓障害が見られる(※腎臓の機能低下と関連しやすい)
  •  外食など塩分の多い食事が続くと血圧が上昇しやすい(※毎日の食事内容を記録しながら家庭血圧を継続的に測定することにより影響度を知ることができます)


塩を減らそうプロジェクト
http://www.shio-herasou.com/

参考:塩についての参考図書と参考サイト


◆参考図書
『塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年』NHKブックス
佐藤洋一郎+渡邉紹裕・著
『塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年』
NHKブックス、日本放送出版協会・2009年4月刊、
966円
「サラリー」の語源ともなる塩は、人類に必須の資源である。古代から人は塩を得るため、製塩技術を開発し、交易をしてきた。しかし、ときには塩は文明に災厄をを招く物質にもなる。その背景には、この地球上に分布する塩などの物質の偏在を、人間の活動がより強めてしまうという大きな問題があった。塩蔵や発酵食品など世界各地の多様な塩の文化を見ると同時に、シュメール文明の崩壊やカリフォルニアの最先端農業の困難、消えるアラル海など、塩のもたらす環境危機の仕組みに迫り、塩の二面性から、人間の自然の過去・現在・未来を見つめる!
宮本常一『塩の道』講談社学術文庫
宮本常一・著
『塩 ものと人間の文化史7』
講談社学術文庫、講談社・1985年3月刊、840円
生活学の先駆者が語る塩を巡る日本人の軌跡日々の生活に欠かせない塩を入手するため、人々はどのような知恵を絞ったか。日本人の生きる姿を庶民の中に求めて村から村へと歩き続けた一民俗学者の心の叫び。

■参考サイト:
たばこと塩の博物館
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/index.html
財団法人 塩事業センター
http://www.shiojigyo.com/


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