【1】塩とは?〜塩の種類と特徴〜 |
塩は、これなしでは1日たりとも人間は生きてゆくことはできないほど身近で大切な存在です。その証拠に、血液や汗には大量の塩分が含まれており、何らかの形で臓器の働きにも影響を与えています。まずは本節では、そのような塩の種類や特徴について簡単にまとめました。
|
人間と塩 |
血液や汗には大量の塩分が含まれており、何らかの形で臓器の働きにも影響を与えています。また、塩(天然塩)には私たちの生命を司る大切なミネラルやナトリウム、カリウム、カルシウム、塩素、その他の微量鉱物がたくさん混在します。このように人間の身体には塩分が大量に含まれており、これが不足すると腎機能不全に陥ったり、筋肉が痙攣したりします。逆に塩分を摂り過ぎても肝機能障害が起こりますし、また、極度のカリウム不足により心臓の機能が麻痺することがあります(ナトリウムを放出するにはカリウムの働きが必須なのです)。また、塩化ナトリウムは血清を一定のバランスに保つ働きを持っているため、塩分の濃度が落ちると人間はは脱水症状に陥ります。下痢や運動後に塩分を含んだスポーツドリンクを飲んだ方がよいとされるのはそのためです。ちなみに、重労働を課す場所では、発汗と共に塩分が大量に放出されることから塩分の補給が欠かせません。少し前までは、機械や労役を課す場所には大抵塩を容れた箱があり、労働者はそれを舐めながら働いていましたが、今も工事現場などの発汗の多い場所では塩辛い味付けが好まれる傾向にあります。たとえば塩鉱山に強制連行された者の中には、空腹の余り岩塩に貪りつく人間が少なくなかったと言われ、そうした人たちは、身体はガリガリにやせ衰えているのに、塩分の摂り過ぎのせいか、顔だけは風船のようにパンパンに膨らんでいたそうです。
このように塩は人間にとって最も身近な存在であり、塩なしでは一日たりとも生きることはできません。人間が生きるのに必要な塩の量は地域によって年間140g〜7kg強とばらつきがあり、気温が高いと塩分が汗となって体外に出てしまうため、概ね気温の多い地域の人ほど大量の塩分を必要とするとされています。このように私たちの暮らしの塩はとても大切であり、塩と暮らしの結びつきには長い年月があるのです。なお、塩の生産量は年間一億八千万トン前後と言われ、その6割から7割が塩鉱脈つまり岩塩鉱山からの産出であり、残りは海水や塩湖などから精製されています。その多くが食品の材料として使われますが、それ以外にも、石鹸や化粧品などの薬品、炭酸ナトリウム(工業用ソーダ)や塩素ガスなどの材料、防腐剤としての役割も多く、その用途は年々多様化しつつあります。
◆ |
現代の塩〜世界の塩生産量の85%は工業用資源へ〜 |
|
人類の発展のために求められたのは工業用の塩で、現代の塩は化学工業製品として取り扱われています。
一昔前までは、人は食べるために必要な塩だけを生産していました。だからこそ塩の製法は経験則を重んじ、古くから伝承されてきた伝統技法が培われてきたのです。しかし、近代工業の発達と共に塩が持つ化学作用を利用する用途が拡大してゆき、第二次世界大戦後には塩の工業用需要は食用需要は逆転し、その量を急速に伸ばしてゆきました。主要工業用途としては、石油精製の溶解性用やソーダ・塩素工業の素材原料用、窯業・火薬・金属精錬・鋼圧延・染色などの化学作用、イオン交換樹脂再生のイオン交換用、皮革加工の脱水・防腐作用、顔料製造の磨砕助剤用&道路の凍結防止用、石鹸・染料・合成ゴムなどの塩析作用などと多岐に渡ります。ところが、今や世界の塩生産量の85%は工業用資源で、残りの15%が食用塩という現状です。工業用の塩には余分な無機塩類を含まない純粋な塩化ナトリウムが望ましく、しかも出来る限りコストを安くすることが必要だったのです。 |
|
|
塩の性質と種類 |
■ |
塩の性質 |
|
塩は食塩とも呼ばれますが、化学的には塩化ナトリウムと言われ、舐めると塩辛い味がします。ナトリウムイオンと塩素イオンが規則正しく並んだ無色透明の正六面体の結晶です。唯一の鉱物性の調味料であり、比重は2.2、モース硬度は2〜2.5程度、融点は800℃で、沸点は1440℃に達します。水による溶解度はどの温度でも殆ど変わらず、20℃で26.4%、100℃で26.9%程度と言われています。岩塩や粗塩と言われる自然塩には、この他に塩化マグネシウムや硫化マグネシウム、鉄、コバルト、マンガンなどのミネラル分が含まれていて、舐めると苦いことから「にがり」と呼ばれ、豆腐などを固める時にしばしば使われます。また、塩は食材だけでなく様々なものを保存するのに使われますが、このようなことができるのは、浸透圧が他のものに較べてかなり高いからだと言われます。基本的に水分は浸透圧の低い方から高い方へ移動します(これを「ファントーホッフの法則」と言います)。たとえば雑菌が塩分を含んだものに触れると、浸透圧の関係から雑菌中の水分が吸い取られ、活動することができなくなるのです。ちなみにこの性質は砂糖にもあり、そのため食塩や砂糖には消費期限というものが設定されていないのです(※あえて言えば、水分を吸い切った潮解の時が使用期限であるとも言えるかも知れません)。 |
|
■塩の種類・分類 |
塩も元々は海水ですが、どこから採られるかにより3つに大別され、製法及びミネラルの添加等によりさらに細かく分類されます。 |
|
■ |
海塩: |
|
海水から採られた塩のことで、以下のように分類される。
- 食塩:
一般的に販売されている塩で、イオン交換膜透析法によりナトリウムイオンとカリウムイオン抽出・濃縮し、真空蒸発缶によって煮詰めて作られる。ミネラル等の添加はない。
- 自然海塩:
- 完全天日塩:
海水を塩田や枝条流下式により濃縮し、太陽光と風だけで数ヶ月かけて結晶化させたもの(加熱は行なわない)。
- 平釜塩:
海水を塩田や枝条流下式により濃縮し、平釜で煮詰め結晶化させたもの。
- 再生加工塩:
- 自然海塩加工:
輸入した原塩ににがり等のミネラルを添加して成分調整を行ったもの。(※自然海塩に分類されることもある)
- イオン交換塩加工:
イオン交換塩ににがり等のミネラルを添加して成分調整を行なったもの。
|
|
■ |
岩塩: |
|
岩塩は大昔海だった場所が地殻変動などで陸地に閉じ込められ塩湖となり、その海水の水分が蒸発して次第に塩が結晶化し、その上に土砂が堆積して出来た塩の層から採取される。
- 溶解法岩塩:
岩塩層に水を注入することなどにより濃い飽和塩水を作り、真空蒸発缶で結晶化したもの。さらにミネラルを添加したものと添加しないものとに分かれる。
- 採掘法岩塩:
岩塩層に直接ボーリング及び露天掘りをし、採掘したもの。
|
|
■ |
湖塩: |
|
昔、海だった場所が地殻の変動によって次第に陸に閉じこめられ、そのうちに水分が蒸発して水の中の塩分濃度が高くなった湖を塩湖と言う、その濃い塩水をさらに蒸発させて塩分を結晶させて湖塩が作られる。また、乾季に湖の水が自然に干上がって塩の結晶が現われる塩湖もある。 |
|
■食塩とナトリウム |
■ |
食塩相当量とナトリウム |
|
塩味は料理の美味しさを左右しますが、この塩すなわち食塩はナトリウムと塩素から出来ています。食塩相当量とは、次の計算式で食品に含まれているナトリウム量を食塩の量に換算した値です。
ナトリウム(mg)×2.54÷1,000=食塩相当量(g) |
|
■ |
どんな働きをするのか? |
|
食塩は生命の維持に欠かせないナトリウムと塩素から出来ています。ナトリウムは体内の水分量をいつも適切な状態に調節したり、神経や筋肉を正常に動かすために働いたりする重要な役割をします。その一方で塩素は胃液などの成分になります。 |
|
■ |
生活習慣病の予防には減塩が大切 |
|
食塩は自然界の食べ物の殆どに含まれていますから、普通の生活では不足する心配はまずありません。ただし、スポーツなどをして大量の汗をかいたり、嘔吐や下痢をしている場合は、たくさんのナトリウムが失われてしまうので適切に補給することが必要になります。ただ、一般的に問題となるのは食塩の摂り過ぎの方です。食塩を摂り過ぎる食生活では、高血圧や胃癌などの様々な生活習慣病を招く恐れがあります。国民健康・栄養調査結果による1日当たりの食塩摂取量は成人全体で10.7g、男性11.6g、女性9.9gで、ここ数年少しずつ減少してきています。しかし、食事摂取基準の成人の目標量は男性9g未満、女性7.5g未満で、男女共およそ7割の人がこの目標量を超えています。急な減塩をして食欲を落としてしまうのはもちろん問題ですが、私たちはもっと薄味の食生活に切り替えて食塩を減らしてゆく必要があります。まずは醤油やソースなどの量を控えること、麺類の汁を飲み干さないことなど、出来ることから始めるとよいでしょう。 |
|
|
塩の生産量と消費量 |
■ |
世界の塩の生産量 |
|
全世界の塩生産量(2003年)は2億1,000万トンで、そのうちの約3分の2は岩塩から生産されています。生産高の多い国はアメリカ(4370万トン)、中国(3242万トン)、ドイツ(1570万トン)、インド(1500万トン)、カナダ(1335万トン)で、この上位5カ国で世界総生産量の半分ほどを占めています。なお、日本は126万トンで24位です。また、塩の輸出国はオーストラリア、メキシコ、カナダ、オランダ、ドイツで、一方の塩の主な輸入国は日本、アメリカ、ドイツ、カナダ、イタリアです。 |
|
■ |
日本の塩消費量&輸入量 |
|
日本の塩消費は年間約900万トンです。塩の自給率は15%程度で、殆どが輸入に頼っており、輸入量は世界1で、主な輸入先はメキシコとオーストラリアです。日本での塩の消費の約80%はソーダ工業用、つまり塩をナトリウムと塩素に分解し、それを原料として様々な工業用品を作るために使用されます。紙やアルミ、石鹸、ガラス・ホーロー製品、水道の消毒薬からコンパクトディスクまで塩を基礎原料として作られているのです。その他皮のなめしや各種化学薬品の製造といった一般工業用にも塩が利用されており、意外ですが、調味料や食品加工として使用されるのは約15%に過ぎません。 |
|
|
[ ページトップ ] [アドバイス トップ]
|
|
【2】塩の歴史〜塩作りとと人間〜 |
塩は人類ばかりでなく、地球の歴史とも深い関わりがあります。本節では、その塩と人間の関わりを簡単にまとめました。
|
私たちの生活と塩 |
私たちが暮らしてゆくのに、塩がどのような役割をしているのかは簡単ながら先に説明した通です。 人間の身体にはナトリウムや塩素、カリウムなどの物質が必要であり、塩のミネラル分が私たちの健康を保つために必要な役目をもっています。天然塩に含まれる天然ミネラルは私たちの身体では作り出すことができず、これらは塩を含めた食品や水などから摂取しなければいけません。
塩と暮らしの関わりは日本においても縄文時代から今日に至るほどの長い付き合いがあります。また外国においても、たとえば塩を意味する英語ソルト(salt)はラテン語で塩を意味するサル(sal)から来ておりますが、元々はサラダやサラミ、さらには給料を意味するサラリーの語源となっています。一方、日本語の塩は、製塩したての塩が実際にまるで白い穂のようにふわふわとした形をしていることから、白穂(しらほ)という言葉から来ているという説が有力です。なお、塩が身体に必要であり、身体を形成する上で大切な物であるという認識が日本で最初にできたのは平安時代頃だろうと推測されています。平安時代になると、塩は暮らしの中で大切に扱われるようになり、海沿いではない地方への流失も行なわれるようになります。塩文化が発達したのは海沿いですが、それを用いて山でも塩が取り入れられるようになってきます。暮らしの中で海の物も山で流通できるように、塩を使って保存食を作るようになりました。山梨の煮貝などそのよい例で、これは鮑を煮込んだ保存食です。また、暮らしの中で塩を使って保存食を作ると、主に身体に必要なミネラルを補給するために「塩は薬」としても注目を浴びました。この塩をめぐって強奪による戦争も日本の歴史の中で確認されています。赤穂と言えば塩の生産で有名ですが、赤穂浪士による忠臣蔵も、実はその塩の生産技術をめぐる戦いがその一因を担っていたと言われています。
ここで塩と暮らしの関わりを考えてみると、塩製法が編み出される前はどのように採取していたのかと言うと、土器や海藻を燃やした灰を塩として使う以前は、塩分を動物の内臓や骨から得ていました。初期の縄文時代或はその前の暮らしでは、稲作が伝わるまではこのように塩分を摂取していました。また、米や野菜にはカリウムが入っており、米や野菜を食べるとことによりバランスよくカリウムを取っていました。カリウムの役割は身体の中のナトリウム成分に浸透し、身体の外に出す働きを持っていますが、この時カリウムも一緒に対外に出されるわけです。汗や尿、便と言った形でカリウムは外に排出されます。獲物を捕らるために遠くまで行ったり、何日も獲物にありつけない生活に比べて、稲作の補方が合理的です。こうして狩猟・漁労による生活よりも、稲作が発展することにより穀物や米、野菜から得られるカリウムの量が増えるに従い、塩そのものが必要になるわけで、それが今日の私たちの暮らしの中で塩作りという形で発展し現在に至っているのです。穀物の収穫時期は常にあるわけではないので、そのため収穫物を保存するためにも塩が必要で、肉や野菜などを保存食として作ることを人間は覚えてゆきました。当然ながらたくさんの人の塩を作るために塩作りだけを専門にする海沿いの人々も出てきます。このようにして、塩は次第に人々の暮らしになくてはならないものになっていったのです。
|
塩の起源と人間 |
生命が求める塩 |
生命の原点である「海」には生命に必要な無機塩類が含まれています。その海から生まれた塩もまた、生命にとって欠かすことのできない存在です。
■ |
塩と無機塩類 |
|
水や空気と同様に塩は人が生きていく上で必要なものです。そんな漠然とした認識が科学の進歩で実証されようとしています。電子顕微鏡や分析技術の向上と共に塩にはかなり多種類の有機及び無機元素が含まれていることが最近になって分かってきました。生物に多種類の微量元素が存在すること、それが酵素の触媒として様々な役割を果たしていることもつい最近になって分かってきたことです。つまり、無機塩類の成分が生物そのものの維持に重要な役割を果たしていることが最近になって分かってきたのです。このように、塩は単なる必要なものではなく、生物が求めているものという認識に変わりつつあります。微量なために見過ごされていた無機塩類の重大性に人間はようやく気がついたのです。 |
|
■ |
生命には微量の無機塩類が必要 |
|
一般的な成人がその体内において占める元素はとても多く、その含有量には、一番多い多量元素である酸素から一番少ない超微量元素であるコバルトやバナジウムまで大変な差がありますが、これら各種分量はそれぞれの元素がその程度に応じて人間に必要とされている配分なのです。たとえば亜鉛は多くの酵素やタンパク質の中に存在し、身体に非常に重要な働きをしていることが判明しています。動脈硬化はカルシウムとマグネシウムの量とバランスに関係があること、また、カルシウム不足が骨粗鬆症の原因となっていることはよく知られている通です。ちなみに、近年の研究によりスズやバナジウム、フッ素、ケイ素、ニッケル、ヒ素、鉛の必要性が明らかになって来ています。何れにせよ、この僅かな単位のミネラル物質がないと動植物は生きてゆけないのです。そして、その中には当然ながら塩化ナトリウムも含まれているわけです。 |
|
|
塩の起源 |
海から生まれる塩の起源は地球の誕生にまで遡ります。
■ |
なぜ塩は生命に必要なものなのか? |
|
塩は水と空気と同様に生命に必要な物質ですが、その塩に含まれた無機塩類はどこから来たものなのか、そして、なぜ海水は無機塩類を含むようになったのか、といった疑問を解くためには、塩という物質を構成する元素の起源つまり宇宙創生まで遡ることになります。同時に「なぜ生命にとって塩は必要なのか?」を解き明かすためにも、宇宙の始まりであるビッグバンから探る必要があります。 |
■ |
生命は92の天然元素を駆使し、海から誕生した |
|
約150億年前に起こったビッグバン。水素から始まった宇宙は、星の誕生と消滅を繰り返しながら、超高熱の核融合の中から次々と重い元素を創り出しました。宇宙は地球が誕生するまで約100億年の時間をかけて、水素からウランまでの92の天然元素を創りだしたのです。その一方、地球は太陽エネルギーと大気と水を得られる好適な位置にありました。水と太陽と空気を得た地球は、約40億年前、宇宙創生の92の天然元素を駆使して、還元力に溢れた酸素のない海から原始生命を誕生させます。この92の天然元素の中でも、硫黄と酸素は生命の進化と塩に深く関わり、原始生命体は初めて硫化水素(H2S)から微少なエネルギーを得て生命活動を開始しました。 |
■ |
生物は必要な無機塩類バランスを記憶している |
|
生命はやがて複雑な進化を遂げ、植物を生み、動物を生み、環境を整え、そして受け継ぐという地球生態系の循環を創り出します。地球上に存在する殆どの元素を含む鉱物である火成岩の循環も重なり、生物に必要な無機塩類バランスが完成し、記憶(記録)が受け継がれ始めたのです。 |
■ |
塩の起源 |
|
塩は最古の調味料であり、古代の都市は、塩に縁のある土地や街道沿いに造られてきました。最古の街道は塩の通り道と言ってもよく、しばしば市などでは物々交換の対象として塩と他のものが交換されてきました。ヨーロッパでは先史時代から塩が使われていたことが遺跡の発掘から分かっており、人間が定住を始めたのは、岩塩の発見や製塩技術の発達で塩の確保が容易になったからだという説もあります。あるいは逆に、人間が定住生活を始めたからこそ製塩技術が発達せざるを得なかったという、卵が先か、鶏が先かといったような論議もありますが、何れにせよ、塩の確保しやすいところに多くの人々が集ったことは確かなようです。 なお、近くに岩塩や海がなく、物々交換も難しい状況では、植物の汁を吸ったり動物の血を啜ったりして凌いでいたという記録もあるそうです。もっとも、海に近い地方でも塩分を取り出すのは至難の業で、煮詰めて取り出すのに大量の燃料が必要とされています。ちなみにアフリカのサハラ地方や北欧が今も不毛の地となっているのは、暑さや寒さといった以上に、人間が製塩のために木々を伐採したからだ、という説もあるそうです。 |
|
古代の塩 |
塩は生命にとって欠かせない栄養素で、それを守るために人々は「製塩法」を生み出しました。焼塩もまたそのひとつです。
■ |
製塩法は人類最高の叡智 |
|
古代の人たちは海水を塩田に引き込み、海と土の無機塩類を吸収させた塩をさらに焼くことで浄化しました。その焼き塩は浄血、解毒、消炎、抗菌などの作用と共に不老長生のために食べられていたのです。この製法は門外不出の秘伝として何百年も前から継承されてきました。製塩法は秘中の秘として限られた一族だけに伝承されてきた技で、そのルーツは古代中国の道(タオ)家と言われています。これをさらに遡ると、それは不老不死を求めた錬金術にあったそうですが、要するに塩の製法は人類がさらに進化するために人類が考え出した最高の叡智なのです。 |
|
■ |
日本にもあった焼塩製法 |
|
古代の人々は自然結晶した粗塩を採取し使用していたと考えられます。しかし、岩場の粗塩はにがり分が多く湿っぽいため、天日で乾燥させてよりよいものに仕上げて行ったのでしょう。長い体験の中から人間はこのような工夫を学んでゆきました。やがて人は塩を土器に入れ、火で焼く智恵を生み出します。これは現在でも伊勢神宮の「御塩作り」に見ることができます。夫婦岩で有名な二見浦にはテニスコート二面ほどの小さな塩田が残されていますが、この塩田は伊勢神宮の神事やお清め用に使う御塩を作るためのもので、毎年一回そこで鹹水(かんすい)が作られます。この鹹水を平釜で煮詰め、粗塩を作り、粗塩は土器一つひとつに詰められ、さらに釜で焼かれるのですが、これが「御塩焼固」と言われる製法で、日本最古の焼塩製法です。この塩はあくまでも神事やお清め用のもので、一般には全く縁のないものになっています。なお、この塩を焼く釜は実は今でも非公開なのですが、これは製塩法は昔から極秘だったことを物語っています。なお、国内では、塩田を使った製法の前に海藻を使った藻塩(もしお)焼きも存在していました。この製法はやがて塩田による製法へと発展し、江戸時代には海岸を持つ諸藩がその製塩法を保護育成したと言われています。 |
|
■ |
個性ある塩を作る平釜 |
|
塩を煮詰める煎熬のプロセス。真空式蒸発缶を使うと、塩の結晶は液の中で成長してサイコロ形になりますが、特殊な平釜で液の表面で成長させると、トレミーという逆ピラミッド形や、薄片状のフレークという形になります。これらの形が、溶けやすい・付着しやすい・粉と混ざりやすいなどの性質に?がるのです。煮詰め方によって塩の個性が変わり、用途も広がってゆきます。 |
|
|
|
塩と世界史〜ヨーロッパとアメリカ〜 |
塩と国家 |
■ |
塩と国家 |
|
古代ローマでは塩を買うのに貨幣が支払われていたそうで、この貨幣のことをサル(sal)と言い、これに因んでサラリーと呼びました。現在の給与を意味するサラリー(salary)の語源となっています。このように古代においても現在においても塩は国家の重要な管理品目の一つであり、貴重な財源でした。人間生活において塩は必須の調味料であり、その使用量から人口の把握も簡単にできますし、流通ルートを押さえれば容易に専売制を敷くこともできます。そのため、各時代の政府は挙ってこの結晶を国家の専売項目に入れました。ちなみに、日本でも最近まで塩の専売制が敷かれていたのは有名で、それが販売も含めて完全に解除されたのは、何と20世紀も終わりに近づいた平成9年になってからのことです。
その一方で、お隣の中国では4000年前の夏(か)の時代から製塩は行なわれてきましたが、1世紀の後漢の時代には早くも専売制が始められています。『漢書』でも《夫(そ)れ塩は百肴(ひゃっこう)の将、酒は百薬の長》などと書かれていて、如何に国家がこの結晶を重要視したかがよく分かります。たとえば『三國志演義』の英雄として名高い劉備も、元々は塩商人のボディガードとして出発したと言われています。塩は利益率が高い商品なので、盗賊などに襲われやすく、また、国家権力の専売制の圧力もありました。そこで商人たちは腕に覚えのある猛者どもを集め、輸送の護衛に当たらせたのですが、その中に劉備や関羽、張飛といった有名な武将たちがいたのです。彼らは黄巾の乱以降、義勇兵を率いて戦場に出ることになりますが、その背景には塩商人たちの強力なバックアップがあったとも言われています。ちなみに、劉備の配下であった関羽は、ボスを守る強力な武将ということで、死後、塩商人たちの間で守護神として崇められ、やがて商売の神・関帝に昇格します。その関帝を祀ったのが有名な関帝廟(かんていびょう)で、今も中華街などを覗くと、真っ赤な顔をした関羽の堂々とした姿が飾られているのを見た人もいるでしょう。この関帝廟は商人らが華僑として海外に出る時に一緒に持ち出され、今はどの国のどのチャイナ・タウンにもこの建物を見ることができます。 |
|
■ |
塩の国家専売 |
|
製塩に関する中国最古の文献は800年頃のもので、当時よりも千年も前の夏王朝期の海水からの製塩と塩の交易について記しています。中国は何世紀もの間、塩を国家の財源としてきました。塩を意味する象形文字を分析すると、塩を表す漢字そのものが塩の国家専売を形容していたことが分かるとすら言います。なお、塩に因んで町や地方の名前が付けられているところは数多くあります。ハル及びザルツは塩の意味であり、ハルシュタットやシュバービッシュ・ハル、ハレ、ザルツブルグの町やザルツカマングート(塩の母鉱脈という意味)の地名がそうであり、ハラインは製塩所という意味です。サクソン人は製塩所をウィッチと呼び、このウィッチの付くイギリスの町ノースウィッチ(北の製塩所)とナントウィッチ(南の製塩所)の間の土地はミドルウィッチと呼ばれ、塩を生産していたのです。また、ローマ人はにがみを消すために緑野菜に塩をふり、これが「塩をふる」を意味するサラダの語源ともなりました。さらに、ローマ軍は兵や馬、家畜のための塩を要求しましたが、そこで兵士に給料の代わりに支払われた塩(サラリウム・アルゼンタム)がサラリーの語源になっていることはよく知られているところですが、ラテン語のサルは変化してフランス語で支払いを意味するソルドとなり、兵士(ソルジャー)という単語も塩から生まれた言葉なのです。 |
|
|
ヨーロッパと塩 |
中国の例に漏れず、古代ギリシア・ローマでも塩は重要な品目であり続け、特に古代ローマでは、料理に、あるいは染料で染めるのに大量の塩が消費されたと言われています。フェニキア人(現在のシリア近辺の住民)も塩を扱って繁栄しましたし、ガリア人(現在の北東ヨーロッパの原住民)も塩泉を奪い合って戦いを繰り広げました。これが中世に入ると、製塩技術の発達や塩鉱山の開発により塩の供給が増大ます。肉や魚、野菜を保存するのは塩でしたし、また、パンを作る時にも大量の塩を使います(現在もパンには多くの塩が含まれています)。それだけでなく、ビールやワインにも塩が風味付けとして入れられたと言われ、文字通りありとあらゆる食材に塩が使われていったのです。ちなみに、当時の塩は今のような粉末状のものではなく、岩塩をそのまま切り取った大きな結晶状のものが中心でした。これをノミなどでガキンガキンと削り取り、精製して使用したのです。なお、当時の製塩所や塩田は大抵僧院や修道院の支配下にあり、彼らの重要な収入源となりました。時代が下がると共にその支配権は富裕層や領主などに移ってゆきますが、彼らは高い塩税をかけて人々を圧迫したと言います。たとえばフランスでは塩の取り扱いは国家の管理品目となり、塩税を支払わない、いわゆる納税義務を果たさない人々が1780年には厖大な数に上り、1万人近い人々が投獄され、4000人近い人が何らかの形で差し押さえを受けています。この塩税に関する不満がフランス革命の遠因になったとする学者もいるほどです。
◆ |
参考:塩ダラとヨーロッパ人 |
|
西ヨーロッパ大西洋岸の山岳地帯にはケルト人やローマ人に侵略されることのなかったバスク人が住んでいました。彼らは少なくとも7世紀には捕鯨を行なっており、鯨油や骨、歯などを商品としていました。中世カトリック教会は宗教日に肉食を禁止し、最終的には年の半分が肉抜きの日となりますが、しかし、水棲の動物である鯨の塩漬け脂身は食べることは許可されていました。そして、9世紀には鯨産業で栄えるバスクにヴァイキングが侵入してきました。バスク人はヴァイキングから造船技術を学び、北の海まで出かけ、鯨よりも利益をもたらすタラを発見します。白身のタラは油が少なく塩が浸透しやすく、保存に適していました。塩ダラ料理はヨーロッパじゅうに広まり、新鮮なタラが手に入らない南ヨーロッパで熱烈に歓迎されます。しかし、莫大な富をもたらす塩ダラ市場への参加しようにも塩がありませんでした。一方、ヴァイキングの活動拠点の一つがロワール川河口にあるノワールムーティエ島で、この島の3分の1は天然の塩の干潟であり、ヴァイキングが人工池を作って塩を作る技術を伝えたらしいと言われます。彼らがこの地域で作られた塩をバルト海沿岸諸国に運び、中世末期及びルネッサンス期において最も重要な塩の交易ルートの一つを打ち立てたのです。
また、ポルトガル人にとって塩ダラ貿易が漁業と製塩業の発展を促しました。裕福な家庭は食料保存に湾の塩を使い、食卓にはもっと高価な白い塩を載せました。中流家庭は安価な湾の塩を買い、溶かして塩水にしたものを煮詰めて純度が高い塩を作って食卓に出していたのです。塩ダラの利益が上がったのは、人工池(塩田)を作る技術が進歩して海塩の生産量が増大したためで、結果として塩漬けの魚の生産量の増大にも?がりました。吊り輪に吊した塩ダラと樽の塩漬けニシンはヨーロッパ各地で人々を飢餓から救ったのです。ちなみに、北方の漁業における塩不足はニシンと塩の貿易を組織していた商人組織が解決しました。その組織がハンザ同盟となり、1400年頃には北方ヨーロッパのニシンと塩の製造を独占するまでになったのです。 |
|
|
アメリカと塩〜戦略物資としての塩〜 |
■ |
独立戦争〜新生国家が刻んだ苦い記憶〜 |
|
イギリスの植民地であるヴァージニアの人々は、家畜を飼育しながらもイギリス産の塩漬け牛肉を大量に輸入していました。地元でもある程度塩を作り、もっと多くの塩をイギリスから買い付けて豚肉の脂肪を塩漬けする家内産業を立ち上げたのです。独立戦争の頃にはヴァージニア・ハムは特産品としてニューヨークやジャマイカといった植民地だけでなく、イギリスにまで売られていました。もちろんアメリカの植民地人は持ち前の自立心から塩の自給を目指し、かなりの量を生産しましたが、イギリスは植民地統治政策としてリヴァプールの塩を値下げしてアメリカ産より買い易くしたことにより、結果的にアメリカ産塩の生産量は低下してしまいました。
植民地人たちは国内で必要な塩を確保していましたが、輸出品を作るには不充分でした。イギリス産の塩で製品を作る限りイギリスはアメリカの過剰な生産に干渉しませんでしたが、しかし、アメリカで商業の発展が国家としての独立に結びつくことを恐れたイギリスは、1759年、懲罰的な関税や税金その他様々な手段によりアメリカの貿易を妨害し始めます。そして1775年夏、イギリスは反乱軍鎮圧の名目で宣戦布告、海上封鎖を断行しました。独立戦争の始まりです。その上、大西洋の中央に位置する植民地の製塩所を破壊し、ニューイングランド(アメリカ東北部)と南部の二大製塩地を隔離しました。アメリカは忽ち深刻な塩不足となり、漁業だけでな、陸軍の兵隊や馬、医療面の全てが打撃を被りました。アメリカ植民地軍は海上封鎖に対抗して、塩の生産方式として海水を煮詰める方法を採りますが、しかし、大量の木材を投じて煮詰めても、得られる塩は微々たる量でした。そこで植民地の全ての塩輸入業者や製塩業者に補助金を出すことになり、アメリカ海岸中で製塩所が稼働し始めました。また、天日乾燥技術も取り入れましたが、必要な量の塩を生産できませんでした。1783年にパリ条約が結ばれ、アメリカは晴れて独立国家となりますが、新生国家は「塩を他国に頼らなければならないことが何を意味するか」という苦い記憶と共に誕生したのです。1793年、まだ塩が欠乏する戦後経済の中で製塩用水槽の屋根をオーク材の巻き上げ機で開閉する装置が発明され、このお陰で海塩が能率的に作られるようになったのです。 |
|
■ |
南北戦争〜食肉保存用の塩なくしては〜 |
|
1858年の時点で南部の主要な塩産出州は、ヴァージニアやケンタッキー、フロリダ、テキサスであり、8万3千m3(体積)の生産量でした。その一方で、北部のニューヨークやオハイオ、ペンシルヴァニアの塩産出量は4,230万m3で、圧倒的に北部の生産量が多かったのです。南部にはイギリスやイギリス領カリブからの塩が輸入されていましたが、その量は北部の4分の1程度でした。従って塩は南軍の糧食リストに常に載っており、1ヶ月の支給量は680gでした。北軍の方は塩や塩漬けの豚肉・牛肉、ベーコンを支給しましたが、両軍共リスト通りに支給されたわけではありませんでした。
1861年4月12日に南北戦争が勃発し、その4日後にリンカーン大統領は全ての南部の港の封鎖を命じ、海外から塩をはじめ食料が供給されないように兵糧責めの策を取り、1865年の終戦までそれは解かれませんでした。海上封鎖は南部の塩不足を招き、多くの食料が高騰しました。南軍の塩不足が戦略上有利に働くことを北軍は直ぐに理解します。シャーマン将軍は南軍に塩を与えてはならないと説き、「塩は重要な戦時禁制品である。食肉保存用の塩なくして軍は存続できない」と述べたと言います。そんな訳で、北軍は製塩所を奪取すると必ず破壊しました。これに対し南軍は、製塩所を制圧すると、戦利品として喜び、製塩を開始しました。戦争の進行につれて、北軍はヴァージニアからテキサスまで製塩所を手当たり次第に攻撃してゆきました。北部諸州の海軍は南軍側の沿岸にある製塩所を悉く砲撃して、軍に塩が供給されないようにしたのです。北軍の勝利に終わった南北戦争については、このように戦略物資である塩に対する考え方の違いで勝敗が決まったとも考えられます。 |
|
|
|
塩と日本史 |
日本の国土は四方を海に囲われているため、塩作りに持ってこいだとと思われがちですが、実は日本の塩作りには歴史的に大変な苦労があったのです。その創意工夫が世界でも高く評価される安全で質の高い現在の塩作りに?がっているのです。
塩と日本の歴史 |
日本で塩が使われるようになったのは縄文時代の終わりから弥生時代にかけてと言われています。狩りをして暮らしていた頃は、動物の肉だけではなく内臓や骨の髄まで食べていました。内臓や骨の髄には多くの塩分が含まれているため、別に塩を摂る必要がなかったのです。それが農耕による定住生活を行なうようになると、米などの穀物や野菜を主に食べるようになり、必要な塩分を塩から取るようになったと考えられています。
■ |
古代〜近世 |
|
日本は海に囲まれていますが、湿度が高く、平地面積が小さいため、海外のように塩田で1〜2年もかけて塩を結晶させるという方法は採れず、塩を取るために様々な工夫をしてきました。なお、塩を作る工程は採鹹(さいかん)と呼ばれる海水から灌水(濃い塩水)を採る段階と、煎熬(せんごう)と呼ばれる灌水を煮詰めて塩にする段階を経て脱水、塩の完成となります。日本における最も古い塩作りの方法は、干した海草を焼いて残った塩の混ざった灰をそのまま使う方法です。6〜7世紀になると干した海草に海水をかけ、灌水を採るようになり、それを土器に入れて煮詰めて塩を作るようになりました。この方法は日本独特のもので、藻塩焼きと呼ばれます。
次に8世紀、奈良時代になると、海草に代わって、塩分が付着した砂を利用して灌水を採る方法である塩地に変わります。大潮で海水に浸った砂は次の大潮までの間に乾燥し、塩が砂につきますが、この砂に海水をかけ、灌水を採るのです。煎熬にも土器に代わって、焼いた貝殻と灰、土を塩水で練って作った土釜が使われるようになりました。次に9世紀になると、効率的に塩を得るため採鹹地に手を加えるようになり、塩浜の形に発達しました。地域の条件により、塩浜は、(A)干満の水位差を利用した入浜式(干満差が大きい地域の干潟が発達
した内海や河口などが主となる)と、(B)人力で原料海水を汲み上げる揚浜式(干満差が小さい日本海側や外海に面して波浪が荒い太平洋側が主となる)の二つの塩浜とに分けられます。煎熬にも土釜の他、釜底に石を敷き詰め、その隙間を漆喰でうめた石釜が多くの地域で使
われるようになった他、それまでは中国産で一般的なものではなかった鉄釜が国産化されて一部の地域で使われるようになりました。さらに17世紀中旬になると、様々な工夫を施した入浜式塩田が播磨の国・赤穂(今の兵庫県)で始まりました。以降、瀬戸内海沿岸の十カ国(備前、周防、讃岐など)が日本の製塩の中心となり、十州塩田と呼ばれました。この入浜式塩田は改良されながら1959年まで続きました。一方、入浜式塩田に不向きな三陸地方では、採鹹工程を行なわず、海水を直接煮詰める海水直煮と呼ばれる製塩も行なわれていました。 |
■ |
近代以降 |
|
これが明治時代に入り、1905年塩の専売制が施行されます。これは前年に始まった日露戦争の戦費調達を目的にしたものでしたが、後には低価格な外国産塩に対し、国内の製塩業の保護・育成と安定供給という面が強くなります(この専売制は1997年まで続きます)。また、明治末頃になると、化学工業の発達や人口の増加により塩の需要が増え、国内産の塩だけでは不足するようになり、海外からの輸入が始まり、1938年の自給率は20%程度に留まりました。さらに昭和の初めになると、鉄釜に代わって蒸気利用式塩釜と真空式蒸発缶が導入され、まず煎熬工程に改革が起こりました。このように塩の自給率が低い中、第二次世界大戦に突入すると、当然ながら塩の生産は激減、輸入も困難となり、塩は割当配給制に、さらに非常時ということで自家用の塩の製塩も認められるほどとなりました。そして、終戦後の1948年頃には、採鹹工程も、海水を自然に移動・流下させるために労働力が従来の入浜式の10分の1で済む流下式塩田が始まり、1959年には全ての塩田がこの方式に変わりました。しかし、工業化が進む中で効率的な塩の生産がさらに求められていました。1965年には日本でイオン交換膜法が開発され、広がってゆきました。これは従来の方式とは全く異なり、電気を利用して海水から塩化ナトリウムを取り出すものです。そして、1971年には塩業近代化臨時措置法が制定され、全面的にこの方式に切り換えられましたが、これは一般企業が日本で塩の製造を行なったり自由に輸入することも禁止するものでした。これは安価で安定した供給だけではなく、沿岸部を工業・港湾用地として活用することも望んだ産業界の要請に応えたものと見なされていますが、しかしながら、塩田を全て廃止し、塩化ナトリウムという高純度の塩のみを食用にすることには反対意見も多く、1973年には専売公社の輸入した塩ににがりを加え、より自然塩に近い形の再加工塩である「赤穂の塩」や「伯方の塩」がその運動の中から生まれます。また、伊豆大島では研究会という形で1976年より海水からの自然塩の製造方法の研究を行なっていましたが、当時は独自に海水から塩を作ることが禁じられていたので全量廃棄が義務づけられていました。それが1997年には自由化の一環として92年間続いた塩専売法が廃止され、新たに塩事業法が施行され、塩の製造、販売、輸入(2002年より)が自由にできるようになりました。世界各国から様々な塩が輸入されるようになり、塩製造者も増え、現在は日本各地で様々な方法で塩作りが行なわれています。 |
|
日本は塩づくりに不向きだった!? |
世界で生産されている塩のうち最も割合の多いのは岩塩で、塩全体の4割近くを占めています。しかし、日本には岩塩や塩湖などがないため、昔から海水だけが塩作りの原料でした。もちろん海水から塩を作っている国なら他にもたくさんありますが、しかし、日本の場合には風土の事情から他の国々にはない塩作りの苦労があったのです。ちなみに、世界の大部分の塩は岩塩か海水による天日製塩法によって作られていますが、日本の製塩法はそのどちらにも属さず、その他の2%に分類されているのです。
世界の海塩はその殆どが天日製法塩と言われるもので、これは海水を広大な塩田などに引き込み、太陽の力で水分を蒸発させて塩にするものです。ところが、日本は土地も狭く、雨が多くて湿度が高いためにこの方法は使えません。岩塩もなく、天日塩も駄目となると、残る方法は海水を煮詰めて塩を取り出す方法です。然るに海水中の塩分は僅か3%。1リットルの中に塩は30g程度しか含まれていないのです。これをただ煮詰めて取り出すのでは大変に効率の悪い塩作りになってしまいます。如何に少ないエネルギーで海水中の塩を効率的に取り出すか――これが常に日本の塩作りの大きな課題だったのです。この課題に対して様々な製塩法が考え出されてきました。
|
日本ならではの塩作りの歴史 |
日本独自の塩作りの方法は大きく2つのステップに分けられます。まずはなるべく多く海水の水分を飛ばして、灌水(かんすい)と呼ばれる濃い塩水を作りますが、これが採鹹(さいかん)という第1段階です。この灌水を煮詰めて塩として取り出すのが第2段階で、これを煎熬(せんごう)と言います。歴史をたどると、この方法が段々と洗練されてくるのが分かります。
■ |
藻塩焼き: |
|
日本で最も原始的な製法は海藻を使った塩作りです。詳しい方法は謎ですが、干した海藻に海水をかけて灌水を採り、土器で煮詰めて塩にしたのではないかと考えられています。藻塩焼きに使われていた土器は、弥生・古墳時代を中心に全国各地の海岸部でたくさん出土しています。 |
|
■ |
揚げ浜式塩田: |
|
約1200年前(平安時代)には既に行なわれていた伝統的な製法で、水が染み込まないように固めた塩浜に人力で運んで来た海水を繰り返し撒いて天日乾燥させ、塩分をたくさん含んだ砂を作ります。次に砂に付いた塩分を海水で洗い流して灌水を採り、釜屋と呼ばれる小屋で煮詰めまる方式で、能登半島の一部では現在でも行なわれています。 |
|
■ |
入浜式塩田: |
|
潮の干満差を利用して塩田に海水を引き込む製法で、碁盤の目のように引かれた浜溝から海水が塩田全体に広がり、毛細管現象によって砂の表面に染み出すので、塩分を多く含んだ砂ができますが、これを集めて沼井(ぬい)に入れ、上から海水をかけて灌水を作る方式です。入浜式の製塩は約500年前(室町時代末期)には既に行なわれており、以来、昭和30(1955)年頃まで約400年間に渡って盛んに行なわれました。 |
|
■ |
流下式枝条架式塩田: |
|
昭和20年代後半から入浜式塩田に代わって導入され、昭和30年頃から昭和46(1971)年まで行なわれました。まずポンプで汲み上げた海水を緩やかに傾いた塩田に流します。塩田をゆっくり移動して乾燥してきた海水を竹の枝を組んだ枝条架の上から滴らせ、太陽と風で水気を飛ばしてさらに濃縮させる方式です。陽射しの弱い冬でも安定生産でき、砂を動かす重労働も必要ないため、入浜式塩田と比べて生産量は2.5倍〜3倍と大幅に増加し、労力は10分の1になりました。 |
|
|
現代の主な製塩法 |
昭和47(1972)年以降、日本の製塩法はイオン交換膜と電気エネルギーを利用して灌水を採り、真空蒸発缶で煮詰める方法に変わりました。海水が原料であること、採鹹及び煎熬の2工程のあることでは従来の方法と変わりませんが、これまでのような広大な塩田が不要で、天候にも左右されず、効率よく優れた品質の塩を作ることができます。この方法によって、地面の占有面積はこれまでの1万分の1、生産量は従来の7倍以上になりました。安全性の高い塩を安価に安定供給できるようになり、また、拡大してきていた工業用原料としての塩のニーズも満たすことができるようになったのです。 |
|
◆ |
イオン交換膜による世界一安全な日本の塩 |
|
現在日本で作られている塩の90%以上はイオン交換膜製塩法によるもので、これは世界でもその安全性を評価されている製塩法です。
汲み上げられた海水はまず濾過によってにごりが水道水の10分の1というレベルにまで浄められ、その後イオン交換膜透析槽で濃縮されます。これは塩の主成分となるナトリウムやカリウム、マグネシウム、カルシウム及び塩化物イオン等が溶けた状態だとプラスとマイナスの電気を帯びていることに着目した方法で、電気の力で塩の主成分を集めるものです。ちなみにイオン交換膜は100万分の1mmという精度で有害物質(水銀やPCB)をシャットアウトするため、世界的に深刻化しつつある海洋の汚染に対しても対処することができます。また、イオン交換膜は、乳児用粉ミルクや減塩醤油、果物ジュース、注射液など食品や医薬品を作る際にも使われる安全なものです。そして、イオン交換膜透析槽で濃縮された後、灌水は真空蒸発缶で加熱濃縮され、塩の結晶になりますが、この全行程は外部から遮断されており、空中からの汚れ等も入らないようになっています。 |
|
|
|
[ ページトップ ] [アドバイス トップ]
|
|