【1】梅雨とは何か〜その時期と名称、語源〜 |
憂鬱な梅雨時がやってきました。
本節では梅雨とはどんな季節か。それを、その語源から解説しました。
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梅雨とは? |
毎日のように雨が降り続き、じめじめしがちな梅雨(つゆ)の季節がそろそろやってきます。 長雨のせいで外出するのも気が引けたり、気分も重くスッキリしなかったり、湿気が多くなりがちになったりと言った具合で、何かとネガティブなイメージの多いこの梅雨の時期ですが、そもそもこの梅雨とは一体どういうものなのでしょうか?
東アジアの梅雨(ばいう、つゆ)は、意外なことに英語でもドイツ語でも、はたまたフランス語でもBaiuと表記されます。津波と同じく科学用語で日本語がそのまま外国語になっているのは、その特徴がはっきりしており、他に類例を見ないからでしょう。日本では、春夏秋冬の四季に梅雨季を加えて五季とする季節区分の方がよいという考えもあるくらい、梅雨は日本の稲作文化を育て、私たちの生活に深く関わって来ました。
つゆは、梅の雨で梅雨と書きます。「つゆ」はまた「ばいう」とも呼びます。また、太陰太陽暦では梅雨の時期が5月に当たるので、五月雨(さみだれ)とも言います。梅雨は東アジアだけに見られる雨季で、日本の他、中国や韓国、台湾など東アジア地域に見られる気象現象のことを言います。要は5〜7月の間の特に雨や曇りの日が多い雨季の一種で、6月上旬〜7月上旬にかけて日本の南岸から中国の長江流域にかけて前線(梅雨前線)が停滞して長雨を降らせる現象です。梅雨は南寄りの季節風が直接当たる九州や四国、近畿、東海地方で顕著で、この期間の降水量は年降水量のほぼ三分の一(平年値は那覇で520mm、福岡で507mm、東京で260mm、仙台で265mm)に達します。ただし、北日本では降水量は少なく、また北海道には梅雨はなく、また、小笠原諸島にも梅雨はありません。また、梅雨のシーズンが始まることを一般に「梅雨入  り」または「入梅(にゅうばい)」と呼び、また、梅雨の終わりを「梅雨明け」または「出梅(しゅつばい)」と呼びます。この梅雨の発表を行なうのは気象庁で、梅雨入りと梅雨明けの時期をその時の天候と1週間先までの気象予報に基づいて決め、気象庁とその地方支分部局である管区気象台が発表しています。なお気象学的言えば、梅雨の時期は揚子江気団と熱帯モンスーン気団からなる中国大陸方面の気団にオホーツク海気団と小笠原気団からなる日本列島及び朝鮮半島方面の気団が衝突します。北からは冷たく湿った空気が、南や東からは暖かく湿った空気が、また、西からは乾燥した空気が集まります。この気団が衝突した部分に気団の温度差から出来る停滞前線が東西数千kmに渡り形成します。空気が上昇して雲や雨を作り出しますが、これを梅雨前線と言い、1ヶ月から2ヶ月かけてゆっくり北上していきます。この前線が北上してゆく期間、この前線付近に多く雨を降らせますが、これが梅雨なのです。
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梅雨とその時期 |
梅雨期は厳密には4つに分けられます。それは、(1)5月中〜下旬、(2)6月上〜下旬、(3)6月末〜7月上旬、(4)7月中〜下旬の4つです。(1)は華南や沖縄の入梅、(2)は梅雨前線が本州南岸に停滞する時期で、華中や日本の大部分が梅雨になり、(3)は本州上に前線が停滞し蒸し暑くなり、その移動に伴って集中豪雨が起こりやすくなる時期で、(4)は梅雨前線が北日本に移動して関東以西は梅雨明けとなり、北日本は梅雨の最盛期となる時期です。
ただし、梅雨入りから梅雨明けまでの期間すなわち梅雨季の年による違いは大きな差があります。まず日数が違うし、日数が同じでも日付けが異なります。要するに全体に早くなったり遅くなったりするのです。これは近年のように各種の異常気象が多発する前から梅雨の大きな特徴でした。たとえば20世紀の前半までの統計でも、梅雨期間が70日以上であった年は1889年、1901年、1920年、1945年、一方、20日より短かかったのは1900年、1904年、1927年、1941年です。中でも、第二次大戦が終わった1945年は、梅雨が5月中旬から8月まで100日に及びました。これに対し1904年は梅雨が6月中旬の僅か4日間でした。
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梅雨入りと梅雨明け |
梅雨の時期に長い期間雨が降り続く原因は、オホーツク海高気圧や太平洋高気圧と言った高気圧の前線がぶつかり、日本の上空に温度や湿度の異なる空気が集まって雨雲を作ることです。また、それぞれの高気圧の強さが同じ程度の場合には、前線が停滞するため長い雨が集中して降り続きます。なお、最近では長く雨が降り続くことで地盤が緩んで大災害につながることが頻繁に発生しているため、今後は梅雨の時期にも災害への備えが必要になってくるでしょう。気象庁が「梅雨入り」と判断する基準は、その当日が曇りや雨の天気で、その1日前及び2日前も曇りや雨の天気、さらに翌日も曇りや雨の予想の場合に「梅雨入り」と判断します。テレビの情報番組などで「梅雨入りしました」と過去形で発表されるのはこの基準のためです。
梅雨入りとは? |
先にも説明したように、梅雨は5月から7月頃にかけて梅の実がなる頃に曇りの日や雨の日が続く時期のことを指し、東アジア特有の気象現象で雨季の一種です。日本全国が5月から7月頃にかけては梅雨の時期であると思われがちですが、北海道や小笠原諸島には梅雨はありませんし、日本以外では朝鮮半島や中国の南部、台湾等にも梅雨があります。また、雨季というと日本では梅雨のことを表すと思われがちですが、秋の長雨や、冬の日本海側の降雪も雨季の中に含まれます。さらに、梅雨の初めの5日間程度を「梅雨入り」、梅雨の終わり5日間程度を「梅雨明け」という言葉で表現されますが、これは気象庁が発表する情報で、1955年ごろからこのような情報が発表されるようになりました。情報提供が始まった当時は「お知らせ」という名を用いて各報道機関に伝えていました。
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気象上の入梅 |
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入梅とは雑節の一つで、太陽が黄経80度の点を通過する日のことを言い、毎年6月11日か12日、立春から数えて135日目に当たります。本来は「梅雨入り」の漢語表現で、梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ地方もあります。当然ながらその時期は地域と年により異なってきます。時候の挨拶で用いる「入梅の候」は、宛先の地で梅雨入りが発表されていることが前提となります。ちなみに西関東方言では、梅雨の季節全体を「入梅」と呼び、普通に言うところの「梅雨入りする」は「入梅に入る」と表現します。 |
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暦学上の入梅 |
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入梅は本来、梅雨入りの時期を前もって示すために導入された雑節で、農家にとって梅雨入りの時期を知ることは田植えの日取りを決めるのに重要でした。ただし、入梅の厳密な定義は一定していませんでした。太陽黄経に基づく定義は現在のもので、芒種の後の最初の壬の日を「梅雨入り」、小暑の後の最初の壬の日を「梅雨明け」としていた時期もあります。本当の梅雨入り・梅雨明けの日付は、年により地方により異なるものですが、農家にとって梅雨入りの時期を知ることは田植えの日取りを決めるのに重要だったので、その目安としてこの暦日が設けられていました。
- 貞享暦以前
『日本歳時記』(1688) によると、和漢の様々な文献で入梅・出梅の日は一定せず、たとえば立夏後の最初の庚の日(5月10日頃)が入梅、芒種後の最初の壬の日(6月10日頃)を出梅とする説や、芒種後の最初の丙の日(6月10日頃)が入梅、小暑後の最初の未の日(7月12日頃)を出梅とする説、芒種後の最初の壬の日(6月10日頃)が入梅、夏至後の最初の庚の日(6月26日頃)を出梅とする説、そして、芒種後の最初の壬の日(6月10日頃)が入梅、小暑後の最初の壬の日(7月12日頃)を出梅とする説など諸説あったと言います。なお、付記した日付はあくまで平均であり、何れの入梅・出梅も十干を用いているため10日の幅があり、新暦側の置閏法の誤差なども加えてプラスマイナス6日程の幅があるとされます。
- 貞享暦以後
日本では、貞享暦(1685) の頃から暦に入梅が載るようになりますが、その定義は「芒種後の最初の壬の日」でした。なお、芒種は太陽黄経75°の日。「壬(みずのえ)」は五行で言えば水の陽に当たります。また、芒種が壬だった場合の扱いは、芒種当日とするか、10日後の次の壬とするかは混乱がありましたが、次第に芒種当日とするようになりました。すなわち、芒種当日から9日後までである。新暦ではおよそ6月4日から6月16日までを変動し、平均すれば6月10日頃となります。なお、出梅は暦には載りませんでしたが、「小暑後の最初の壬の日」とされており、この入梅と出梅の組み合わせは中国の『本草綱目』と同じです。
- 天保暦
1844年の天保暦では入梅は「太陽黄経80°の日」とされました。以前の(貞享暦以来の)入梅の定義には十干が使われていたために10日幅の変動がありましたが、それを均した日にほぼ一致します。
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梅雨入りと梅雨明け |
気象庁では、前後数日間の天気経過と予想を比較し、晴天から曇雨天へ移り変わる中間の日を「梅雨入り」とします。現在は、気象庁の本庁と管区気象台及び地方中枢官署(新潟、名古屋、広島、高松、鹿児島の各地方気象台)が、観測及び予報に基づいて「梅雨入り・明け」を発表しています。太平洋高気圧が夏にかけて強まり、オホーツク方面の気温が高まるにつれて「梅雨前線」は衰え、待望の「梅雨明け」となりますが、この期間は大体一か月半です。
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天気予報における梅雨入りの定義 |
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一般に人々は陰鬱な天気が3日連続すると梅雨に入ったと感じるようです。一方、カラットした青空で太陽が照りつける天気が3日連続すると、梅雨が明けて真夏になったと感じます。天気図上で南方の太平洋上に梅雨前線があっても、自分が住んでいるところの天気が夏の日差しいっぱいで暑い日が3日以上も続けば、梅雨は明けてもう夏だと思うのです。気象庁が梅雨明け宣言をしないと、一般の人々は「気象庁は何やってるんだろう?と感じます。実際に梅雨には中休みがあって、その後また梅雨模様に逆戻りすることもあるので、その決定は難しいものがあります。それを何とか定義するために、気圧配置型の出現頻度を基準にして季節区分をするのですが、梅雨型気圧配置の出現頻度が30%以上になると梅雨季になる、すなわち、梅雨入りです。それと反対に、梅雨型気圧配置の出現頻度が30%以下になり、夏型気圧配置が卓越すると梅雨明けで、盛夏(夏季)になります。
一般に梅雨の季節の始まりを梅雨入り又は入梅、梅雨が終わった日を梅雨明け又は出梅と呼びますが、その日を気象学ないし気候学上から客観的に決めるは非常に難しく、現在のところは気象庁が主観的に決定しています。その理由は、入梅・出梅の定義が実際にはかなり難しいからです。降水日の連続性、雲量の日日変化、雨天・曇天の連続性、日本を中心とする天気図上における梅雨前線の出現・停滞などなど、梅雨季を特徴付ける気象状態は多数に上ります。ある1地点、たとえば東京でいつ梅雨入りしたかを決めることは、上記の気象要素の変化を検討して比較的簡単に決められます。しかし、それをある広がりをもつ地域に対して行なうことは難しいことで、大まかな傾向で捉えて決定するより他に方法がないのです。梅雨前線は5月、6月、7月と北上してくるから、入梅も出梅も南が早く、北ほど遅くなるはずですが、これをもしも地方毎に決めると、必ずしもその順番にならないことがあるのです。「梅雨入りしました」とか「梅雨明けしました」という宣言が気象庁から毎年発表されていますが、何れも少し日にちが経ってから宣言されることがあります。年によっては後で訂正されることすらあります。また、庶民の感覚ではとうの昔に梅雨入りないし梅雨明けしていたと思うこともあるでしょう。気象庁の関係者の間でさぞかし検討に手間取ったのだろうと、苦労のほどが察せられます。そもそも気象という自然現象について人間が宣言をしようとするところに無理があるのかも知れません。 |
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梅雨入りのない年 |
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年によっては梅雨入りの発表がされないこともあり、最も東・西日本(特に四国地方・近畿地方・北陸地方)ではこのパターンが数年に一回の割合で起こります。これは、太平洋高気圧の勢力が強いために梅雨前線が北陸地方から北上して進みそのまま夏空に突入し、南の高気圧となって次第に南下してゆくパターンです(小暑を境にして、小暑以降はそのまま梅雨明けになります)。この場合でも、四国地方や近畿地方、北陸地方では高温や晴天がやや多くなるものの、概ね晴天が続く夏が訪れています。このことから、年によっては近畿地方における夏は北陸地方よりも長いとされています。 |
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梅雨明けのない年 |
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一方、年によっては梅雨明けの発表がされないこともあり、最も東北地方(特に青森県・秋田県・岩手県の北東北)ではこのパターンが数年に一度の割合で起こります。これはオホーツク高気圧の勢力が強いために梅雨前線が東北地方から北上できずにそのまま秋に突入し、秋雨前線となって次第に南下していくパターンです(立秋を境にして、立秋以降の長雨を秋雨とします)。この場合でも、北の北海道では低温や曇天がやや多くなるものの、概ね晴天が続く夏が訪れていることは事実なので、このことから、年によっては東北地方における夏は北海道よりも短いとされています。 |
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梅雨の名称とその語源 |
梅雨の語源について |
梅雨は東アジアの広範囲に見られる気象現象で、6〜7月中旬、中国の長江下流域から朝鮮半島、日本列島(北海道と小笠原諸島を除く)に見られる雨期のことを言います。日本でも北海道や小笠原諸島を除く全域が梅雨前線の影響を受けます。梅雨の期間は6月に入ってから1か月〜1か月半程度で、それほど雨足の強くない雨が、長期に渡って続くのが特徴です。その雨量は東日本より西日本の方が多く、東日本では梅雨の期間の雨量が年間の五分の一程度であるのに対し、西日本では四分の一に該当する量が梅雨の期間に観測されます。一般に東日本ではだらだらと長雨が続くイメージですが、西日本は豪雨になることも多く、自然災害への警戒が必要な時期にもなっています。
梅雨と呼ばれるようになった由来は諸説ありますが、江戸時代に中国から伝わった「黴雨」が転じて同じ音の「梅雨」になったという説が有力です。確かにこの時期は、湿度が高く黴が生えやすい時期ではあります。しかし、それでは表記的にもあまりよくないと考えたのか、梅の実が熟す頃でもあることから梅雨に変化したのだろうと考えられます。ちなみに、梅雨は東アジア特有の雨期で、梅も東アジアにしか生息しない植物です。
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「ばいう」の語源〜中国で生まれた梅雨〜 |
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そもそも梅雨という言葉は中国から梅雨(ばいう)として日本に伝えられました。
梅雨の語源、すなわち中国で梅雨という名前がついた理由には2説あります。先ずは、梅の実が熟す頃に降る雨という意味で、中国の長江流域では梅雨と呼ばれるようになったとするもの、第二は、雨が降り続いて黴が生えやすい時期の雨という意味で、当初は黴雨(ばいう)と呼んでいたものの、黴では語感がよくないというので、同じ読みで季節に合った梅の字を使い、梅雨と改められたというものです。ちなみに現在、中国では梅雨(メイユー)、韓国では長霖(チャンマ)と呼んでいます。 |
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「つゆ」の語源〜日本で梅雨(つゆ)と呼ぶようになった理由〜 |
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日本では古くから日本では梅雨のことを五月雨(さみだれ)呼んでいました。それに対して、梅雨という言葉は江戸時代に日本へ伝わり、その頃から日本でも「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになったとされますが、それにも幾つかの説があります。ここでは3説ご紹介します。
- 潰ゆ(ついゆ)の季節だから
これは、雨が降り続いてじめじめした状態の事を「露けき(つゆけき)」と表現していたので、そこから梅雨(つゆ)になったという説。
- 潰ゆ(ついゆ)の季節だから
潰えるという言葉があり、物事が駄目になるという意味がありますが、これは、梅雨の季節には黴のせいで食べ物や衣類が痛みやすいことから、梅雨を「ついゆ」→「つゆ」と読むようになったという説。
- 梅の実が潰ゆ(ついゆ)季節だから
「潰える」には物事の形が崩れるという意味もありますが、これは、梅の実が熟れて形が崩れることから梅雨を「ついゆ」→「つゆ」と読むようになったという説。
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梅雨の別名 |
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麦雨(ばくう) |
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麦雨は梅雨と同様に麦の実がこの時期に熟すことからつけられたものです。梅雨の時期は麦にとって成長期なのです。 |
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青梅雨(あおつゆ) |
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こちらもその名の通り青梅が実る季節であることからそう呼ばれるようになりました。 |
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五月雨(さみだれ) |
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6月は旧暦も5月頃であることから五月雨(さみだれ)とも言われます。これは、「さ」は陰暦の5月(現在の6月)、「みだれ」は「水垂れ」を意味するということから来たものです。五月雨式という言葉にもあるように、要するに梅雨の雨のようにだらだら続く様子から来たものでもあります。従って、現在においては必ずしも5月の雨のことではありません。余談ですが、五月晴れも同様で、本来は梅雨の晴れ間を意味する言葉でしたが、現在は文字通り5月の晴れた日を指して使用することが多く、気象庁では「さつき晴れ」と表現しています。 |
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その他の梅雨用語 |
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走り梅雨 |
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走り梅雨という言葉を聞いたことがあると思います。梅雨と言えば6月〜7月にかけて梅雨前線の影響により天候が不安定で雨の日が多くなる季節のことを指しますが、走り梅雨とはどういう意味でしょうか。
走り梅雨とは、梅雨の走り(先駆け)という意味を持っていて、主に5月下旬から6月上旬頃に梅雨の前ぶれのように雨が降り続く状態を言います。ちょうどこの時期には卯の花が咲く時期でもあることから、卯の花を腐らせるような雨という意味で「卯の花腐し(くたし)」という別名もあります。他にも「梅雨の走り」や「迎え梅雨」といった、本格的な梅雨の前に訪れる雨模様という意味の別名も存在します。
「走り」とは「先駆け」を意味し、「走り梅雨」とは梅雨に先駆けて降り続く雨と解釈することもあります。「梅雨の走り」とも言います。沖縄など南西諸島の梅雨期にあり、南西諸島付近にある梅雨前線が一時的に本州南岸沿いに北上した時に多く見られる気象現象です。また、オホーツク海高気圧が5月前半に出現した場合に北東気流の影響を受けやすくなるため、関東以北の太平洋側で低温と曇雨天が長続きすることがあります。その他メイストームなど日本海や北日本方面を通過する発達した低気圧の後面に伸びる寒冷前線が本州を通過して太平洋側に達した後、南海上の優勢な高気圧の北側に沿って、そのまま停滞前線と化して太平洋側、主に東日本太平洋沿岸部で暫く天気がぐずつきケースもその類だと言えます。なお、走り梅雨を俳句に含むと、6月初旬を表す季語となり、これを四季に当て嵌めると夏の季語になります。梅雨の前に降る短期間の雨で、これから本格的な梅雨入りを迎えることが感じさせる、とても短い期間にのみ使える季語です。 |
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菜種梅雨(なたねづゆ) |
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主に3月下旬から4月にかけて連日降る小雨のことを一般に菜種梅雨と言います。菜の花が咲く頃に降る雨であるためこの名前があり、花を催す雨という意味で「催花雨」(さいかう)とも呼ばれることもあります。梅雨のように何日も降り続いたり、集中豪雨を見たりすることは余りありませんが、やはり、曇りや雨の日が多く、すっきりしない天気が何日も続くことが多くあります。
冬の間、本州付近を支配していた大陸高気圧の張り出しや、移動性高気圧の通り道が北に偏り、一方で、その北方高気圧の張り出しの南縁辺に沿って冷湿な北東気流が吹いたり、本州南岸沿いに前線が停滞しやすくなったりするために生ずる降雨です。その時には南岸に小低気圧が頻繁に発生しやすくなるのもその特色です。そのため、西-東日本太平洋沿岸部にかけて言う場合が多く、北日本にはこの現象は見られません。近年は暖冬傾向及び温暖化の影響もあって菜種梅雨が冬に繰り上がるきらいがあり、気候の変動が懸念される面も出て来ています。 |
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山茶花梅雨(さざんかづゆ) |
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主に11月下旬から12月上旬にかけての連続した降雨を「さざんか梅雨」と言います。11月下旬から12月上旬に見頃を迎える山茶花(さだんか)と同じ頃に連続して降る雨のためめ、この名前がある。 |
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筍梅雨(たけのこづゆ) |
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筍が採れる季節に吹く南東風のことを筍梅雨(たけのこづゆ)と言います。湿気が風で、雨も降ることがあるそうです。 |
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すすき梅雨(秋雨) |
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主に8月後半から10月頃にかけて続く長い雨(地域によって時期に差があります)のことを一般に秋雨(あきさめ)と言いますが、他に秋霖(しゅうりん)とかすすき梅雨などの別名もあります。 |
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【2】梅雨時の天気〜その気象とメカニズム〜 |
梅雨は気象学上はどんな季節なのでしょうか?
本節では、梅雨の天気とそのメカニズムについて簡単に解説しました。
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梅雨時の天気 |
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東アジアの四季変化における梅雨 |
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気候学的な季節変化を世界と比較した時、東アジアでは春夏秋冬に梅雨を加えた五季、また日本に限ると更に秋雨を加えた六季の変化がはっきりと表われてきます。東アジアでは、春や秋は温帯低気圧と移動性高気圧が交互に通過して周期的に天気が変化します。一方、盛夏期には亜熱帯高気圧(太平洋高気圧)の影響下に入って高温多湿な気団に覆われることになります。そして、春から盛夏の間と盛夏から秋の間には、中国大陸東部から日本の東方沖に前線が停滞することで雨季となります。この中で春から盛夏の間の雨季が梅雨、盛夏から秋の間の雨季が秋雨です。なお、梅雨は東アジア全体で明瞭である一方、秋雨は中国大陸方面では弱く日本列島方面で明瞭です。また、盛夏から秋の間の雨季の雨の内訳として台風による雨も無視できないほど影響力を持っています。なお、東アジアは中緯度に位置しており、同緯度の中東などのように亜熱帯高気圧の影響下にあって乾燥した気候となってもおかしくありませんが、大陸東岸は夏季に海洋を覆う亜熱帯高気圧の辺縁部になるため雨が多い傾向にあります。これは北アメリカ大陸東岸も同じですが、九州では年間降水量が約2,000mmとなるなど、熱帯収束帯の雨量にも劣らないほどの雨量があります。この豊富な雨量に対する梅雨や秋雨の寄与は大きいものがあります。梅雨が大きな雨量をもたらす要因として、インドから東南アジアへとつながる高温多湿なアジア・モンスーンの影響を受けている事が挙げられます。
一般に梅雨の時期が始まることを梅雨入りないし入梅と言い、社会通念上及び気象学上は春の終わりであると共に夏の始まり(初夏)とされます。日本の雑節の1つに入梅(6月11日頃)があり、暦の上ではこの日を入梅としますが、これは水を必要とする田植えの時期の目安とされています。また、梅雨が終わることを梅雨明けや出梅と言い、これをもって本格的な夏(盛夏)の到来とすることが大半です。殆どの地域では気象当局が梅雨入りや梅雨明けの発表を行なっています。梅雨の期間は普通1か月から1か月半程度で、また、梅雨期の降水量は、九州では500mm程度で年間の約四分の一、関東や東海では300mm程度で年間の約五分の一もあります。西日本では秋雨より梅雨の方が雨量が多いですが、東日本では台風の影響もあって、逆に秋雨の方が多くあります。梅雨の時期や雨量は年によって大きく変動する場合があり、たとえば150mm程度しか雨が降らなかったり、梅雨明けが平年より2週間も遅れたりすることがあります。そのような年は猛暑・少雨だったり、或は冷夏・多雨であったりと、夏の天候がよくなく、気象災害が起きやすいとされます。なお、梅雨は時折「雨がしとしとと降る」「それほど雨足の強くない雨や曇天が続く」と解説されることがありますが、これは東日本では正しいのですが、西日本では余り正確ではありません。梅雨の雨の降り方にも地域差があるためです。特に西日本や華中(長江の中下流域付近)では、積乱雲が集まった雲クラスターと呼ばれる水平規模100km前後の雲群がしばしば発生して東に進み、激しい雨をもたらすという特徴があります。日本本土で梅雨期に当たる6〜7月の雨量を見ると、日降水量100mm以上の大雨の日やその雨量は西や南にゆくほど多くなる他、九州や四国太平洋側では2カ月間の雨量の半分以上がたった4〜5日間の日降水量50mm以上の日にまとまって降っています。梅雨期の総雨量自体も、日本本土では西や南に行くほど多くなるとされています。 |
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梅雨と上層大気 |
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上層大気の研究が進むにつれて、梅雨は次のように説明されるようになりました。
日本付近の梅雨前線は北太平洋寒帯前線の一部であり、北半球の中緯度をめぐる大規模な大気環流(すなわちジェット気流)が三つの波長の型を示す時、ジェット気流はヒマラヤ山脈があるためチベット高原の西側で二分され、北太平洋で再び合流します。このため、オホーツク海上空では空気が停滞し、温暖なブロッキング高気圧が作られます。停滞した空気の一部は下降気流として地面に降りてきて冷たいオホーツク海で冷やされ、寒冷なオホーツク海高気圧が発達するようになります。この高気圧と別にチベット高気圧が対流圏上部で発達すると共に南西季節風が活発となります。それが東に広がってくると東アジアの梅雨が活発となるのです。ジェット気流がヒマラヤ山脈の北に移り、この二分されたジェット気流のうちの南のジェット気流が消えると梅雨が明けます。 |
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集中豪雨 |
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梅雨末期(6月末〜7月上旬)の集中豪雨は次の理由で起こるとされます。
下層の700〜800hPa(高度3000m以下)に下層ジェットという強風域が舌状に南西から侵入し(これを湿舌と呼びます)、これが高温多湿で、水分を十分日本に運ぶ役目を果たします。しかし、上層5000m以上では北西風が冷涼な乾いた空気を運んで来ますが、そうすると下層に高温多湿、上層に冷涼乾燥な大気という構造になり、鉛直方向に不安定であるため対流現象が盛んになり、対流性の雲が活発に大規模に発達するようになるのですが、これを比較的細かな気象の観測に基づいて調べると、メソスケール(水平方向数百km規模のスケール)内で小さなじょう乱(メソスケール擾乱)が波動状に次々移動してゆくことが分かります(大気擾乱)。このじょう乱は活発な対流雲の塊です、この通過により各地に大雨が降るのです。 |
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梅雨前線 |
気団 |
春から夏にかけて、日本付近では数種類の異なった性質を持った気団が現われます。この気団とはいわゆる空気の塊のようなもので、大きく分けて以下のように分類されます。
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中国大陸方面 |
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- 揚子江気団
中国大陸方面北側の気団で、中国北部・モンゴルから満州にかけての地域に存在する暖かく乾燥した大陸性の気団。元来は冷たいシベリア気団が変質して温暖化したものとされます。
- 熱帯モンスーン気団
中国大陸方面南側の気団で、インドシナ半島・南シナ海から南西諸島近海にかけての地域に存在する暖かく非常に湿った海洋性の気団。インド洋の海洋性気団の影響を強く受けているとされます。
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日本列島及び朝鮮半島方面 |
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- オホーツク海気団
日本列島及び朝鮮半島方面北側の気団で、オホーツク海に存在する冷たく湿った海洋性の気団。
- 小笠原気団
日本列島及び朝鮮半島方面南側の気団で、北太平洋西部に存在する高温・多湿で海洋性の気団。
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アジアモンスーンと梅雨 |
梅雨前線は、気象学的にはモンスーンをもたらす前線(モンスーン前線)の1つです。インドをはじめとした南アジアや東南アジアのモンスーンは、インド洋や西太平洋に端を発する高温多湿の気流が原因でもあります。世界最多の年間降水量を有する地域(インドのチェラプンジ)を含むなど、この地域のモンスーンは地球上で最も規模が大きく、広範囲で連動して発生していることから、これを総称してアジア・モンスーンと呼ばれるのです。また、この影響を受ける地域をモンスーン・アジアとも言います。
アジア・モンスーンの影響範囲は更に東にまで及んでおり、南シナ海を覆う熱帯モンスーン気団にも影響を与えています。具体的には、南西諸島や華南の梅雨の降雨の大部分が熱帯モンスーン気団によってもたらされる他、太平洋高気圧の辺縁を時計回りに吹く気流がこの熱帯モンスーン気団の影響を受けた空気を日本・朝鮮半島付近まで運んできて雨を増強するのです。このような関連性を考えて、気象学では一般的に、梅雨がある中国沿海部・朝鮮半島・日本列島の大部分をモンスーン・アジアに含めています。また、梅雨前線付近の上空の大気をみると、冬の空気と春・秋の空気の境目となる寒帯前線、春・秋の空気と夏の空気の境目となる亜熱帯前線が接近して存在しており、その意味でも梅雨は季節の変わり目の性質が強いのです。
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梅雨前線の性質 |
性質の違う2つの空気(気団)がぶつかるところは大気の状態が不安定になり、前線が発生します。梅雨前線を構成する気団は何れも勢力が拮抗しているため、ほぼ同じ地域を南北にゆっくりと移動する停滞前線となります。
梅雨前線の南側を構成する2つの気団は共に海洋を本拠地とする気団(海洋性気団)のため、海洋から大量の水蒸気を吸収して湿潤な空気を持っています。ただ、北側の気団と南側の気団とではお互いの温度差が小さいため、通常は殆どが乱層雲の弱い雨雲で構成され、そのため、しとしとと余り強くない雨を長時間降らせることになります。しかしながら、上空に寒気や乾燥した空気が流入したり、地表付近に暖かく湿った空気(暖湿流)が流入したりすると、対流活動が活発化して、積乱雲を伴った強い雨雲となり、時に豪雨となります。
2つの高気圧がせめぎ合い、勢力のバランスがほぼ釣り合っている時、梅雨前線は殆ど動きません。しかし、2つの高気圧の勢力のバランスが崩れた時や、低気圧が近づいてきたり、前線付近に低気圧が発生したりした時は一時的に温暖前線や寒冷前線となることもあります。梅雨前線の活動が太平洋高気圧の勢力拡大によって弱まるか、各地域の北側に押し上げられ、今後前線の影響による雨が降らない状況になった時、梅雨が終わったと見なされます。
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梅雨前線の初期 |
冬の間、シベリアから中国大陸にかけての広範囲を冷たく乾燥したシベリア気団が覆っています。シベリア気団はしばしば南下して寒波をもたらし、日本の日本海側に大雪を降らせますが、チベット高原では高い山脈が邪魔して気団がそれ以上南下できません。なお、そのチベット高原の南側、インド-フィリピンにかけての上空を亜熱帯ジェット気流が流れていまする。続いて冬が終わり、春が近づくにつれてシベリア気団は勢力が弱くなり、次第に北上してゆきますが、代わって中国大陸には暖かく乾燥した揚子江気団ができ始め、勢力を強めてゆきます。春になると、揚子江気団は東の日本列島や朝鮮半島などに移動性高気圧を放出し、これが偏西風に乗って東に進み、高気圧の間にできた低気圧とともに春の移り変わりやすい天候を作り出してゆきます。さらに春が終わりに差しかかるにつれて、南シナ海付近にある熱帯モンスーン気団が勢力を増し、北上して来ますが、そうすると、揚子江気団と熱帯モンスーン気団が衝突し始めます。地上天気図で見ると、揚子江気団からできた高気圧と熱帯モンスーン気団からできた高気圧が南シナ海上でせめぎ合い、その間に前線ができていることが分かりますが、これが最初の梅雨前線です。なお、例年華南や南西諸島南方沖付近では5月上旬頃に梅雨前線のでき始めである雲の帯(専門的には準定常的な雲帯と呼ぶことがある)が発生すます。
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明瞭になる梅雨前線 |
5月上旬には南西諸島も梅雨前線の影響を受け始めることになります。5月中旬頃になると、梅雨前線ははっきりと天気図上に現れるようになり、華南や南西諸島付近に停滞します。その一方で、初夏に入った5月頃、亜熱帯ジェット気流も北上し、チベット高原に差しかかります。ただし、チベット高原は上空を流れる亜熱帯ジェット気流よりも更に標高が高いため、亜熱帯ジェット気流はチベット高原を境に北と南の2つの流れに分かれてしまいます。その分かれた亜熱帯ジェット気流のうち北側の分流は樺太付近で寒帯ジェット気流と合流し、さらにこの気流はカムチャツカ半島付近で南側の分流と合流します。この合流の影響で上空の大気が滞ると下降気流が発生して、その下層のオホーツク海上に高気圧ができますが、この高気圧をオホーツク海高気圧と言い、この高気圧の母体となる冷たく湿った気団をオホーツク海気団と言います。その同じ頃、太平洋中部の洋上でも高気圧が勢力を増し、範囲を西に広げて来ますが、この高気圧は北太平洋を帯状に覆う太平洋高気圧の西端で小笠原高気圧とも言い、この母体となる暖かく湿った気団を小笠原気団と言います。5月下旬から6月上旬頃になると、九州や四国が梅雨前線の影響下に入り始めますが、この頃から梅雨前線の東部ではオホーツク海気団と小笠原気団のせめぎ合いの色が濃くなって来ます。一方、華北や朝鮮半島や東日本では高気圧と低気圧が交互にやってくる春のような天気が続きます。
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北上する梅雨前線 |
北上を続ける梅雨前線は、6月中旬に入ると、中国では南嶺山脈付近に停滞、日本では本州付近にまで勢力を広げてゆくことになります。次に梅雨前線は中国の江淮(長江流域・淮河流域)に北上、6月下旬には華南や南西諸島が梅雨前線の勢力圏から抜けます。7月に入ると東北地方も梅雨入りし、北海道を除く日本の本土地域が本格的な長雨に突入します。その同じ頃、朝鮮半島南部も長雨の時期に入ります。7月半ばを過ぎると、亜熱帯ジェット気流がチベット高原よりも北を流れるようになり、合流してオホーツク海気団が弱まってきます。その一方で、太平洋高気圧が日本の南海上を覆い続けて晴天が続くようになり、日本本土や朝鮮半島も南から順に梅雨明けしてきます。こうして北上してきた梅雨前線は最終的に北京などの華北・中国東北部に達することになります。例年この頃には前線の勢力も弱まっており、曇天続きになることはあるものの、前線が居座り続けるようなことは殆どありません。また、8月中・下旬を境にしてこれ以降の長雨はいわゆる秋雨であり、前線の名前も秋雨前線に変わってきますが、前線の南北の空気を構成する気団は同じです。もっとも秋雨は中国大陸方面では殆ど見られませんし、西日本でも秋雨はあるものの、雨量はそれほど多くありません。一方、東日本及び北日本(北海道を除く)では、梅雨期の雨量よりもむしろ秋雨期の雨量の方が多い(秋雨期の雨量には台風によるまとまった雨も含まれます)という傾向があります。
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参考:温暖化の影響と今後の梅雨 |
地球温暖化した場合、梅雨はどうなるのでしょうか?
気象研究所・気象庁その他の研究者が参加する大型プロジェクトで、将来(2080−2099年)の梅雨について詳しい予想結果がえられた。その中のいくつかを紹介すると、(1)北太平洋高気圧の発達は弱まり、本州はその西の端に位置する、(2)北太平洋高気圧は8〜10日くらい発達して、7〜8日弱まるという状態を繰り返す、(3)梅雨入りは4日くらい遅れ、6月15日頃になる、(4)梅雨明けはやはり4日くらい遅れて7月15日頃になる。ただし、2日くらいの中休みの後、弱いが明らかな雨季が始まり、これが7月27日頃まで続いて、場合によっては8月に終わるが、この雨季も梅雨期間と見なせば、梅雨明けは8月になる可能性もある。(5)梅雨期間中の梅雨前線の北上は不明瞭で、6月15日〜7月11日くらいの間殆ど同じ位置にある、などと予想されています。
上で触れた予想は最近の20年と100年後の20年とを比較しての話で、それぞれは20年間の平均の状態と理解すべきでしょう。現実の毎年の状態は、その20年間の平均状態の上下を変動することになります。従って、ごく最近における異常な状態を類推するのに上述の予想が以外と役に立つのです。たとえば昔から「雷が鳴ると梅雨が明ける」と言われました。これは、梅雨前線が頭の上を通過し、北上してゆくことを捉えた表現です。言うまでもなく前線の南側は北太平洋高気圧に覆われ、夏ですが、ところが、最近では7〜8月の夏の間中、雷が頻発します。これは関東北部及び西部の山岳地帯に夏の日の午後によく発生する雷のことではありません。そうではなくて、最近は雷が昼夜を問わず、夏中よく発生するようになったということなのです。こういったことも、100年後の気象変化を先取りした現象ではないかと思えなくもありません。
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